第2話 お値段:煙草、酒>>>>>人命

 豚とお袋を蘇生させた。


「豚、煙草と酒買ってこい。金はおまえが出せ。お袋、掃除しろ」


 血がこびりついた椅子に座って足を組み、俺は床に正座させた二人に命じる。


「な、アキラ、てめぇ、誰に向かって……」

「うるせぇな」


 手にしたビール瓶で、反論しかけた豚の頭をブン殴った。


「ぎひゃあ!!?」


 豚が床に転がる。


「オイオイ、どっちが上かまだわかんないのか? そうか、筋金入りのバカかおまえ。わかった、死ね。いいぞ、おまえみたいなヤツでも俺は見捨てず調教してやるからな。何度でもその体に教え込んでやるよ」


 俺は椅子から降りて、また振り上げたそれを豚に見せつけた。


「ひっ」


 豚はサッと顔を蒼ざめさせ、両腕で頭を守るようなそぶりを見せる。

 椅子で殴られるのがトラウマになっているようだが、まだ刻みつけが甘いな。


 これは念入りにしつけないといけないなー。

 よーし、がんばって殴打だ。家畜のしつけは始めが肝心だからな。


「ほれ」

「ぎゃあ!?」


 殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。この椅子、本当に丈夫だなー。


「ほれ、逆らってみろ。ほら、さっきの威勢のよさはどこ行った、ん?」

「ひぃっ! や、やめろ、やめ……、やめてください、やめて、くださぁい!」


 俺が豚を椅子でボコボコにしている間、お袋は正座したまま動かずにいた。


「あれ、お袋は何で働かないの? どうして? 俺の指示、聞こえなかった?」

「は、ははっ、はいぃぃぃぃぃ!」


 お袋はすぐさま立ち上がって動き始める。うんうん、いい反応だ。

 言いつけにすぐに従う人間は、どの職種でも非常に好まれるし、重宝されるぞ。

 一方で、この豚。


「ま、待ってくれ……、い、行く。従う、だからもう……」


 鼻血をダラダラ垂らしながら、俺に泣いて懇願してくる。

 その様子は一見従順になったようにも見えるが――、


「わかってないなぁ、豚。もうそういうのは過ぎちゃったんだよ、おまえ」

「へ、ひ……?」


「今のおまえは、辛くて苦しいから、それから抜け出すために必死に俺に媚びているに過ぎないんだ。余裕がなくなったから、選択肢がなくなったから、残された選択肢を選ぶしかないっていう状況だ。……それじゃあダメだ、全然ダメだね」

「そ、そんな……、どうして、どう、すれば……?」


 涙を流す豚に、俺はニッコリ微笑んで、こう返した。


「おまえはさっき俺に逆らったので、これから殺します」

「はぁ!?」


 いいね、そのいかにも愕然、って感じの反応。あー、笑うわ。


「傭兵には『一罪一罰、一死一償』って言葉があります。意味わかる? 一つの罪には一つの罰、一つの罰とは一つの死、一つの死にて一つの償い。ってことで、どんな罪も死んで償わされるってことでーす。おまえは俺に逆らいました。死ね」

「な、何だそれ! 頭おかしいのかよォ! ぃ、命を何だと思って……」


 オイオイ、前の『僕』を殺した張本人が何言ってるのかね、へそでティーだわ。

 やだー、めっちゃ笑うんですけどー。寒々しすぎてクソ笑うんだわ。


「あのな、命の価値が重いって言われる理由はな、人権だの尊厳だのがどうとかじゃねぇんだよ。失われたら取り戻せないから、重いって言われるんだ。つまり、取り戻せる命は軽いんだよ。雑草よりも、紙切れよりも、綿毛よりも、ゴミよりも、何よりもなぁ!」


 俺は殴打を再開する。


「ひぎゃあ! ぎひぃあッ!」

「痛いか、豚? 何でこんなに痛いんだろうなぁ? それはおまえが俺に逆らうからだ。余裕を取り戻したらついつい逆らいたくなる、悪い子だからだ。いい子になれば、こんな思いはせずに済むんだぞ。いつ、どんなときも俺に逆らわないいい子になれば、な」


 そう教えてやりながら、俺は懇切丁寧に豚を再び殴殺した。

 そしてまた、蘇生してやる。


「豚、煙草と酒買ってこい。強いヤツな。金はおまえが出せ」

「…………はい」


 二度目の言いつけに、豚は素直に従って外に出ていった。

 あの、どんよりと濁った死んだ瞳を見るに、しばらくは逆らわないだろうな。


 警察にでも駆け込んだら、それはそれで面白そうだが。

 あの豚の見た目と、肉体は前の『僕』のまま、薄汚れてやせ細った今の俺。

 さて、果たして警察はどっちの言い分に耳を傾けてくれるかな。


 ま、実際やるのはめんどくさいので、自分からそれを試す気はないんだが。

 いつの世も、どこの国でも、公権力ってのは敵に回すと厄介だからな。


「さて――」


 これからの動きについて、俺は思案しようとする。


「ぁ、あ、あの……」

「お?」


 声をかけてきたのは、お袋だった。

 右手には口の開いた大きなゴミ袋を持っている。掃除の邪魔になってたか。


「悪い、どく」

「ぅ、ぃ、ぃえ、ごめんなさい……」


 俺がどこうとすると、お袋はこっちを見ようとせずにペコペコ頭を下げる。

 そして床に転がっているゴミを一つずつ拾い上げ、袋に放っていく。

 しばし、俺はそんなお袋をボーっと眺めてから、


「なぁ、お袋」

「ぐひっ!!?」


 呼びかけただけで、お袋はゴミ袋を投げ捨てて俺に土下座をする。


「お、お気に障ることをいたしましたでしょうか! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃ~! 謝るから、殺さないでください! 殺さない、で……」

「あ~……」


 何だこの、ものすごく出鼻を挫かれた感。

 お袋は相変わらずこっちを見ようともせず、床に這い蹲って土下座してる。


 ったく、何だよその反応は。

 まるで俺がいじめたみたいじゃねぇか。殺しはしたがいじめはしてないだろ。


 まぁ、いいや。

 お袋が動かないなら、こっちが構うこともない。

 そう思って、俺はお袋に告げた。


「逃げれば?」

「え……」


 え、じゃねぇよ。え、じゃ。


「玄関」


 俺がドアを指さす。


「豚はいないぜ。最寄りのコンビニは歩いて片道十五分。今からでも逃げようとすれば、幾らでも逃げられるだろ。時間も夜明け前だ。外にも人はいやしねぇよ」

「…………」


 お袋は、キョトンとした顔つきで俺を見てていた。


「あんた一人、いようがいまいが大した差はない。いいんだぜ、逃げても。この二年、あの豚に殴られ続けて地獄だったろ? 今こそ自由になれるチャンスだぜ?」

「……自由に」


 お袋は体が土下座したままで、顔だけで玄関と俺を交互に見る。


「俺は一人で何とかなる。……お袋は、逃げたらどうだい?」


 ダメ押しとばかりに、俺は重ねて告げた。

 お袋にとってこの二年は地獄だった。それは十にも満たない『僕』でもわかる。

 今という機会は、お袋にとって間違いなく千載一遇のチャンスだ。


 こいつが逃げても俺は追わないし。豚にも追わせない。

 俺は本気でそう考えながら、お袋に選択を委ねた。


 お袋の視線は玄関に釘付けになっていた。

 さて、こいつの目に、あのドアがどんな風に映ってるのか。


「モタモタしてたら、豚が帰ってくるぜ?」

「…………」


 さらにダメ押し。お袋はそれを聞きながら、なおも玄関を見つめ続けて――、


「……無理よ」


 と、顔をうなだれさせた。


「どうしてだい?」


 俺が尋ねると、お袋は目から涙をこぼし、すすり泣いた。


「無理……。あたし独りじゃ、無理。独りで生きるなんて……、ぅ、ぅぅ」

「そうかい」


 嗚咽を漏らすお袋に、俺は短くそれだけ返す。

 ああ、知ってたさ。あんたが逃げるなんて器用な真似、するワケないってこと。


 だってお袋、あんたは誰かに寄っかからなきゃ生きていけない人間だ。

 諾々と強い人間の言い分に逆らわず、流されながら生きてきたのが、あんただ。


 あの豚との不倫だって、あんたは別にあの豚を愛してなんかいなかった。

 ただ、あの豚の押しが強かったから抗えず押し切られて言いなりになっただけ。


 親父だって、何度そんなあんたの性分を直そうとしたことか。

 子供ながらに見てたんだぜ、前の『僕』はよ。


 例え根っこが腐ってても、とりあえず寄っかかれる木があれば寄っかかる。

 そんな怠惰で惰弱なあんたが『独りで生きる』なんて選択、するワケがない。


 ああ、知ってたよ。知ってたさ。

 だから俺は、選択を迫ったんだよ。あんたに再認させるために。


「仕方ねぇ。俺に逆らわない限り、あんたは生かしておいてやるよ、お袋」

「ァ、あ、アキラ……」


 お袋は涙に濡れた顔でやっと俺を見る。

 そこにあるのは、希望を見出したまなざし。俺に寄っかかれると知った顔だ。

 この瞬間、お袋が頼る相手はあの豚から俺に切り替わった。


 ――これでよし。


 俺は、内心にほくそ笑む。

 生まれ変わった俺だが、しかし戸籍上ではまだ七歳のガキに過ぎない。


 大っぴらに動くには制限も多く、厄介ごとを避けるにはその辺も無視できない。

 そう考えると、どうしても必要になってくるものがある。


 保護者だ。


 俺はお袋を懐柔した。

 こいつは強い人間には逆らわない。楽に生きるために、俺には服従するはずだ。


 きっと、今の時点で俺がするどんな命令にでも従うだろう。

 例えば俺に抱かれろ、とかでも。

 ま、俺自身が精通してないんで、そんなのはただの戯言でしかないが。


 それに、今のお袋はあの豚との生活ですっかりくたびれ果ててる。

 頭には白髪、顔に小じわとシミ、肌もカサついてて見た目はただのおばさんだ。

 こんな見た目でも、三十路を少し過ぎたばかりの女ざかりの年齢なんだがな。


「とりあえず、掃除を続けろよ」

「……うん」


 心なし、声に明るさをにじませてお袋は掃除を再開する。

 いや全く、この変わり身の早さ、笑うわ。

 俺も、小腹が空いたんで何か腹に入れておくか。と思って冷蔵庫を漁る。


「保護者も無事に手に入ったし、あれは本格的にいらないな」


 ……いても邪魔なだけだし、消すか、豚。


 剥いたソーセージにかじりついて、俺はそんなことを考えていた。

 小学校への登校時間まで、あと三時間。

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