第五話 剣の故郷を求めて(前編)
オーディンブレード。
少し青みがかった金属で作られたやや幅広の両刃の剣だ。長さは俺の足よりもちょっと長いぐらいで、腰に吊すタイプの剣としてはこの長さが限界でもある。
平均的な剣よりも重く、良く切れそうな刃が付いていて、柄と刃の境界には真っ赤な宝石が一つはまっている。
「それは『オーディンの隻眼』っていう宝石よ」
カント寺院の尼僧総領のマーニーアンは言った。カント寺院の本来の総領は高齢で寝たきりとなっているので、彼女が事実上の寺院のトップということになる。残念なことに老齢だけは治療呪文でもどうしようもない。
「オーディンの隻眼・・・」俺はつぶやいた。
「それ以上詳しいことは知らないわ」
マーニーアンはそう言うと、旨いお茶を入れてくれた。俺としては酒の方が良かったのだが、寺院の中では酒はご法度だ。酒が飲めないなんて、寺院とはまったくなんてつまらない場所だろう。
「そうか。貴女なら、知っているかと思ったのだが」
つい丁寧な言い方になってしまう。マーニーアンの前に出るとなんだか顔も知らない俺のお袋の前にいるような気になってしまう。
俺の本当の母親もこんな女性だったらいいのにと、俺が密かに憧れているのは秘密だ。
「私だって、何でも知っているわけじゃないわよ」
軽く笑いながらマーニーアンが言った。
「うーん、この剣はファイ師匠が死んだときに俺が譲って貰ったものなんだ。師匠は剣の由来について何も俺に言ってなかったしな」
「そうね。私たちにも言ってないわ。ファイサルはお喋りが大好きな人だったけど、ああ見えても自分の出自なんかについては沈黙を守り通していたわ」
「お酒の蘊蓄については尽きぬ人だったんだがなあ」
俺は感想を漏らすと、椅子から立ち上がりマーニーの背後の壁を眺めた。
その棚にぎっしりと納まっているのは書物の山だ。それらがすべてマーニーアンの頭の中にも入っていることを俺は知っている。
俺は棚の本の一冊を手に取って見た。ひどく痛んだ羊皮紙を重ねた物だ。ダンジョンの中で見つかる呪文のスクロールも羊皮紙で出来ている。
羊皮紙とは、なんでもどこかの世界の動物の皮だそうだが、俺はその動物の実物を見たことはまだない。羊の皮の紙。羊という名前の動物はどんな姿をしているのだろう。きっと、この紙のようにつるっとした毛の無い動物なのだろう。
「これは、キリアがいつも言っている本と言うやつかい? スクロールを伸ばした物の様に見えるが?」
「スクロールを伸ばした物よ。キリアと私が伝え聞いた話を元に作ったの」
「キリアは酔っぱらうと口癖の様に本屋がやって見たいと言っている。その商売はこんな風に本を並べるのかい?」
「聞いた話ではそうね。もっともこんなに手間の掛かる物を買う人がいるとはとても思えないけど。作るのに手間がかかりすぎるわ。それに保存の呪文を掛けるのに私がどんなに苦労しているのか判る? ドーム」
「酒の中に漬けておけばいい」
「その酒は飲むために取って置きなさい」
ふむ。それもそうだ。上等の酒を動物の皮で駄目にするなど。愚の骨頂だ。
俺は話題を変えることにした。
今日、マーニーアンを尋ねたのも、この答えが聞きたいからだ。
どの答えかって?
「なあ、マーニーアン。オーディンブレードの事なんだが」
「聞いているわよ。ドーム。オーディンブレードの力を操れるようになったって」
「それが問題なんだ。マーニー」
「アンを忘れているわ。ドーム。省略しないで。それは失礼に当たるわ」
言葉は厳しいが顔は笑っていた。尼僧長の司祭服に包まれていなければ、もっと魅力的に見えただろう。もっともマーニーアンは年齢不詳だ。若いようにも思えるし、ずっと年寄のようにも思える。なにせ若返りの魔石なんか使われると本当の年齢などわからなくなってしまう。キリアと古い馴染みと言うからには相当な歳のはずなのだが、俺にはなんとも判別かつかない。元々女性の年齢を当てるのは苦手なんだ。
「わからないなあ。貴女の様な魅力的な人がどうしてあんなじいさんと一緒にいるのか」
ふふ、とマーニーアンは小さく笑った。
「ドーム。貴方には女心が判らないのよ」
確かにそうだ。この間のスーリの一件で俺はそれを思い知らされた。
敵の動きはなんでも読めるのに、どうして女性の心は読めないのだろう?
「しかし、マーニー。キリアじいさんは何歳だと思う?」
実は俺にもキリアの歳は良くわからない。もの凄いじじいであることは確かだ。元々が長命種なこともあるが、老人に相応しくない活力があるので年齢の推定が難しい。
百か? 二百か? それとも千とか二千の単位か?
「アンよ。ドーム。私の名前を呼ぶときは省略しては駄目よ。じゃあ、ドーム。貴方は私が何歳だと思うの?」
心を読まれたかな。うん、これは困った。
「三十歳ぐらいに見えるが」
言ってから思った。確かにそのぐらいだ。俺にはここに来る以前の記憶が無い。無いというよりはとてもぼんやりしている。そして俺のここでの記憶の最初からマーニーアンはいた。ええっと、そのときはもっと若かったような。いや、今と同じだったかな。
「外れよ。ドーム」また笑った。えくぼが柔らかそうな頬に浮かぶ。「私はキリアと同じぐらいの歳なの」
・・・嘘だあ。
天地が創造された時から生きているような、あのじいさんと同じ歳だなんて。
そんな俺を見て、マーニーアンは真面目な顔で言った。
「ドーム。キリアはダンジョンで『若さの石』を手に入れると必ず私の所に持って来るの。あの石は滅多に出ないから、彼は自分には使っていないの。彼の種族より寿命の短い私のために、彼は全ての『若さの石』を私にくれるの。
ドーム。キリアがあれほど老いているのは私のせいなのよ」
この言葉に俺はショックを受けた。
俺はマーニーアンがカント寺院から出たところを見たことがない。つまり彼女はキリアの言うところの冒険者の一人じゃない。それなのにキリアはマーニーアンの方を自分より大事にしている。
うー、キリア。俺には冒険者以外は影の存在だ、決して惚れるな、なんて言いながら。自分はどうなんだ。
「でも、ドーム。貴方が知りたいのはそんなことじゃ無いわね。
オーディンブレードがどうしたの?」
そうだった。オーディンブレード。それが問題なのだ。
「あのなあ、マーニー。俺がオーディンブレードの力で狂戦士に変わることはキリアから聞いているな?」
「アンを忘れているわよ。ドーム。ええ、聞いているわ」
「俺はそれが恐い」
「恐い?」
「うん。恐い。狂戦士になっているときの俺は俺じゃない。剣の意志と一体になっているときは、味方と敵の区別も良くついていないと思う」
「狂戦士の力を得て喜んでいると思っていたわ。ドーム。戦士ならば、誰でも欲しがる力よ」
「俺は狂戦士の力が嫌いなんだ。マーニーアン。俺は戦士だ。敵を倒す。敵を殺す。それは歓迎する。だけどマーニー」
今度はマーニーアンは言葉を挟まなかった。
「狂戦士は。オーディンブレードは敵を壊すんだ。そうとしか言いようが無い。あれは違う。何か、こう、うまく言えないんだが違う。あれには名誉が無い。戦士の誉がない」
しばらくの間、マーニーアンは両手でお茶の入ったカップを持ちながら、俺をじっと見ていた。こういうときのマーニーアンは何とも形容し難い目をする。その黒い瞳の向こうから何か別のものが覗いているという錯覚に陥るのだ。俺はなんだか無性に酒が飲みたくなった。
「ドーム。あなたの気持ちは良く判ったわ。
で、どうしたいの?
その剣を捨てるの?」
「いや。マーニーアン。俺はこの剣を手放すつもりは無い。だが、この剣の力の元を知りたい。なんというか、この剣の過去を知りたいんだ」
またもやマーニーアンは俺をじっと見つめた。彼女の目を見つめ返して、俺は彼女の言葉が真実であることを知った。彼女は歳を取っている。そう、キリアと同じぐらい。まさかそれを越えはしないだろうが。彼女は恐ろしく年寄で、恐ろしく賢くて、恐ろしく、そう、底知れない。
俺を見つめながら、その目の中には限りない英知が閃いている。俺の言葉と頭の中の膨大な知識の海から、俺が取るべき最善の行動を彼女が探っているのが俺にはわかった。それはキリアが時々見せる思考とはまったく異なる類の思考に思えた。
やがて彼女は立ち上がると、司祭服のすそを引きずりながら、部屋の隅の引きだしを開けに行った。そこから取り出したのは小さな箱だった。何の装飾もない質素な小箱。
「判ったわ。ドーム。キリアを説得して上げる。あなたはララの神を訪れなさい」
信じられないほど、あっさりとキリアは折れた。
「月の民もしばらくは襲って来ないだろうしな。よかろう。オーディンブレードについてはわしも興味がある」
マーニーアンの口添えが効いたのだろうか?
野蛮人シオンは諸手を上げて、俺の冒険に参加した。
「もう毎日が退屈で退屈で」そう言いながら、エールの大ジョッキを空にする。
酒を飲んでいながら退屈とは贅沢な奴だと、本当に、心から、そう思う。酒を喉に流し込むより大切なことなど、この世にはそうそうと無いものだぞ。
忍者の月影はいつものように無言で承諾した。月影は冒険に反対のときは音もなく姿を消す。今回は酒場の頼りない灯りが落とす影の中に立ち続けているのでそれとわかった。
ビショップのボーンブラストは厭々ながら、俺に同行することにした。こいつはとにかく金を稼ぐ機会だけは逃さない。俺の目的には興味は無いが、地下迷宮の奥深くに潜る機会は捨てがたいと見える。
ダンジョンの中の定員は六人までと、どういう理由でか俺は知らないが決められている。
その人数を越すと、不思議な事にダンジョンの入口が開かなくなるのだ。キリアに言わせると、これはダンジョンの中の動的質量再配置機構の限界を示すものだという。
俺にはその言葉の意味は全然わからないが。まあ、キリアが理解していれば俺は考える必要もない。戦士の仕事は頭を使うことじゃないからな。
とにかく、俺たちのパーティには、差引き、残り一人を加えることが出来るわけだが、ここでいつも俺は迷う。パーティの常識としては盗賊か僧侶を混ぜるのだが、実際には月影がいれば宝箱を開けることはできるし、僧侶の能力はキリアじいさんとロードを務めるシオンで間に合う。結局、今回は残りの一人は空けて行くことにした。
ララの神がいる部屋はダンジョンの地下深く、悪魔や幽霊の住む階層に入口がある。俺にも流石に一人でこの深さの地下迷宮を歩く気は無い。ダンジョンは一般的に言って深く潜れば潜るほど、強力なモンスターが出てくる。これもキリアの言によれば、地下深くに存在する根源の悪魔の放つ魔力が強力なモンスターを育てるからだと言う。俺もその説には賛成だ。かって、俺はこの目でその悪魔を見たことがあるのだから。
この深さではアーチデーモンまで出現する。厄介なことにアーチデーモンの攻撃は麻痺を含んでいる。一人や二人のソロ・パーティでは一度麻痺を受けただけで詰んでしまう。だからこそ、深い階層では多人数でパーティを組むことが重要なのだ。
ララの神の住居への隠し扉まで、後少しの所で、俺の心配は当った。
暗闇に埋まるダンジョンの中に、赤く炎に色どられて俺たちを待っていたのはアーチデーモンだ。端正な貴族風の顔にきらびやかな服。だが、その顔の下に眠るものを俺は知っている。
「クアガ・ソト・ミナ」奴は俺に向かって、そう言った。
野蛮人シオンが驚いて俺に尋ねる。
「驚いたぜ。アーチデーモンが話かけて来るなんて。知合いか? ドーム?」
「ちょっとしたな」
俺は腰からオーディンブレードを引き抜くと、一歩踏み出して構えた。
「お前はこの前に会ったアーチデーモンか?」と尋ねて見る。
「そうじゃ。ドーム。そいつはこの間のアーチデーモンじゃ。というよりは、モンスターはこの世界に記録されている一定の原型から生み出される影なのじゃ。ドーム。だから、そいつらは全てが双子と言って良い。強力なゲシュタルト複合人格を形成しておるのじゃ」
俺は深い深いため息をついた。
頼むぜ。じいさん。どうか、俺の精神集中を妨げないでくれ。ここには酒は無いんだ。これ以上、難しい話をするぐらいなら、悪いが俺はここで帰ることにする。
「ドーム。そいつがさっき言ったのは『その剣には見覚えがある』じゃ」
そうか、キリアじいさんは悪魔語を話せたな。
奴が近付いて来た。月影が跳躍のために身構えるのを目の隅に捕らえて俺は叫んだ。
「俺一人でやる。手を出すな」
別に格好をつけようとしたわけじゃない。ダンジョンの中でフェアプレーなどと言っていた日には命が幾つあっても足りない。ただ、俺はこの間のオーディンブレードとの関わりで自分が変わったのかどうかが知りたかったのだ。
悪魔が操る炎の鞭がうなりを上げて、俺の顔に迫って来た。
手の中のオーディンブレードが震え、白熱の流れが剣から俺の身体へと流れ降って来る。それに呼応するかの様に俺の奥深いところで幾千もの戦士の叫びが興り、剣のもたらす白熱の流れと混ざり会った。
咽よりほとぼしり出た戦士の叫びは炎の鞭を宙で捉えバラバラに引き裂いた。散らばった炎がダンジョンの床を虚しく焦がす。
剣を動かす事もなく奴の武器を粉砕した俺をアーチデーモンは驚きを浮かべて見つめた。奴の本当の目で。
ぞわりとアーチデーモンの首の周囲がめくれ上がり白い牙が覗くと、奴の耳のイヤリングであった赤いルビーの大きな丸飾りがまばたきをした。
飾りじゃ無い。これが奴の本当の目なのだ。
アーチデーモンはどちらかと言えばトカゲの種族なのだ。人間の顔に見えるのは、奴の鼻の上についた模様にしか過ぎない。人間の貴族の顔を模した紋様と言うわけだ。
初めてアーチデーモンとやりあう冒険者は、鍔競り合いの最中にこの変貌の様を目にして動揺する。そして他愛も無くその牙にかかってしまうのだ。
アーチデーモンとの戦いは、奴が正体を表した瞬間が勝負だ。この瞬間に奴は真の力を見せる。恐るべき膂力。そして速さ。なにより怖いのは一切の躊躇の無い残忍さ。
空気が揺らめいた。奴が一瞬の内に俺の懐に飛び込む。大きな口を開けて。
忍者も叶わないほどの速さ。どんな冒険者もこの速度にはついていけないだろう。
もしそいつが狂戦士で無ければ。
白熱の炎に満ちた俺の視界の中で、神速を誇るはずの奴のスピードは、ひどくゆっくりと見えた。あまりに遅いので、急所に剣が届く距離に奴が入るまで、苛々と待つほどだった。
ひょいと剣を振るって、奴の肩口の辺りを斜めに切り裂く。
愛の邪神モルゴドに振るった時はあんなに重かった剣が、今は非常に軽く思える。
とどめは必要なかった。それほど俺の一撃は奴を深く傷つけたのだ。燃え上がる悪魔の血を吹きだしながら奴は死に、ただちに霧と化した。
・・・スーリはガラスのかけらへと変わったのに。こいつは霧だ。
どうやらダンジョンのモンスターと月の民達は構成する物質が違うらしい。詳しくは知らない。俺は戦士であって魔法使いじゃないから。
ゆっくりと身体の中の炎が消えて行くにつれて、キリアたちが興奮して喋っているのが聞こえるようになった。
「凄いぞ。ドーム。いつの間にそんな力を身につけた」シオンだ。
「ん。ああ」ぼんやりと俺は答えた。「つまらん事さ。さあ行こう」
精一杯、クールに演じてみせた。
ひゃっほう!
俺は強くなっている。きっとあの世にいるファイ師匠も喜んでくれているだろう。
こうして俺はララ神へと通じるダンジョンの隠し扉を開けた。
ウィザードリイの様々な神々。
夜の神ストーラー、星の女神イクラシア、鍛冶の神サルダナ、槌矛の巨人ガルムド。その他大勢の神々が俺たちの周りを駆け抜けて行った。
ここに入るといつもこうだ。一体、これらの神々はここで何をしているのだろう?
酒盛り?
それとも神々の会議?
永遠の謎だ。
その内の一人、創造と運命の女神ニアスチと来たら、そばを駆け抜けるときに俺の頬にキスを一つして行った。
キリアが小声でぶつぶつと「小物どもめ」と言うのが聞こえる。
本当にこのじいさんと来たら、根源の神の他には興味が無いのだから。
おっと、それとマーニーアン以外には、か。
その次の間にあるテレポートエリアを抜ければ、ララの神の所まではすぐだ。
部屋の中央のララ神の巨大な召喚円に俺たちは躊躇わずに踏み込んだ。
円の中央にキラキラと光のちらつきが現れて、トーガラマが現れた。
いつ見てもララ神はでかい。こんなでかいトーガラマがいるのかと思うほどでかい。全身を覆う金色の毛がまばゆい。
そもそもトーガラマって何だ?
トーガを着たラマか?
こういった動物がほんとうにいるのかどうかは知らないが、ララ神は実在するし、その呼び名がトーガラマなのだから仕方がない。
俺の疑問を全く無視すると、ララ神は俺たちに向かってお決りの言葉を述べた。
『冒険者達よ。汝らが望みはやがてかなえられるであろう』
そうならいいが。俺はララ神に話しかけた。
「偉大なるララの神よ・・」
ララ神は俺に向かって噛みついて来た。アーチデーモンの比では無い狂暴さ。尖った長い牙が俺の目のすぐ前で、がちんと音を立てて噛み合わさる。まるで鋼鉄の処刑道具だ。
「ドーム。言葉は無駄じゃ。ララ神もまた影の存在。自由意志は無いに等しいのじゃ」
キリアの叱咤が飛んだ。
その声を聞いて、ララ神がキリアに向き直った。のっそりとじゃない。最初からキリアの方を向いていたのかと錯覚するほどの早さだ。
悪魔より強いから神をやっている。なるほど。変なところで俺は感心した。
野蛮人シオンがメイスを持って、キリアとララ神の間に割り込む。これが前衛の役目だ。盾を構え、鉄壁の守りを作り出す。キリアを頼むぞ。シオンよ。
月影はと言えば、ララ神の背中にいきなり乗って、手刀を突き込んでいる所だ。残念ながら全然効いていないが。いや、馬鹿にしているんじゃない。月影の素手の手刀は、レンガの一個や二個は軽く粉砕するだけの威力があるのだから。問題はララ神が強すぎることだ。そんじょそこらの神が束になったよりも強い。
ぐずぐずしている暇はない。パーティの誰かが死人になってからでは遅いのだ。
俺は、マーニーアンに教わった通りに、腰に吊して持って来た袋を開けて、それから教えられた言葉を叫んだ。
「マカデミア・ナッツ!」
びくりとララ神が身体を硬直させて、俺の方をちらりと見た。
キリアが呪文を唱え始める。ボーンブラストはその後ろでこれも呪文を唱えている。シオンが大きなメイスをぶんぶんと振り回して、ララ神に向き直った。
姿勢を崩すことさえなく、ララ神はシオンのメイスの攻撃を避けている。
俺にはララ神の足がぼうと霞むほどの速度で動いているのがわかった。魔剣により強化された俺の視力でも、その程度しかララ神の動きは見えない。さすがはボスの神。これでもまだ根源の神々の領域には達していないのだから恐れ入る。
「マカデミア・ナッツ!」俺はまた叫んで見た。
ララ神の足取りが乱れ、シオンのメイスが巨大なトーガラマの肩に当った。
ぱっと、ララ神は俺たちから離れた。この動きにララ神の背中から派手に月影が振り落とされたが、ひらりと身を入れ代えて着地した。これほど身の軽い奴を俺は見たことが無い。流石は忍者だけはある。あの技が俺にあればどれだけ良いことか。今度一度機会を見て、月影とは良く話し合わなくては。
『戦士よ。それは反則では無いか?』
ララ神は穏やかな声で俺に話しかけた。今の今まで命のやり取りをしていたはずなのに、殺気の欠片も感じさせないのが、空恐ろしい。
『どこでその言葉を聞いて来たかは知らないが、私をそれほど苦しめて面白いかね?』
悪魔より強いだけで神をやっているんじゃない。俺はそのとき心底からそう思った。
「ララ神よ。決してあなたを苦しめているのでは無い。
俺は本当にここにマカデミア・ナッツを持っている」
マカデミア・ナッツ。マーニーアンが小箱から取り出して俺に渡してくれたのは、見たことも無い木の実だった。酒のツマミに良さそうだとは思ったが盗み食いは止めておいた。
「ドーム。これはマカデミア・ナッツと言うララ神の大好物よ」
マーニーアンはそう言っていた。
この木の実は外界の流れ物である。新しくギルガメシュの酒場に現れた新参者はごくごく希れにだが、こういうウィザードリイの世界では決して見つからない物を持っていることがある。
人によってはおぼろげながら他の世界の記憶を持っている者もいるそうだ。
キリアじいさんがやりたがっている『本屋』という職業の知識も、このマカデミア・ナッツという物も、キリアとマーニーアンが長い間に収集した物の一つであり、信じ難いほどの貴重品なのだ。
『信じられない。一つわたしに見せて貰えないか?』
ララ神の言葉に従い、俺は取り出した木の実を高く差し上げて見せた。
『なんと! 本物か! 信じられぬ。
まさかと思うが、戦士よ。その木の実をここにいるこのわたしに献上してみるという素晴らしき気高き心を、そなたは持ち合わせておらぬだろうか?』
返事の代わりに俺は木の実を一つ投げた。空中を突風が吹き抜け、投げた木の実が消失した。元の位置から動かないララ神の口から、コリコリと何かを噛む音がした。カリカリ、パリン。
ああ。ララ神が目を閉じると、幸せのため息をついた。
「マカデミア・ナッツ」俺はまた言ってみた。
夢想を中断されて、ララ神が目を開けた。
『戦士よ。まさかと思うが、まだ他にこの木の実を持っているというのではあるまいな』
「そのまさかです。ララ神よ」俺は袋を出して振ってみせた。「まだたくさんあります」
俺の言葉を聞くとララ神は四つの足を折り曲げて俺の前に座った。
座った姿勢でもララ神の頭は、俺の頭より高いところにある。
『戦士よ。どうか、お願いする。その木の実を私に貰えないだろうか?』
「代償を貰えるならば。ララ神よ。これは貴方の物だ」
『代償。私の持つものならば、なんでも、お前にやろう』
命は除いて、だ。たぶん。それとも命までも差し出すつもりなのか?
「根源の神々の居所を知らんか?」横から飛んだのはキリアじいさんの声だ。
こら。キリア。台本に無いことをするんじゃない!
『残念ながら。私は知らないのだ。根源の神々の秘密は下位の神々の間でも謎なのだ』
ララ神は溜め息をついた。
『他に私の払えるもので、欲しいものはないか?
オーディンブレードでも、黄金の鎧でもなんでも良いぞ』
それだ!
「オーディンブレードの故郷に連れて行って貰えないだろうか?」俺はついに言って見た。
俺の申し出を聞いて、ララ神は相当驚いたようだ。尻尾がパタパタとうるさい音を立てて動く。
ララ神は俺の顔を見て、俺の手に持つマカデミア・ナッツの袋を見て、また俺の顔を見た。
『よかろう。戦士よ。実に異例の申し出だが。お前の望みを叶えよう』
ララ神は首を低く降ろした。
『皆、乗るが良い。連れて行ってやろう。この世界の彼方に。その前にその袋を私に渡せ』
俺はためらった。ここでララ神が約束を破れば、全ては元の木阿弥だ。
次にマカデミア・ナッツを持った冒険者が酒場に現れるまでに、百年かかるか千年かかるか。神のみぞ知るだ。いや、ララ神もそれを知らないから、こんなにナッツを欲しがっている。
「ドーム。渡すのじゃ。ララ神は嘘は言わん。いや、嘘を言う必要が無いのじゃ」
キリアが俺に言った。
「どの道、もう冒険者との戦いを中断しておる。シナリオ摩擦効果が現れておるぞ」
ララ神の身体に手を触れて、キリアはそう続けた。
「早くしないとララ神が炎の魔神より熱くなるぞ」
俺はナッツの入った袋をララ神に渡し、そして俺たち一行はララ神の背に乗って、オーディンブレードの故郷へと向かった。
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