第63話 虹色の夢はあなたを優しく包むでしょう

 山中の家を『異階化』させて、ハルノ・メリュジヌが声を高くする。


「おいでなさい、波留邇遠ハルジオン!」


 その声と共に、現れたのは虹色の鱗粉を散らす光の蝶。

 だがその大きさは実物のアゲハ蝶ほどで、威圧感のようなものは感じられない。


「私の子は、繊細なので」


 と、言いながらも、光の蝶はあっという間にその数を増やしていく。


「な、何だァ、これはァ~!?」


 仰天する龍哉だが、次の瞬間にはその体から力が抜けて、床に寝転がってしまう。

 ハルノが魔法で眠らせたか。


「少しだけ待っていてね、龍哉さん。すぐに終わるから。あなたは私が守るわ」


 龍哉に向かって言うハルノの声は、まさに愛するものへの甘い声。

 彼女がこれまで語った言葉に偽りはないのだと、その声音からも窺える。


「息子さんは、眠らせないでいいのかしら?」


 ミフユがそれを指摘すると、ハルノは「ウフフ」と笑って返す。


「この子は眠る必要はありませんよ、姐さん。ね、鷹弥」

「うん、お母さん!」


 元気よくうなずく佐村鷹弥。そして、その背に生える、大きな虹色の蝶の羽。


「その、羽根は……!?」


 息を飲むミフユに、ハルノは楽しそうに目を細めた。


「驚きました、ミフユ姐さん? この子は私と一緒です。私と同じ気持ちを共有してくれているんです。この子も龍哉さんを心から愛しているんですよ、ウフフ……」


 話題がズレている。

 だが、その言葉こそがハルノ・メリュジヌの真髄を表しているようにも思う。


「ああ、そう。なるほどね。あんた、鷹弥君と一緒に手首を切ったって言ったわよね。『出戻り』したときに、混じったのね。あんたの魂の幾分かが、鷹弥君に」

「そうかもしれませんね。そうじゃないかもしれません。どちらにしろ、今の鷹弥は私と同じ、佐村龍哉を心から愛する、家族なんですよ」

「アハハハハ、そうだよ! 僕はお父さんが大好きなんだ!」


 目をいっぱいに見開いて、鷹弥が蝶の羽を大きく羽ばたかせる。

 少年の体は浮き上がり、その周囲にキラキラと光る鱗粉が散っていく。


「ヤバ、ちょっとアキラ、タマキ、あの鱗粉は絶対に吸っちゃダメよ!」

「いや、無茶言うなよ。蝶がドンドン増えてる中で、それはさすがに難しいだろ!」

「風の魔法でも何でも使って防ぎなさいよ!」


 ミフユが余裕をなくして叫ぶが、なかなか厳しい注文だ。

 風の魔法も使ってみるが、しかし、宙を漂う鱗粉は吹きすさぶ風をすり抜ける。


「無駄ですよ、ミフユ姐さん。私のハルジオンの鱗粉は、魔法の影響も受けません。これは、本当は鱗粉じゃなくて空間への侵蝕なんです。ハルジオンの能力によって『異階』が徐々に蝕まれているのが、可視化しているだけなんですよ」

「何よ、それ……。じゃあ、このままじゃ……!」

「そうですね。逃げ場はありませんね。逃がすつもり、ないですけど」


 薄く笑うハルノ。

 その間にも、鷹弥の背の羽根と、数を増やす光の蝶が鱗粉を散らし続けている。


「何だ、こんなモン!」


 タマキがいきり立って、ハルノに向かって突っ込んでいこうとする。


「あ、バカ! タマキ!?」


 ミフユがそれを止めようとするが、遅かった。

 タマキは鱗粉が漂う空間へと突撃して、その身に直ちに異変が生じてしまう。


「うわ、ぅわぁぁぁぁぁ、な、何だよこれェェェェェ――――ッ!?」


 チラチラと瞬く光に触れたタマキの拳。

 その表面に、何やら小さな丸いものが泡のように連なって発生していく。

 見る者の生理的嫌悪を掻き立てるそれは、タマキの全身を急速に覆っていった。


「ぁ、ち、力が、入ら、な……」

「ちょっと、タマキ、タマキッ! しっかりしなさいよ!」


 龍哉同様に床に倒れ伏すタマキを、ミフユが何度も呼びかけた。

 だが返事はなく、間もなく全身が泡状の何かに包み込まれてしまった。


「ウフフ、虹色の夢はあなたを優しく包むでしょう。おやすみなさい、タマキさん」

「何をしたのよ、ハルノッ!」


 激怒で顔を赤く染めるミフユに、ハルノはさらに優越の笑みを深めた。


「愛です、ミフユ姐さん。タマキさんを、私の愛で包んであげたんですよ」

「何を、ワケわかんないこと……」

「ほら見てごらんなさいな。あなたの愛娘が、羽化するところを」


 ハルノが、泡に包まれたタマキを指さす。

 すると泡が弾けて、そこから次々に光の蝶が生まれ、虚空へと飛び立っていく。


「あ、ァ、あぁ……、そんな、タ、タマキ……」


 怒りも忘れ、ミフユは愕然となって声を震わせる。

 全ての蝶が飛び立ったのち、そこに残ったのは干からびきったヒトだったモノ。

 ハルジオンに生命力を吸い尽くされた、哀れな少女の成れの果て。


「タマキッ、タマキ! そんな、タマキィィイィィィィィ!」


 ミフユが涙をあふれさせ、タマキだったモノに駆け寄ろうとする。

 そこがすでに、鱗粉が舞い飛ぶハルノのテリトリーであることにも気づかずに。


「愚かです。『わたしがケリをつけるから』ですか。ウフフ、バカなひと」


 自分の娘の亡骸を抱きかかえ、同じように泡に包まれていくミフユ。

 そして、すでに先に泡に包まれていたアキラ・バーンズが、今、ミイラと化した。


「うあああああああああ、あああああああああああああああああああああああッ!」


 愛する家族を奪われ、今、己もまた命を吸われながら、ミフユが号泣する。


「私の家族に手を出そうとするから、こうなるんですよ。姐さん。あなたの想いは所詮は泡沫。私の愛に比ぶるべくもなく、脆く、儚く、弱く、価値のないものです」

「ああああああ……! うあああああああああああ、あ、ぁぁ……、あ――」


 ミフユの全身が、ついに泡に覆われ切ってしまう。

 嘆きは途切れ、体からも力が抜けて、タマキやアキラと同じく倒れた。


「私の愛に包まれて、永遠にお眠りなさい。その命は、私達の養分とします」


 泡がはじけて蝶が舞い、ミフユだったミイラが床に転がった。

 終わった。これで終わった。これで龍哉は、また自分達のもとにいてくれる。


「ああ、勝ったのよ。私達の愛の勝利だわ。ねぇ、鷹弥」


 ハルノは己の魂を分け与えた半身である息子の方へと向き直る。


「ぁ、ぁぁ、お、ぉ、かあ、さ、ん……」


 だがそこにいたのは、ミフユ達と同じく暴食の泡に覆われかけた息子の姿だった。


「……え?」

「おかあさん、お、ぉ、かあ、さ……、ぁ、ぶ……」


 驚き、棒立ちになるハルノの前で、息子は泡に溺れ、そして蝶が飛び立っていく。


「た、たか……ッ、あ」


 鷹弥を心配するよりも先に、恐怖がハルノの身を竦めさせた。

 先程眠らせた、龍哉。鱗粉の届かないはずの場所にいるの彼は、どうなった。

 恐怖に心臓を激しく響かせて、ハルノがゆっくり龍哉を見ようとする。


「た、たきや、さ……、ん……」


 脳裏に浮かぶ、泡に覆われて倒れた息子の姿。

 振り返りたくない。見たくない。確認したくない。でも、でも龍哉が……!


 幾度もリフレインされる、光の蝶が飛び立つ光景。

 震える体。乱れる呼吸。心拍数は際限なく上がっていく。


 もし、龍哉が泡に溺れたら。

 もし、愛するあの人が自分の能力に命を吸われて死んだりしたら――、


「私は、わ、私は誰を、次は誰を……」


 誰をアイ支配すればいいというの――――!?


「…………。…………。…………あれ?」


 振り向いた先に、龍哉はいなかった。

 確かにそこにいるはずなのに、眠らせて、そこに倒れ伏したはずなのに。


 代わりに見えたのは、奇妙なハート形の水晶。

 中に、刻一刻と色を変える光を宿すそれが、何故か空中に浮いている。


「何、これ……」


 汗まみれの手を伸ばしてみる。

 だが、ハート形の水晶に触れる前に、指先が柔らかい何かに当たった。


『わたしに触って、何しようっての、ハルノ?』


 あり得ない声が、そのとき聞こえた。

 ハルノは目を丸くしながら、床に転がっているはずのミイラを見ようとする。

 だが、視線を投げかけたそこに、ミフユのミイラはなかった。


「あ、あぁぁ、あッ! ま、まさか、まさかァ――――!?」

『さぁ、そろそろお目覚めの時間よ』


 余韻を残すその声と共に、ハルノが見る世界に亀裂が入る。

 そして空間は爆ぜて、景色は砕け、ハルノの意識はようやく事態を理解する。


 そこは、さっきと同じ『異階』の中。

 だが、蝶は舞っていない。鷹弥も羽根を広げていない。龍哉も眠ってなどいない。

 タマキとアキラも健在のままで、しかしミフユだけが、その姿を変えていた。


 左胸に光を灯したハートの水晶を宿す、全身を透き通らせた美しい少女。

 それこそあらゆる『夢』を支配するミフユ・バビロニャの異能態カリュブディス


『――NULL/POINTERヌル・ポインタ

「そんな、夢……? 私が見ていたモノは、私の勝利は、全部……!」


 身をわななかせるハルノに、透明な少女は氷よりも冷たい声で告げた。


『虹色の夢はあんたを優しく包んだでしょ』



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ……本当に、久しぶりに見た。


 ミフユの異能態。NULL/POINTER。

 俺の異能態と違って、あいつのそれは発動条件がなかなか厳しい。


 あの形態になるには相手に対する『共感』を極限まで高まらせる必要がある。

 素の性格のミフユは、わかりやすいほど我が道を往くタイプだ。


 そのあいつが、他人に対して強く強く共感したとき、あの能力は発現可能となる。

 あらゆる『夢』を支配して、現実を塗り潰すNULL/POINTERが。


 自分の真実をまるで理解していない。

 きっと、ミフユがハルノに『共感』を覚えたのは、そこなのだろうと思った。


「まだ、まだよ。まだ終わっていないわ。いいえ、始まってすらいない!」

『もう終わってるわよ』

「黙りなさい、ミフユ・バビロニャ! 来て、波留邇遠ハルジオン!」


 ハルノが己の異面体を呼び出そうとする。

 しかし、何も起こらない。何も起こらないまま、五秒が過ぎ、十秒が過ぎた。


「……な、何で?」

『だから言ったでしょ。終わってるのよ、とっくに』

「まだ、まだです。ハルジオン! ハルジオン!」


 いくら呼び掛けても、ハルジオンなる異面体は現れない。

 どうやら俺もタマキも、彼女の異面体の姿も能力も知らずに終わりそうだ。


「何で、何でよ……、そんな、どうして!?」

『それが、今のわたしの能力だからよ』


「異面体を、封じることが……?」

『いいえ、今のあんたに『異面体を使えない』っていう『設定』を付与することが』

「…………はぁ?」


 バカげたことを言うミフユに、ハルノの顔から表情が抜け落ちる。

 だが、それは事実だ。

 異能態となったミフユは、空間や人物に自由に『設定』を付与できる。


 それは、半ば全能にも近い能力。

 しかも俺の『兇貌刹羅』と違って、あいつの異能態は『異階』を崩壊させない。


 最強ではなく、万能。いや、半全能。

 それこそがミフユ・バビロニャの異能態の能力だ。


『最期に一つだけ教えてあげるわ、ハルノ』


 収納空間から鈍く光るダガーを取り出し、ミフユがハルノへ断言する。


『あんたの言ってるお題目それ、別に愛でも何でもないから』


 そして、ミフユのダガーが、ハルノの胸を抉った。

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