第111話 二日目/湖畔/朝食を抜くヤツは万死に値する
キャンプ二日目の朝だー!
「クソッ! 暑いィィィィィィィィ――――ッ!」
オイオイ、こいつはどうしたことだぜ。
朝から随分と太陽ギラギラじゃねぇのさ、なぁにこれェ? え、なぁにこれェ?
「今の気温、三十四度ですって……」
「それは太陽の表面温度か何かじゃねぇのか?」
ミフユの言葉をまるっきり信じられない俺。
日本の気温なんですか、三十四度って。ウッソだー、え、マジで?
「あー、ところで雨降りそう?」
そう尋ねると、ミフユは無言で空を指さした。
青! 空! 晴! 天! とばかりに夏の空が広がっております。遠くに入道雲。
「しばらくは降らなさそうだなー……」
シイナの七星句の『大雨』が気になったけど、今のうちは関係なさそうか。
夕方か夜辺りの話なのかもしれん。今後、何かが起こるとしたら。
と、考えている俺の頬を汗がつつつと滑り落ちていく。
や~、暑い暑い。ここでこんな暑いなら、街じゃどんだけだか。想像したくねー。
今日一日この暑さと考えると、これは朝メシをガッツリ食わねば。
というワケで野外の食堂に移動した俺達はこれから朝食をいただくところだ。
朝の食事は全ての始まり。朝食を抜くヤツは万死に値する。
「さぁ、キャンプ二日目の朝食は何かなー!」
「カレー」
うぇああああああああああああああああああああああああああ――――ッ!!?
「何で、何でカレー!?」
それは昨日の晩メシに食べたじゃないですかァ!
「昨日のカレーが結構残ってるのよ。みんなで食べきっちゃいましょー、ですって」
早速ホカホカのカレーライスを見せてくるミフユに、俺はドンビキする。
うぉぉ、青い空の下で見る辛口カレーは、また一段と赤みがかって見えるぜ……。
「おかしくない? タマキいるのにおかしくない!?」
皆様ご存じ我らが腹ペコ娘のタマキさんがいればカレーなんぞ残るはずが!
「そのタマキが、あんまり食べなかったのよ……」
今、明かされる、あれだけ濃密だった初日の裏で起きていた衝撃の新事実……!
「え、それは大丈夫なの?」
朝メシよりもそっちの方が心配になってしまうんですけど、俺。
「まぁ、大丈夫なんじゃないの? 別に本人の様子が変わったワケでもなし」
「様子は変わっていないけどカレーはあんまり食べなかった、と?」
「そうそう。あの子、カレー大好きなのに、何でかしらね?」
「俺と同じで辛いの苦手だからでは?」
「そんなワケないじゃない、あの暴食の権化が」
うわぁ、自分の娘にそこまで言うか、……言われても仕方がないか、タマキなら。
「で」
と、ミフユがこっちをジロリと睨む。
「さっさと朝ご飯食べてくれない。片付かないのよね」
「ぐぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~!」
会話による引き延ばし作戦も、ここまでかぁ!
とはいえ、朝食抜きはあまりに大罪。ここは、観念するしかあるまいか……。
「ご飯8、カレー2でお願いします……!」
「あんたも変なところで往生際が悪いわね。ま、5:5だけど」
アビャアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ――――ッ!?
「ミフユ様、お慈悲を! 何卒、お慈悲をォ~~~~!」
「ダメ。お義母様から、あんたにしっかり食べさせるよう言われてるの。覚悟!」
何で、朝から覚悟キメなくちゃいけないんですかァァァァァァァ――――ッ!
「二日目のカレーだから昨日より美味しいわよ」
そう言ってウインクし、ミフユがカレーライスを渡してくれる。
軽く湯気が立つそれを見ると、とても美味しそうで、そして辛そうだった。
「……いただきます」
俺は、胸の内に辞世の句を読みながら、死んだ目でスプーンを握った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
朝から暑い二日目は、午前中から湖で泳ぐことになった。
テントの中で水着に着替えて、砂浜のようになっている湖岸へと皆が出ていく。
「いっくよぉ~!」
紫のビキニという、なかなか着るものを選ぶ水着をつけたスダレが声をあげる。
彼女の手には、ビーチボール。
となれば行なわれるのは、競技ではない方のビーチバレーだ。
「そーれ~! ありゃ~!」
しかしスダレ、コケる。盛大にコケて、サーブ失敗!
「もぉ、何してるんですか、スダレ姉様。ボール貸してください、ここは私がお手本を見せてさしあげますよ! このシイナの華麗なボール捌きを見ていてください!」
バーンズ家の野生児筆頭、シイナが鼻息も荒く受け取ったボールを構える。
「行きますよ~、そ~ッ、……わきゃあ!?」
そしてシイナ、コケる。盛大にコケて、サーブ失敗!
「アッハ、何やッてンのさ、シイナ姉ッ! ッさけねぇな~!」
「うるさいですよ、タクマ君! 今のは……、そう、ウォーミングアップです!」
腹を抱えて笑うタクマに、シイナが顔を赤くしつつ叫ぶ。
ふと、スダレが言った。
「えぇ~? 魔法で滑るのもウォーミングアップの一種なんだぁ~? 初めて知ったよ、ウチ~! おシイちゃんはすごいね~! そんなことも知ってるんだね~!」
「フフン、庶民派と知性派は両立するのです――、って、魔法?」
腕組みして得意がろうとしたシイナが、スダレを見る。
スダレは無言でタクマを指さした。シイナも、その指が示す方へと目をやった。
「あ、ヤッベ……!」
タクマはそう言うと、すぐさま逃げようとする。
「
「ぬわッとォ~!?」
シイナの魔法によって足を滑らせ、タクマはその場に転倒する。
そのコケ方は、まさに今のシイナと全く同じであった。
「何ッすんだよ、シイナ姉!」
「それはこっちのセリフです! くらいなさい、ごく普通の庶民派サーブ!」
「名前の時点で普通じゃなッゲッフゥ!?」
シイナの全力サーブが顔面に直撃し、タクマが撃沈する。
それを見て、シイナが胸を張り、スダレがキャッキャとはしゃいだ。
「おシイちゃん、うぃん~」
「ヌッハッハッハ、見ましたか! 正義と普通の庶民派は強いのです!」
シイナの高笑いは、大岩に座ってボ~ッとしている郷塚賢人にも聞こえていた。
岩は強い日差しに焼かれているが、それはさして気にならない。
というか、何だか全てがボンヤリしていた。
結局、テントに戻ってもロクに寝ることもできなかったし。
「……何してるんだろうなぁ、俺」
せっかくのキャンプ。せっかくの湖。せっかくの水着なのに、やる気が起きない。
ただ岩の上にあぐらをかいて、皆の様子を眺めているだけでいい。
そんな風に思うのは、心が疲れているからかもしれない。
今朝、さりげなく颯々に確認してみたが、ケントが叫ぶまで寝ていたという。
では自分が見たものは、結局は幻でしかなかったのか。
そんなものを見てしまうほどに、自分は追い詰められているのか。
「もう、わかんねぇ……」
虚ろに呟き、岩の上に大の字になって寝転がる。
湖から流れてくる風は冷たく、背中に感じる岩の表面は温かい。チグハグだ。
わずかに開けた口から漏れ出る、ため息にもならない吐息。
昨日、アキラから今の自分は郷塚に寄ってると言われたが、それを実感している。
この全身を冒すけだるさは、郷塚健司が健在だった頃、毎日感じていたものだ。
無力感。何をしても無駄という無力感。
どうあがいたところで、自分には何もできないという無力感。
まさか『出戻り』をしてまで、それを感じる羽目になるとは思いもしなかった。
自分の中には、確かに傭兵として生きた三十年弱の記憶があるはずなのに。
「こんな弱かったか、俺……?」
そんな自問が、開いたままの口から漏れ出る。
水着姿の菅谷真理恵が上から彼を覗き込んできたのは、その直後。
「……大丈夫、賢人君?」
「うわぁああぁ! す、菅谷さん!?」
さすがにビックリして身を起こす。真理恵は、変わらず心配げな様子だ。
「みんな、楽しんでるわよ。どうしたの? 気分が悪いの?」
眉を下げて、彼女は首をかしげる。
いつものケントなら、そこで真理恵の優しさに感動したか、ドギマギしただろう。
しかし、今の彼が真理恵に対して覚えた感情は――、
「いや、何でもないです」
苛立ちだった。
真理恵を対象とした苛立ちではない、それは自己嫌悪の近縁。自分への苛立ちだ。
心配してくれる真理恵に、その心配は自分が弱いからだと思ってしまった。
ケントは弱いから、真理恵は心配しているだけ。そんな考えが浮かんでしまった。
卑屈だと思った。情けなく、そしてみじめな考えだ。
そんな自分に苛立ち、腹が立って、真理恵に返す声も硬くなってしまった。
まるで、八つ当たりのように。
「……すいません、実はちょっと寝不足で」
陰鬱にため息をついたのち、ひとまずそう言い訳しておく。
そんなケントの反応を真に受けたか、真理恵は屈んで、目線を彼に合わせてくる。
「悪い夢でも見たの?」
「いや、ぁ、あ~……、そう、っすね。そんなところです……」
一瞬否定しかけたが、やめた。
真夜中の出来事は、ほとんど悪夢と変わらない気がした。
「ちょっとこっちで休んでから、すぐ行きます。一緒に遊びましょう」
「そうね。でも、本当に寝ちゃダメよ? せっかくの楽しい時間がもったいないわ」
「はい、わかってます。ありがとうございます」
そう言って、手を振って湖に戻る真理恵を見送った。
その先に、何故かちゃっかり参加している水着姿の颯々がいた。
一瞬ギクリとしたが、颯々はこちらを見もせず「センパ~イ!」と真理恵に寄る。
やはり、自分が見たものは幻なのか。いや、幻、なんだろうなぁ……。
岩の上に再び座り込んで、ケントは静かに目を閉じる。
耳の奥に、真理恵が言った『楽しい時間』という言葉が幾度もリフレインする。
「……何しにここに来たんだっけな、俺」
その呟きは小さく、そして彼を一層暗い気持ちにさせるものだった。
風に、体が冷えていく。心はすでに、冷え切っている。
――そして背中にも、冷え冷えの冷えが押しつけられる。
「んわぎゃアァ!?」
なかなか個性的な悲鳴をあげて、ケントは背中を弓なりに反らした。
「アハハハ、すんげぇ声だなぁ、ケントしゃん!」
「……お嬢」
いつの間にか、そこにタマキが立っていた。
手に持っているのは缶ジュース。表面に浮かぶ水滴が、冷たさを表している。
「な、何するんですか……。ビックリした、冷たかったぁ~」
「なんか腑抜けてるから、活を入れてやったんだぜ!」
入るかぁ! そんなモンで活が入るか! 逆に心臓止まりかけたわ!
と、思いはしたが、叫ぶ気力はなくて「そっすか」というだけのケントの返答。
「ん~、本当に元気ないな? 大丈夫? ケントしゃん?」
「いや~、ちょっと寝不足で……。この暑さじゃないすか。それで」
「え~? オレ、そういうのわかんねー。即寝できるから」
「何それ、チョー羨ましい」
思わず、ケントは真顔になってしまう。
「で、何の用事っすか、お嬢」
「ん~、用事っつ~かな~、え~っと……、あ、あのさ~……」
ケントに缶ジュースを渡し、タマキは何やらモジモジし始める。
身体を揺らすたび、一緒になって揺れる胸のおっきいのに、ケントは注目する。
心が疲れていても彼は中学生。
そういったものへの関心は、本能を超えて魂レベルで焼きついていた。
って、さすがにこの場面でそれはない。と、彼は息をつく。
「なぁ、ケントしゃん、実はお願いがあるんだよ~、オレ」
こっちをチラリと見て言ってくるその仕草は、可愛くもあり、既視感もあり。
ああ、またなんかムチャ言ってくるぞ、という確信。
断るべきなのかもしれない。
今の自分では、どこまで対応できるかわかったものではない。
しかし、タマキを泣かすようなことはしたくない。
その一念が、結局は彼をうなずかせる。今の本音を誤魔化して。
「いいっすよ、何すか?」
「いいの、聞いてくれるの!? やったー!」
飛び上がって喜ぶタマキを見て、ケントも笑う。
彼は、忘れていた。真夜中に出会った、橘颯々に言われたことを。
『そうやって誤魔化したって、心の底にヘドロが溜まるだけですよ~? そしていつか溢れちゃうかも。最悪のタイミングで、環ちゃんを傷つける形で、ね……』
――三十分後の話だ。
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