第425話 見られたい、見られたくない

 ――夢莉視点にて記す。


 何だ、この状況は、と、彼女は思った。

 自分の初恋が破れた直後で、心は重く沈み切っていた。絶望に浸っていた。


 そこに、突如として現れた『おでん』。

 そう、おでんである。大根と卵。頭が大根と卵の二人だ。


 え、何これ? 何これ? 何これ?

 夢莉は混乱した。

 混乱する以外に何ができたというのだろうか。


 だが、大根の方がいきなり謎の会に入れと迫ってきた。

 これは、異様な迫力があった。得体の知れない圧に、夢莉は震え上がった。


 周りの誰も、自分を助けてくれそうにはなかった。

 きっと自分が周りの人々の立場だったら、同じ選択をしただろう。


 誰が、駅前でおでんを煮込んでいるおでんに関わりたいというのか。

 せっかくのおでんなのに、外気に晒されてはその匂いも飛んでしまうだろうに。

 いや、違う。そうではない。


 とにかく、夢莉は恐れた。逃げたくなった。

 しかし、失恋のダメージは彼女の心身を打ちのめしていた。足がすくんだ。


 自分はどうなるのか、そう思ったとき、高市堅悟がその場に現れた。

 高市の登場は、タイミングだけ見れば明らかにおかしい。


 夢莉が通常の状態であれば、必ずやそこに目が行くだろう。

 しかし、今の彼女のメンタルは平常には程遠い。


 だからその点には気が及ばなかった。

 ただ、そこに立っていたのがフルアーマー高市だったことは衝撃だった。


 磨き抜かれた鉄の光沢を見せつける全身甲冑。

 映画に出てくる富豪の家に飾ってあるような鎧そのままで、だが、高市だった。


「え、その声、高市? ……高市!?」


 と、夢莉がなるのも無理はない話だった。

 謎のおでん二人組から自分を守ろうとしているフルアーマー高市。


 シチュエーションだけを見れば、自分が守られている側なのはわかる。

 しかし、目の前にある光景が異次元すぎて、何が起きているのかわからない。


 いや、理解できそうだとしても、夢莉の頭の方が認識を拒む。

 高市の登場まではただただ驚かされるばかりであった。


 しかし、少し時間が経過して、夢莉は思ったのだ。

 もう全てがどうでもいい。何が起きても自分には関係ない。自分には。自分など。


 そう思えば、目の前のおでんも、フルアーマー高市も、何でもよいように感じた。

 それは対岸の火事か、それ以上に遠い場所での出来事であるような。


 何にしろ、放っておいてほしい。

 リリスに騙され、愚かな妄想を踏み砕かれた自分もまた、どうでもいい。


 誰にも気にされたくない。

 誰もが自分を放っておけばいい。

 こんな愚かで恥ずかしい自分、自分自身で嫌気が差す。


 だから、関わりたくない。何者にも、何物にも、関わりたくない。

 注目されたくない。関心を寄せてほしくない。見られたくない。見られたくない。


 ……私は、誰にも見られたくない。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――ケンゴ視点にて記す。


 ケンゴ・ガイアルドにとって『見られること』は禁忌に近い。

 視線は死線。

 幼い頃に刻み込まれたその概念は『出戻り』した今となっても、彼を縛っている。


 異世界では、技を修めて十二歳で逃げ出した。

 以降、大陸の反対側で要人護衛を生業としてきた、ケンゴ・ガイアルド。


 彼は優秀だった。

 彼は、ひどく優秀だった。


 人々から噂こそされど、その実情を掴まれることはほとんどなかった。

 ついた異名が『岩にして草』。

 彼はどこにもいなくて、どこにでもいる。そういう意味を込められた称号だった。


 その異名に、ケンゴは特に何も感じていない。

 人に見られないためには、名前など不要とさえ考えていた。


 生きていくためには金が必要で、それを得るために依頼のままに護衛を続けた。

 自分への仕事の斡旋は、とある情報屋に一任していた。


 それすらも、ケンゴにとっては危惧の種だったが、そこは飲み込んでいた。

 その情報屋は信頼に足る人物で、一度もケンゴの素性を明かすことはなかった。


 異世界においては、ケンゴの本名を知られたのはその情報や以外では一度きり。

 かの『鉄人にして超人』、タマキ・バーンズを相手取ったときのみだ。


 あの女は本当にバケモノだった。

 のちに『神滅ぼし』を成し遂げたと聞いたときは、驚くより先に納得したものだ。


 だが、結局彼女とは決着はつかないまま、ケンゴは異世界で死を迎えた。

 生きていくのに十分な金を稼いだあとは何もしなかった。


 誰もいない場所で、誰にも見られないまま、誰にも知られずに生きて、死んだ。

 それはきっと、当時のケンゴ・ガイアルドにとって幸せな死だった。


 そして、今。

 ケンゴは初めての衝動に悩んでいる。


 生まれて初めて、人に『見られたい』と思ったのだ。

 その衝動を、人は『恋』と呼ぶ。あまりにも遅い初恋だった。


 相手は、自分を護衛として雇った佐村夢莉。

 彼女のどこに惚れたのかと問われれば、ケンゴは言葉を濁すほかない。


 恋をすること自体初めてで、そんな自分に戸惑っているのが、今の彼なのだ。

 ただ思うのは、自分は佐村夢莉という人物を守り続けていきたい。


 強く、強く、そう思っている。

 きっかけは何だったか、あまり覚えていない。


 ただずっと彼女を近くで見続けてきて、そう思うようになった。

 どこまでも真っすぐであろうとする彼女に、自分にないものを感じたからか。


 だが、その夢莉もまた恋をした。

 相手はリリス・バビロニャ。名は知っていた。


 何故かこちらの世界では男性だったが、夢莉が見初めた相手なら仕方がない。

 苦しくもあった。悲しくもあった。

 しかし、このときはまだ彼自身、夢莉への恋心を自覚できていなかった。


 ミフユにそれを指摘され、初めて彼は自分の想いを知った。

 だが、過去の傷より一度は夢莉を諦めようとしたが、そこにケントが現れた。


 あのタマキ・バーンズの恋人で、自分と同じく相手を守れなかったという、彼。

 そのケントに背中を押された。いや、背中を蹴りつけられた。


 そして、ケンゴは心を決めた。

 夢莉のそばにいたい。夢莉に自分を見てほしい。


 一度自覚すれば、それはどんどんと膨張していく。

 チンピラマッチポンプなる作戦に乗ったのも、夢莉に自分を見てほしいから。


 そのために、全身甲冑も着た。

 これはヤジロのアイディアだったが、目立つという意味では有効なように思えた。


 そうだ、自分が目立てば、夢莉はこっちを見てくれるかもしれない。

 と、子供じみた考えを真に受けてしまうのが、この方面におけるケンゴの現状だ。


 周りからはふざけているようにしか思われないだろう。

 だが、彼は本気だ。ケンゴ・ガイアルドは、いたって本気だ。


 ……俺は、あなたに見られたい。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 枡間井未来ますまい みくは、そこに現れた。


「チッ、マジかよ。いくらなんでも想定外だぜ!」


 俺は、急ぎ現場へと向かっていく。

 すぐ後ろに、タイジュとクラマはついてくる。


『親父さん、あの女の子は一体?』

『俺の同級生で、暗殺者で、ケンゴの姉で『無音にして無残』だ!』


 魔力念話で尋ねてくるタイジュに、俺は未来について端的に説明する。


『わ~ぉ、あれが噂に聞く大陸随一の暗殺者ちゃんか~い?』


 クラマの声にも、さすがに余裕がない。


『あのケンゴさんの姉ってのはわかりましたけど、それがいきなり、何で?』

『知らねぇよ。俺が教えてほしいわ!』


 大体、何であいつが現世に復帰してんだよ!

 枡間井未来は俺の仕返しによって完全無力化した上で『異階』に放逐した。


 あいつ一人の力では、永劫、現世に戻ってこれないはずだ。

 なのに、どうして。

 誰かが力を貸したとでもいうのか。仮にそうだとして、一体誰が――、


『親父さん!』


 タイジュの声によって、俺の思考は寸断される。

 同時に、偵察用ゴーグルを通して見る現場の方にも、変化が生じていた。


 その場にいる全員が未来に気づき、驚きを露わにする。

 そして、未来はその手から何かを取り出し――、金属符か? いや、違うッ!


『何だろうねぇ、あの透明な金属符みたいなのは~?』


 未来が取り出したものについて、クラマが言及する。

 俺は、それに見覚えがあった。


『……あれは『眷属符けんぞくふ』だ!』


 俺が念話で叫んだ瞬間、未来と夢莉、ケンゴの姿がその場からフッと消える。

 直後に、俺達は銅像前に降り立った。


 だが、そこには何もない。

 あるのは、大根と卵と、グツグツとおでんが煮える音。


 俺はとりあえず下からトモエが持っているコンロにアッパーをくらわせた。

 衝撃で土鍋がひっくり返って、中のおでんがヤジロにぶちまけられる。


「ウオオオオオ!」

「ああ、マスタ~!?」


 煮えてろ、バカ共。

 のたうち回るヤジロを放置して、俺はもう一度辺りに視線を配る。

 やはり、そこに未来たちの姿はなく、金属符も貼られていない。


「未来のヤツ、あのバカの眷属になったのか……」

「親父さん、それは、誰のことです?」


 タイジュに問われて、俺は苦々しさと共に答える。


「ギオだ」

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