第435話 お願い、私に見せて:前
分厚い灰色の雲を切り裂いたのは、黒い雷光だった。
それはまるで世界に入った亀裂のようで、事実、空間に割れ目が生じていた。
「……あれは?」
最初に気づいたのは、夢莉だった。
さほど高くない場所に幾つかの人影が見て取れる。
小さな人影が二つ。
あれは確か、金鐘崎アキラ。それから、佐村美芙柚。……ミフユちゃん!?
まさか、という思いが意識と全身とを突き抜けていく。
頭の中にサッと浮かぶ、最悪の予感。それは一秒を待たずに現実のものとなる。
ミフユに続いて現れたのは大柄な青年だった。
その姿を目にした瞬間、夢莉の心はピシリと凍てついて何も考えられなくなった。
もう彼女には、そこからさらに表れ出たクラマやマリエは見えていない。
動かなくなった夢莉は、あの青年――、リリス・バビロニャしか見えていない。
だが、彼女の気持ちに関係なく、状況は前へ進んでいく。
ミク・ガイアルドが造り出した『異階』での戦いは、ここに最終局面を迎える。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
仁堂小学校じゃん。
いや、現場に到着したんですけどね、俺達。
そしたら、仁堂小学校なのよ、辿り着いた場所が。
ミクが眷属符を使って造り出した『異階』は、俺達の小学校を模してるらしい。
『見てください、屋上!』
空に出た俺の耳に届くのは、マリエからの魔力念話。
彼女が指さす先――、屋上の一角に三つの人影があるのがわかる。
『こりゃまた、随分よわかりやすいトコにいらっしゃるねぇ~』
クラマの言葉に俺もうなずく。ミクに、ケンゴに、夢莉もいる。
なるほど、イオが言ってた通りクライマックス真っ最中って感じのようだ。
『みんな、降りるわよ!』
夢莉達の姿が見えるなり、ミフユが真っ先に飛び出していく。
おやおや、随分と切羽詰まった顔してましたねぇ、ウチのカミさんってば。
「どうでもいいを連呼してたクセになぁ」
ちょっと笑うわ。
『おまえら、行こうぜ~!』
『はい、アキラさん』
『おじいちゃん、了解!』
かくして俺達はケンゴとミクが向かい合っている中を、ダイナミックお邪魔する。
「あれ、あれ、あれれぇ~~~~?」
屋上に降り立つと、まず聞こえたのは何とも懐かしい声だった。
「佐村さんに、金鐘崎君だ! わ~、久しぶりだね~! 私を見に来てくれたの?」
両手をパンと打って、嬉しそうに笑う枡間井未来――、ミク・ガイアルド。
だが、その姿は俺が知っているミクでありながら、随分と様変わりしていた。
「おまえ、その姿……」
額に、頬に、首筋に、腕に、おそらく服に隠れている全身におびただしい数の瞳。
数えれば百を越えそうなそれは、間違いなく、異能態が使われた証だった。
「――『
俺達の登場にも動じず、ミクを見据えたままのケンゴがその名を教えてくれる。
「姉者の異能態だ。能力は『結末の削除』。自分にとって不都合な『結末』を現実から削除して、なかったことにできる。いわば『無限にやり直せる能力』だ」
「な、何ですか、それは……!?」
聞いていたマリエが顔色を変えて声を漏らす。
何でもやり直せる、ってワケではないのだろう。おそらくは任意の『結末』のみ。
それを踏まえて、俺はケンゴに確かめる。
「今は、どんな『結末』が削除されるんだ?」
「姉者の死だ」
なるほど、非常にわかりやすく、そして厄介な設定だ。
異能態が発動している今のミクは事実上の不滅。何をしても殺せない存在、か。
タマキの『神討』でも滅ぼせるかどうか怪しいなぁ、こいつは……。
「それで――」
傍らに自身の異面体である『
「おまえ達は何をしにここに来た、アキラ・バーンズ」
「何って、そりゃあ決まってるだろ」
俺は右手にガルさんを構え、エンジュが『
「一応、おまえらを助けに来たんだよ。そこの小娘とは俺も無関係じゃないんでね」
言ってミクを睨みつけると、百の瞳をギョロリと剥いて聞こえるのは笑い声。
「キャハッ! キャハハハハッ! そっかぁ、夢莉ちゃんとケンゴちゃんを助けに来たんだね! そうだよね、夢莉ちゃんもケンゴちゃんもザコだもんね。ザコのザコだもんね。ザコのザコのザコだもんね。助けが必要なの、わかるよ。私、すごくわかるよ! キャハハハハハハ、キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
「もはや懐かしいぜ、その笑い声と、どこまでも人をナメ腐ってる物言いと……」
本当に、俺から『異階放逐』という仕返しをくらっても全然変わっちゃいねぇ。
いや、下手するとそれで『真念』に至りやがった可能性もあるな、これ。
「姉者の『真念』は『
ケンゴがそれも教えてくれる。プライド。プライドかァ~。
「それは、非ッ常~にわかりやすいなぁ……」
自己愛と自尊心。ミク・ガイアルドの精神は、それだけで完結している。
だからこそ他者を見下すことしかしない、至高の高慢ちきができあがるワケだ。
「異能態を使ってるとなれば生半可じゃ勝てないだろうが、俺達が加われば――」
「おまえ達は、手を出すな」
だが、ケンゴから帰ってきたのは、拒否の言葉だった。
「おまえ達はお嬢さんの方を助けてやってくれ。姉者は俺が相手をする」
「オイオイ、おまえ、さすがにそいつは――」
俺は抗議しようとして、ケンゴの方を向く。そして、気づいた。
「ケンゴ、その目は……」
ケンゴは目を閉じていた。
いや、違う。目が潰れてるのか、これは。目の部分に傷が刻まれている。
「ぁ、あ。た、高市の、目……!」
そこに聞こえてくるのは、夢莉の弱々しくも激しく震える呻き声。
同時に、ミクが笑い声を場に盛大に弾けさせた。
「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! ケンゴちゃんはね、夢莉ちゃんに言われたんだよ。『私を見ないで』って、バカな夢莉ちゃんにそう言われたの! だからケンゴちゃんは『封じの短剣』を使って、自分の目を潰しちゃったんだよ! おかしいよね、バカだよね、本当にケンゴちゃんはバカみたいだよね!」
「『封じの短剣』、だぁ……?」
そいつは、俺がミクに使った『無力化の魔剣』の亜種じゃねぇか。
一回きりしか使えないが、斬った部分を封印して二度と使えなくする魔剣だ。
「ケンゴ、おまえ……」
「お嬢さんのせいじゃない。あの人を守り切れなかった俺のケジメだ」
全回復魔法を使っても癒しきれない傷を目に刻み、ケンゴは淀みなく答える。
「そんなどうでもいいことよりも、お嬢さんを頼む。だいぶ弱っているんだ」
「あ、あなたはどうするのよ……?」
変わらずに夢莉を助けてくれと言うケンゴに、エンジュが尋ね返す。
「今言った通りだ。俺は姉者の相手をする」
「それは、無茶です! 目も見えない状態で、しかもあの子は異能態を使って――」
「姉者の相手は、俺がする」
マリエが止めようとするも、ケンゴは言葉をかぶせて遮った。
今までになく強固なケンゴの姿勢に、マリエもエンジュも戸惑いの色を浮かべる。
「私達は、お二人を助けに参りました」
そこに踏み込んだのが、リリス義母さんだった。
「リリス・バビロニャか」
「はい、そうですよ。ケンゴ・ガイアルドさん」
義母さんがうなずくと、その声を聞いていた夢莉がビクリと身を震わせる。
やはり、そういう反応にはなるか。
彼女にとって義母さんはまだまだ特別な存在のようだ。今はマイナスの意味で。
「何故、わざわざ来た。俺達のことなど放っておけばよかっただろうに」
「私個人はあなたと夢莉さんに思うところはございませんのよ」
リリス義母さんは、夢莉についてバッサリと言い切った。
いっそ清々しい反応だが、それでも夢莉の体の震えは止まっていない。
「ですが、夢莉さんはミフユちゃんとも無関係ではないでしょう? ですから、こうして助けに参りましたの。ご迷惑だったでしょうけれど、ご容赦くださいませ」
「いけしゃしゃあと……!」
実に穏やかな調子で言う義母さんに、ケンゴは忌々しげに舌を打つ。
そりゃ『別に私はどうでもいいけど』とか言われたらそういう反応にもならぁな。
ま、俺個人としてもこの二人のことはどうでもいいんだが。
だけど、ミフユがな~……。
「叔母様」
床に這いつくばり、塞ぎこんでいる夢莉を、ミフユが上から見下ろしている。
「随分と見すぼらしい姿になったわね。どうしたのよ、佐村夢莉ともあろうものが」
「ミ、ミフユちゃん……」
夢莉は、完全に怯え切っている。
その身は震え、瞳は揺れて、顔色は青ざめてしまっている。
それは俺が知る佐村夢莉とは随分とかけ離れた姿だ。
このミク・ガイアルドの『異階』の中で、どんな仕打ちを受けてきたのか。
仁堂小学校で『まーくん』とやり合った俺には、容易に想像できた。
それは『ふゆちゃん』であったミフユも同じことだろう。
「喜びなさいよ、佐村夢莉。後見人のあんたがいなくなると困るから、助けに来てやったわよ。あのミクはこれからウチの連中がどうにかするわ。よかったわね」
ミフユは、何が気に入らないのか随分と高圧的だ。
それに、だが夢莉は何も言い返せずにミフユを見上げていた顔を再び俯かせる。
「…………」
そしてそれっきり、夢莉は何も言わなくなる。
ミフユはそんな彼女をさらに数秒見下ろし、舌を打ってこっちを向いた。
「アキラ、ミクを――」
「手を出すな」
言いかけるミフユだったが、それを、ケンゴが阻んだ。
「何度も言わせるな。姉者の相手は俺がする。おまえ達は一切、手を出すな」
「ケンゴ、あんたね……」
俺達の助力を頑として拒もうとするケンゴに、ミフユもイラ立ちを浮かべる。
「何を言ってんのよ、あんたは。相手は異能態を使ってるのよ? 異面体だけじゃ対抗できないのは知ってるでしょ? 大人しくアキラ達の力を借りなさいよね!」
「断る」
ミフユが怒声を響かせても、ケンゴの答えは変わらなかった。
それを、ミクがまた嘲る。
「キャハハハハハハハハハ! 仕方がないよ、ふゆちゃん。だってケンゴちゃんはバカなんだもん。自分の実力も弁えてない、おバカさんなんだもん。だから何を言っても無駄だよ! わかりっこないよ! 頭が悪いんだから、ケンゴちゃんは!」
「うるさいのよ、ミク! 今のわたしを『ふゆちゃん』とか呼ぶんじゃないわよ!」
ミクに八つ当たりするミフユを見ながら、俺はケンゴに理由を問う。
「ケンゴ、何でだ?」
「…………」
返ってくるのは無言。
しかし、俺は諦めずに重ねて目を閉ざした巨漢に問い続ける。
「おまえは基本的に合理性を重んじる性格だと思ってたが、どうしてそこまで俺達の協力を拒もうとする。ミクを仕留めるなら、俺達がいた方が効率がいいはずだ」
いや、効率がいいどころの話じゃない。
異能態がある以上、ミフユの言葉通りケンゴだけではミクには勝てない。
ケンゴ自身、それを理解していると思うのだが――、
「俺は頼んだんだ」
やっと、ケンゴが口を開く。
「……頼んだ?」
「そうだ。お嬢さんに、俺を見ていてくれと、頼んだんだ」
ケンゴが言う。それこそが理由の本質。そう俺に悟らせる一言を。
「お嬢さんが俺を見てくれている。ならば退けない。絶対に退いてなるものか。合理性を欠こうとも、可能性が閉じていようとも、この戦いだけは俺の手で完遂する」
「バカ言ってんじゃないわよ!?」
ミフユが、顔色を変えてケンゴに向かって声を荒げる。
「そんなの、ただの自殺行為じゃない! 変に意地張ってるだけじゃないのよ!」
「そうだ、これは俺の意地だッ!」
だが、ケンゴはミフユを大きく上回る声量でそれを認めてしまう。
「おまえ達には感謝している。だが頼む、この戦いだけは手を出さないでくれ。お嬢さんが見てくれているこの戦いは、姉者を相手にしたこの戦いは――」
ケンゴ・ガイアルドが、右手にダガーを握って決意と共に俺達に告げる。
「この戦いは、俺の戦いだ」
不覚にも、俺はちょっとだけケンゴをカッコいいと思ってしまった。
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