11:君が望むのなら、君が手を伸ばすのならば

 地上四十七階。

 全国津々浦々の怪盗を束ねる女帝の、豪奢な城がそこにある。

 生まれて間もない都市を見下ろし、その街に追いやられたかつての風景を眺める、田正・秋の住み家。

 絢爛な家具を並べ、精密な食器を飾る。

 広々とした、けれど使用の痕が少ない、寒々しい居城だ。


 主が居るのは、そのリビング。

 革張りのソファに腰を下ろし、壁付の大きなテレビを微笑み見つめている。

 放送局の中継が、余すことなく下階の様子を教えてくれるからだ。


 だから、わかっている。


「きたね、さっちゃん」


 舞台の帳が、間もなく降りようとしていることが。

 その先兵が、ここまで辿り着いたことが。


「汚してすいませんね」


 血塗れで、汗まみれで、けれど笑顔で。


      ※


「クリーニングも、協会持ちでしょ?」


 靴を鳴らし、フラフラとリビングまで歩く姿は、完全無比な満身創痍だ。

 虚を突くために自ら仕掛けたスタングレネードで、左腕は動かない。そんな体を押して、二十以上の階を踏破してきたのだ。


「来ると思っていた。いや、来てもらわなければと思っていたよ」

「いやあ、そんなに期待されていたなんて、照れますね」

「もちろんだよ。辿り着かなければ、桃奈ちゃんは頭を低くして毎日を過ごさなければいけなくなるんだ」


 年若い少女を、そんな目に合わせるのは忍びない。

 加えて、少年の道行もある。


「さあ、スプリングテイル。胸を張って、頭をあげて、勝鬨をあげなさい」


 ガラステーブルに置かれた、白塗りの木箱を押しやる。

 中は、全ての発端である『ある記者が娘に遺したペンダント』である。

 けれど、若き怪盗は微動だにしない。

 おや、と思い振り仰ぐ。

 彼は仮面を外し、苦し気な、けれど崩れない微笑み。


「相棒がね、間もなく追いつくって言っていますから」

「そうかね。確かに一番の権利は、スイートアンカーにあるか」


 見なさい、とテレビに視線を誘う。

 映っているのは、今日のハイライト。


「マスター……それも、その一等を蹴散らしたよ」

「え? 本当に蹴散らしたんです? 僕、邪魔とか言われて……てっきり、足止めに残ったのだとばっかり……」

「ふふ、見たまえ」


 スプリングテイルが知り得ない、別行動となった直後からの映像。

 少女が、手にした繊維で自らの肢体に絡みつかせ、苦し気な声をあからさまにあげ、クライマックスは衣装に手をかける。

 どれも、リネン・マスタの手、意思によるもののように糊塗して。


「これでまた、離婚騒動が再燃するかな」

「はは、どうです、我が弟子は。あまりの所業に慄いていますよ!」

「同感だ。見なさい、大の男が泣き叫んで床を叩いている様を。まさに圧勝だろう」

「ほんと、心底から末怖ろしい……!」


 これはスプリングテイルのやり口ではない。彼女が判断し、最大ダメージを狙った一撃なのだ。

 あまりの『センス』に、心胆が震えあがってとまらない。

 なぜなら、


「さっちゃん、すごくいい笑顔だ」

「え? あ……え? 笑ってます、僕?」

「君ばかりじゃない。誰もが笑っているよ。リネン・マスタと、ペンダントを渡したくない面々以外は、ね」


 感情の起伏は『虚』を突くもの。備えられるのなら、発露などありえないのだから。

 素人同然の少女は、今宵、あらゆる人間の『虚』を突いた。

 それは、怪盗に大切な『センス』であり、


「君や、君のお爺さんが、大切に考えていた事、そのものだろう?」


 稀代の大怪盗で、無二の親友。

 彼の薫陶を受け継いだ、少年の宝物だ。


「ええ。笑顔を配れないなら、ショーマンになれないなら、僕らはただのコソ泥ですから」


 吹っ切れたように、言い切った。

 ビルに乗り込んで来た時の、切れるほどの視線はもう失われている。

 それもこれも、


「良い相棒を持ったね、さっちゃん」

「いろいろ、教えられますよ」


 彼女と出会うことができた故であるのだろうと、老婆は微笑むのだった。


      ※


 少女は息を競って、非常階段を駆け上っていく。

 目指すのは、相棒の待つ四十七階。

 満身創痍の彼を支えなければならないから。


「追っ手は完全に潰しましたから……!」


 あとは、獲物を掴み取り、脱出するだけ。

 父が残してくれたペンダントを。

 遠くに思っていた形見の在り処が、すぐ間際まで近づいている。

 だから、足が重くとも、肺が痛くとも。

 前へ、上へ、進んでいけるのだ。


 辿り着いたドアには「田正」の表札。

 躊躇わず押し開けると、


「おっと! 良いタイミングだよ、相棒!」

「スプリングテイル⁉」


 仮面を外した笑顔の少年が、抱きつく勢いで飛び出してきた。

 驚くこちらを構いもせず、回るように立ち位置を入れ替えると、階段に戻ろうと手を引いてくる。


「それじゃあ、お邪魔しました!」

「うん。また遊びに来なさい。桃奈ちゃんもね」

「え? え? あ、はい! 失礼します!」


 部屋奥の老婆が手を振るから、戸惑いながらも頭を下げる。

 その間にも引かれて足は動くから、ろくに顔を見ずの挨拶になってしまって。


 けれど、なんだか、


「笑って……穏やかなお顔でしたね……」


 優しく見送られたような気がするのだった。


      ※


 息をつく間もなく、二人は屋上へ辿り着く。

 防護柵の鍵を一息に解いてしまえば、あとは摩天楼の頂点。その縁まで辿り着く。


「さ、スイートアンカー! そこにパラシュート隠してあるから用意して!」

「はい! え、あの、一つしか……」

「いやあ、相棒が駆け付けてくれるとは思ってもいなかったからさあ……バランスが悪くなるから、もっとぴったりくっついて!」


 はにかみながらも、テキパキとハーネスを取り付けていく。最後に、ロープで体同士を簡易連結させれは完了だ。


 迷うことなく、二人はネオンの海へ飛び込んでいき。

 落下傘を大きく開いて、遊覧を楽しんでいく。


      ※


「あの、スプリングテイル? ペンダントは……?」


 寄り添う少年の力ない体を抱くように、スイートアンカーは舞い、降りていく。

 彼は応えるように懐を開いて見せて、宝物の収まる木箱を見せてくれた。

 少女はよやく吐息し、背中から力が抜ける。

 けれど、どうして、と疑問。

 正直、ボロボロの怪盗が、元怪盗の協会長から『奪取』できるのか不安だったのだ。だから、急いで駆け付けたのだけれども。

 答えは、笑う相棒が教えてくれた。


「田正会長はさ」

「え?」

「僕らと同じ考えだったみたい」

「同じというと……今の仕組みを嫌っている?」

「うん。爺さんと一緒に第一線にいて、協会を立ち上げたメンバーなんだ。理念を共通して、不思議はないよ」

「でも、じゃあ、その仕組みの味方をしていたんです?」

「組織を維持するためさ」


 全国に裾野を広げる怪盗というショウマンたちと、ショウの舞台を守るために。


「金も、力も、べらぼうに必要だからね。だから、せめて中立、だったんだって」

「じゃあ……いろんな所を相手に、綱渡りをしていた……?」

「相手が政治家、官僚、企業……すごいタイトなのはわかるよ」

「つまり、理念としては私たちの勝利を願って、組織としてはこのペンダントを所持したかった、ってことですか……」


 心身を削って、業界を守っていたのか。

 胸が熱くなって、


「マスタークラスの一部も同じらしいよ? リネン・マスタはその筆頭で」


 一瞬で凍り付いた。


「え?」

「いやあ、慄いたって、会長。桃奈ちゃんは、手加減とか手心とかないのかな、って」


 吹きあがる、地上の歓声を巻き上げるビル風に頬を洗って、二秒考える。

 結論は、


「大変、ヤバくないですか、私のしたこと……!」

「ヤバいどころか、ねえ。頂点が完敗とか、運命共同体と考えていた『僕らの敵』にとっては格好の攻撃材料でしょ」

「そ、そんなつもりじゃあ……!」


 顔を青くしたところで、インカムが受信をして、


『聞こえているかい、お二人さん』

「ああ、リネン・マスタ! ちょうど、お話していたとこですよ!」


 いま最高に顔を合わせづらい声がお届けされた。


「は! あ! その、リネン・マスタ!」

『ああ、謝る必要はないよ。勝ちと負けのやり取りで、俺が負けを引いたんだ』

「ですけども……」

『悪いと思っているなら、嫁さんに俺の冤罪を説明しておくれ』


 それと。


『今日のリベンジをどっかで受けてくれたら、それでチャラさ』


 通信の切れ際。

 思ってもいなかった未来図を見せられるのだった。


      ※


 今日で終わりなのだ。

 父親の形見を取り戻すために怪盗になり。

 紆余曲折、苦難苦労を乗り越えて。

 この手に、掴み取ったのだ。


 目的は達せられたのだ。


「スプリングテイル……?」


 けれど。

 負かしたトップが再戦を願っている。

 目下の観衆が、熱と賞賛の怒号を巻き上げている。

 望まれているのだ。


 そして、


「君がどうしたいか決めることだよ、相棒。ただ、見てごらん?」

「え? 街頭スクリーン?」

「遠いから見えづらいけど、映像は集まったお客さんを映し出している。その表情をごらんよ」


 皆が笑顔で、その笑顔に胸が強く熱帯びて高鳴る。

 気持ちの向く方向に気づかされ、もう一度、相棒を見つめる。


「ああ」


 彼は笑い。


「この夜も」


 手を動く右手を広げ。


「この街の灯も」


 満面に、苦し気だったさっきまでの眉根が嘘のように、笑顔で。


「誰も彼もの笑顔だって」


 教えてくれる。


「望むのなら、全て君の物さ。スイートアンカー」


 手を伸ばせば、掴み取るつもりなら、すぐそこにあるのだから、と。


      ※


「それはそれとして、はい!」


 震えて熱くなる胸に水を差すように、スイッチが手渡された。

 まあ、いつもの通りである。


「こ、今回は危険では……? さすがに、これだけ高層になると……」

「へーきへーき! ほら、景気よく行ってみよう!」

「ええ……?」


 半信半疑に受け取ると、力いっぱいにスイッチオン。

 同時、火薬の炸裂が遠くに聞こえて、


「あ、わあ……! 打上花火ですか!」


 幾重に重なる光の華が、その花弁を広げて夜を照らした。

 何度も、幾度も、終わりなく。


「すごい……きれい……」

「花火職人『的屋』の本気さ。お父さんの形見を取り戻す、記念すべき夜だからね」


 街に響く歓声が、一層に大きく広くなっていく。

 人々の笑い声に呑まれるよう、二人はゆるりゆるりと大地を目指す。


 吹き付けるむせるような向かい風に、額を頬を唇を、洗いゆすぐようまっすぐに。

 なんでか跳ね回って仕方ない胸が、酷いまでに愛おしく思いながら。


 第五章 了

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