第2話:守護の力
大規模な戦闘が続くシユーハとクァブラの国境宙域。シユーハ軍の右翼艦隊後方にて遊撃艦隊とその支援部隊に合流を果たしたメッテ家の旧式護衛艦シャーヴィット号は、別命あるまで待機の指示を受け、先行する主力艦隊の砲撃戦を眺めながら全艦待機中であった。
ブリッジの艦長席に突然振ってきた正体不明の女性によって軽い打撲と脳震盪に見舞われていたフェンナード艦長も、今は回復して職務に復帰している。
正体不明の女性――"シャーヴィット・ガルデ"と名乗った密航者と思しき彼女は、現在営倉に拘禁され尋問を受けているようだ。
「シャーヴィットか……自分と同じ名前の艦だから、密航に選んだのかな?」
「私には分かりかねますが、彼女は色々と不可解です」
「確かにね……」
まず何処から降ってきたのかが分からない。この艦のブリッジは戦艦や巡洋艦に見るような天井の高い作りにはなっていないし、人が隠れられるようなダクトも通っていない。彼女が落ちてきた後も、天井に破損箇所などは確認できなかった。
「ずっと天井に張り付いていたとも思えないし」
何故か異常に硬かったと記憶に残る彼女の尻の直撃を受けてフェンナードが早々に意識を手放していた時、咄嗟に銃を構えた副長のミーシアが誰何を行なったところ、最初は翻訳機も反応しない不明な言語で話していたようだが、言葉が通じない事を理解したような態度を見せると、急にシユーハの標準語を喋り始めたという。
「身元や目的もはっきりしませんし、何より
「でも、クァブラのスパイという線は……ちょっと考えられないかな」
シユーハでは生まれた時から体内に個人情報の蓄積や認証を行なう為の生体チップを埋め込む事が義務付けられており、このチップが無ければ公共施設の利用や買い物は勿論、普通に街中を歩く事さえ困難になってしまう。
数メートル毎に国民IDの認証不良によって警報が鳴り響き、周りから大層注目を浴びる事になるだろう。
「一体、どうやってこの艦に乗り込んだのか……」
「僕には空中から突然現われたように見えたけどね」
「艦長……慰安艦でやってるマジック・ショーじゃないんですから」
シャーヴィット号自体が旧式艦の為、搭載されている保安システムも現在のシユーハ軍に正式採用されている統合リンクシステムとは互換性の問題で一部繋がっておらず、侵入者警報があった事実はまだ艦隊の上層部にも知られていない。
只でさえ講和派として目を付けられている上に、これだけの大規模戦に旧式艦一隻のみでの参加という悪目立ちしているメッテ家としては、作戦行動に部外者が紛れ込んでいた等という不祥事はこのまま隠しておきたい所だ。
幸いにも目付け役である副長のミーシアはメッテ家の立場に理解を示し、フェンナードに味方してくれている。
「とにかく、このまま何事もなく会戦の終わりまで生き延びることが出来れば、後はどうとでも出来るでしょう」
艦の
「ありがとう副長。本当に助かるよ」
「い、いえ……」
あまり荒事とは縁のなさそうな穏やかで優しい笑みを浮かべるフェンナード子爵に、真っ直ぐな感謝の瞳を向けられたミーシアは、思わず跳ねた鼓動を誤魔化そうと帽子を直す振りをしながら目線を逸らした。
あと二、三日は戦闘にも絡みそうにないシャーヴィット号のブリッジにて、艦長と副長がなにやら良い雰囲気になっている頃――
「ねえ、それどういう構造なの? なんで絵が出るの? このテーブル素材は何? この重力って制御はどうしてるの?」
この艦と同じ名を持つ密航者は営倉で尋問を受けながら、担当の警備兵を困らせていた。
建て付けが悪いのか、ガーッと音を立ててスライドする扉をくぐって食堂へ入った警備兵達は、今朝方ブリッジに侵入して逮捕拘禁されている密航者らしき人物を話題に雑談を交わす。
「供述を纏めるとだな、紫色の蝶々が飛んで来たせいで意図せず乗艦してしまった、という事らしい。意味は分からん」
「蝶々? 蝶々ってあのヒラヒラ飛ぶ奴か?」
「ああ、そのヒラヒラ飛ぶ奴だ」
「なんだそりゃ? あの娘、何か薬でもやってるのか? 見た目は若くて健康そうなのに」
どうにも要領を得ない尋問結果に業を煮やした保安部の警備部長が自白剤の使用許可を申請しているらしいという話に、嫌悪の表情を浮かべた者と好奇の表情を浮かべる者とに反応が別れる。
「ただの密航者に自白剤なんて……どうせ
「中々いい女だったもんなっ」
「生体チップが入ってないって話だから、もしかしたら違法クローンかもしれんぞ?」
「違法クローンでも自我が確立してりゃ立派な人間さ。俺は人の尊厳を踏み躙るあの薬は大嫌いなんだ」
シユーハ軍で使われている自白剤は強い催眠効果によって情報を聞き出すだけでなく、ある程度の精神コントロールが可能で多少の記憶操作も行なえる為、稀に軍から持ち出された薬が犯罪に使われる事もあった。
この艦に左遷されて来た現警備部長は前の勤務先である収容所で度々自白剤を使って女性囚人などに性的な虐待を繰り返していたという噂が囁かれており、親しい者の中にそういった犯罪の被害者を持つ警備兵の一人はかなり不審の眼を向けている。
「強硬派の中でも随分上の方と繋がりがある人らしいな? あのデ部長」
「家柄だけなら士官学卒で即巡洋艦の艦長ってレベルの家らしいぜ?」
「うわー強硬派のエリートかよ、うちの艦長は講和派だったよな」
「ああ、副長は中央から派遣されて来てる人だけど……まあ、ノータッチだろうな」
栄養価の高いブロック状の質素な食事をとりながら『営倉を覗きに行こうか、止めておいた方がいいか』等と会話を続ける警備兵たち。と、その時――
『ミサイル群接近・緊急回避行動・回避不能コース2・シールド出力120%・着弾まで5・4・3・2・1――』
合成音声の警告アナウンスが一瞬途切れ、衝撃音と共に艦全体がぐらりと揺れて振動が走る。流れ弾か急襲か、敵艦からのミサイル攻撃を受けたシャーヴィット号は大きく船体を傾けながら、次の回避不能コースを来るミサイルをどうにか躱そうとスラスターを噴射する。
『ミサイル自爆・右舷外装甲30%剥離・後部スラスター破損・右舷ミサイル発射管全門破損・シールド出力75%・艦内に火災発生――』
次々と流れる被害アナウンスに、艦内の彼方此方で乗組員達が慌しく動き回り、食事中だった警備兵たちも消火活動の手伝いや負傷者救助の応援にダメージを受けた区画へ走りだす。
食堂に設置されている戦況モニターには、隣を航行中だった味方の護衛艦が火達磨になって爆沈する姿が映し出されていた。
「うーっわやべぇ! あと一発貰ったら沈むぞこれ」
「隔壁の下りてない場所は手動で下ろすしかないな。全員ヘルメットを装着、空気漏れに気をつけろ」
『四時後方より敵艦隊接近・照準レーザー照射警報・ミサイル群接近・緊急回避行動・回避不能コース5・シールド出力60%――』
「ぎゃーー! 詰んだーー!」
「ああ、こりゃ駄目か……」
絶望的な状況を淡々と告げる警告アナウンスに頭を抱えて喚く者、達観した表情でここまでかと呟く者。完全な奇襲攻撃を受けて、もはや脱出する猶予も残されていないシャーヴィット号の乗組員達は、誰もがここでの戦死を覚悟した。
「すまないね副長、こんなボロ船につき合わせてしまったばかりに……」
「艦長……御自分の艦を悪く言うモノではありませんよ? この船は、良い船です」
若きフェンナード艦長を最期まで補佐すると決めたミーシア副長は、そう言って優しく
着弾までの無機質なカウントダウンが進む中、船体の破損によって艦全体に広がっていた振動がふいにピタリと治まった。何か、温かい膜にでも覆われたかのように、艦内全域が穏やかな空気に包まれる。
「これは……? 揺れが治まったようだけど」
「はて、機関が停止した訳でも無いようですが……」
『4・3・2・1――着弾・船体に影響なし・シールド出力60%・対艦レーザー発砲確認・着弾・船体に影響なし――』
警告アナウンスは敵奇襲艦隊から次々と飛来するミサイルやレーザー砲の着弾を淡々と告げるが、同時にそれら攻撃による影響も無い等という在り得ない結果も淡々と告げている。メインモニターには次々と沈められていく味方支援部隊の壊走が映し出されていた。
「一体、何が……」
「っ……! 各ブロックに被害状況を報告するよう指示を出せ、整備班には脱出艇の準備を急がせろ!」
暫し呆けていたミーシア副長はフェンナード艦長の呟きで我に返ると、矢継ぎ早に指示を出して同じく呆けていたブリッジクルー達の目を覚まさせた。一斉に自分の仕事を始めるクルー達。やがて艦内の状況や被害報告が入り始める。
実質的な被害は最初に直撃したミサイルや自爆したミサイルによる装甲の一部破損と、幾つかの武装に不具合が出ている程度。
艦内各所で発生した火災も直ぐに消し止められたので、少々内装が焦げたくらいで済んでいる。火災で焼き切れた配線なども応急処置が施され、機能は十分に回復していた。他は乗組員に多少の怪我人が出たといった所だ。
「船体の破損箇所はどうなっている」
「空気漏れを確認したブロックは隔壁閉鎖で対処しましたが、今上がってきた報告によりますと亀裂は既に何かで塞がれているそうです」
「何か……、とは何だ?」
奇妙な報告に眉を潜めるミーシア。が、通信士も"何かで塞がれている"としか報告が来ていないので返答に困っている。
『敵艦隊更に接近・照準レーザー照射警報・対艦レーザー発砲確認・着弾・船体に影響なし――』
そのアナウンスに皆がメインモニターへと視線を向けると、クァブラの高速艦で編成されていると思われる奇襲を仕掛けて来た少数艦隊が、かなりの速度で真っ直ぐこちらへと向かって来ていた。
支援対象であった味方の遊撃艦隊は、これ以上の被害を抑える為に一旦距離を置く判断を下したらしく、この宙域から離脱して行く。艦長席に座り直したフェンナードはとりあえず現在の正確な状況を把握する事に努めた。
「支援部隊の他の船は?」
「殆ど逃げてしまったようですね、ここに残っているのは撃沈された艦と私達だけのようです」
「そうか。所で、さっきから砲撃を受けているようだけど……」
「現在調査中です」
メインモニターに映るクァブラの艦隊からは対艦レーザーによる幾重もの青白い帯が伸びて来ては、何度もシャーヴィット号に直撃しているようなのだが、まるでシミュレーション映像の如く着弾の効果が現われる事は無かった。
この不可思議な現象に、もしやこの艦はとっくに撃沈されていて、実は艦も乗組員も死後の世界にいるのでは? と、自分達の実在を疑う者まで現われ始めた時――
「あなた達って無茶苦茶な命の使い方してるのねー」
ブリッジに響いた声に皆が振り返る。
「さっきの光と爆発だけで二千人近く死んだわよ? なんかやけにペラペラの魂も多かったけど」
今朝方ブリッジに降って来てフェンナード艦長を尻でノックアウトした密航者。この艦と同じ名を持つ謎の女性、シャーヴィット・ガルデの姿があった。
「保安部に警備兵を寄越せと伝えろ! 密航者がまたブリッジに来ているぞ!」
直ぐに反応して銃を抜いたミーシアがフェンナードを護る立ち位置に素早く陣取ると、シャーヴィットを威嚇しながら指示を出す。そんな彼女に、まあまあ落ち着いてと両手を広げて見せたシャーヴィットは、メインモニターに映るクァブラの艦隊に視線を向けた。
「うーん、他所の戦争に介入するのは"
人差し指で下唇をつんつん押し上げながらそんな事を呟いたシャーヴィットは、この巨大な鉄の船を覆わせてある保護の魔法を継続する為に必要な魔力と、
「うん、何とかなりそう、かな?」
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