8:リネン・マスタ

 リネン・マスタこと、迩達・麻繰は協会役員会に席を持つ怪盗である。

 現場のトップであり『マスター』を肩にかける、業界の看板だ。

 一〇代でデビューを果たし、当初の歯牙にもかけられなかった下馬評をものともせず、現在の地位を掴み取った。

 血と汗で以て成りあがった、シンデレラ・プリンス。


「もう、プリンスなんて歳じゃないけどねえ」


 スプリングテイルの動きを封じる高強度繊維を、皮手袋を鳴らして締め上げる。

 衣装へ食い込み、肉を縛る。

 若い怪盗は喉を鳴らす。

 拘束は、リネン・マスタの手による。

 故に、そちらへ踏み出せば自然と緩むのが道理である。


「そう考えて踏み出されたら」


 けれども、右足の締め付けが強く。


「足元掬うだけで、簡単だったんだけどさ」

「くっ!」


 歩く、という行為はどうやっても足の片側に荷重がかかる。左足を上げたところで逆足を惹かれたら、平衡は崩れてしまうから。

 容易く動くことは許されない。

 先達は、ダメだったか、と口元を薄く笑みに。


「けど、いつまでもそうはしていられないだろう?」

「ですね、センパイ。騒ぎを聞きつけたおたくの警備員さんたちが、すぐにも戻ってきてしまいますもんね」

「おたくの、てね。広義ではそうかもしれないけど、そうなると君だって同じ協会員だろに」

「じゃあ手加減とか、協会割とか、恩恵をいただきたいんですけど」

「うわあ、言うねえ。先輩が、こうして無償奉仕しているってのに」


 敵はのんびり笑い、けれど締め上げは強まる。

 四肢の二本を奪われ、さらに一本が自由を与えられず、まるで身動きが取れない。

 残るは右腕だけで、活路を開かなければならなくて。


「利き手を残したのは、優しさです?」

「優しくしたなら、敬ってくれるかと思ってね」

「まさか。僕は、誰のことも敬愛してやみませんよ?」

「ほんと? じゃあ、俺も?」

「……え? いたいいたいいたい! 冗談ですよ、センパイ! だから絞めちゃダメ!」

「首に、巻きゃあ良かったな」

「いまだ!」

「お?」


 傷みに悶えるアクションに混ぜ込んで、右手を懐に。

 取り出すのは粘度状の塊と、スイッチ。

 それを抜き打ちでリネン・マスタへ投げつけると、


「うっわ! 躊躇ないなあ! 正気かい!」

「未成年を無理矢理縛りつけるような『特殊な方』に言われたくないですね!」

「言い方! 言い方が良くないよ、後輩! だいたい、危険物を人様に投げる方が……!」


 抗議を遮るようにスイッチオン。

 スプリングテイルは花を咲かせる。

 黒煙と焔を花弁にして。


 膨らんだ衝撃が、ビルの強化ガラスを砕いてスパンコールを降らせる。

 光と、熱と、音が。

 今この時の戦場がここであると、間違う余地なく知らしめるのだった。


      ※


『二六階フロア! その西側で爆発があった模様です! 見てください、砕かれた強化ガラスが舞い、噴煙が踊る様子を!

 ああ! スプリングテイルです! 稀代の天才が飛び、走り、転がる! 警備員の雲霞に追われているのでしょうか!

 いや、違います! 追っているのはただ一人!

 昨年度、惜しくもMVPを譲ったトッププレイヤー! シンデレラ・プリンスの名の如く、最前線を踊り進む立役者!

 リネン・マスタ、その人であります!』


 報道が、怪盗の動向を捉えた。

 一度は見失った警備員たちが戻るのも時間の問題であろう。


「そもそも『彼』が接触していますからね、メディアがいなくとも、ですよ」


 烏丸が、ハンドルに体を預けながらモニターへ横目を。

 後部座席で別モニターを見つめるひなたは、常の不機嫌顔で毒を突く。


「なんで邪魔するん、あいつ」

「協会役員で、トップの怪盗だからでしょう。その地位は、協会があって『いわゆる』システムがあって、だからこそ保証されるんですから」


 怪盗が、怪盗の障害となる。

 珍しいが、前例がないわけではない。


「エンターテイメントだからな。横入りやら乱入やら確執やらなんぞ、観衆の好物だ。さらにMVPレースが絡んだりするとな」


 新谷小路が苦く呟く通り、つまりはショーの一環という建付けが先にあって、


「それを名目に、ペンダントを守っているんでしょうね」


 組織の敵を排除しようとしているのだ。

 少女は腕を組んで、大きく吐息。

 呆れが濃い。


「じゃあ、目論見失敗じゃん?」


 視線を、窓へ。

 そこには、現場を見上げる観衆たちが。

 怪盗の活躍を楽しみ、歓声を上げて、無責任に祝杯をあげる人々の海だ。

 けれど。


「だれも笑ってないっしょ」


 不安と困惑、疑問に不信。

 ネガティブが、彼らの眉目を泳いでいる。


「ショウのための乱入だって言うなら『だだ滑り』じゃんか」


 誰一人、楽しむ顔色ではない。

 ひとえにリネン・マスタというネームバリューの不自然な登場と、


「咲華」


 怪盗、スプリングテイル。

 奔るだけで、謳うだけで、寂しいコンクリートジャングルに華を咲かせる魔法使い。


「やっぱりアンタ、笑ってないじゃん」


 彼の仮面下に見える瞳が、薄暗く燃え盛っているためなのだろう。

 誰も彼も、異様を見上げ見守ることしかできないでいる。


      ※


「外、静かになったなあ」


 スプリングテイルが奔れば、地が揺れるほどの大歓声が巻き起こるのが常である。

 けれど、壁を蹴り、天井に掴まり、こちらのワイヤーから華麗に逃げ続ける雄姿に、称賛の声がない。


 リネン・マスタはため息をこぼす。


「なんて顔してやがるんだい。去年、俺を追い詰めたときは、アタマからケツまで満面の笑顔だったじゃないの」

「ええ? 僕、いつでも真面目にお仕事しているつもりでしたよ?」

「どうだか。何か嫌なことでもあったのかい、坊や」


 指を弾いて飛ばした繊維は、先を行く怪盗の左手を捉える。

 が、咄嗟に体を捻り、消火器を蹴り上げて身代わりに。

 強度は強いが、剛性があるわけではない、繊維でしかない。遮るものがあればぶつかってしまい、そこまでだ。


「何か、っていうと左手がねえ……これのせいで、走るも飛ぶも回るも転がるも、自由が利きませんで」

「お客様の期待に応えられません、って?」

「誰もを魅了せしめる華美華麗、とはさすがに」


 確かに。

 握力がないため、咄嗟には肘肩にたよるため動きが鈍い。

 弱点であり、だからこそ、こちらも『注視』し狙っているのだ。

 

「けれど、応援がないのはそればかりじゃないんじゃない?」

「というと? っぶな!」


 身代わりにされた消火器を、ぶつかった繊維で巻き取り、手首のスナップで投げつける。

 頭を下げて避けるも、バランスを崩す。

 僅かな集中の乱れ。

 逃さず、得物を弾けば、


「君、笑ってないじゃん?」

「く!」


 注視していた左腕を、きっちりと捉える。

 前進は、逃走は、ここまでだ。


「ゲームオーバーだね。俺の後ろからは、警備員の皆さんが迫っている」


 足を止め、足を止めさせ。

 睨みあううちに、後続が辿り着いた。

 スプリングテイルは、完全に包囲される。


      ※


 けれど、彼の瞳は。

 昏く爛々とする、仮面の下に煌めく双眸は。


「まだまだ、イージーな状況ですよ」

「諦めていないねえ」


 ではどうするつもりか。

 怪盗は、相手の虚を突く生き方だ。

 警戒を解かず、動きを見据える。先のように、彼の右手が動いたら反応できるように。


「笑っていない、って言いましたよね」

「うん。そうだね。だから、お客さんも戸惑っているんじゃない?」

「笑っている場合じゃないんですよ」


 必死であると。


「今回ばかりはね、負けられない。去年の最後の仕事……MVPが掛かっていたあの時にだって匹敵する状況でしょう」


 なにせ。


「一度負けてのリベンジなんですから」


 彼の瞳が、力を増す。達することに執着し、狂気すら滲ませて。

 では、どうする。

 イージーと言い放った絶望的な状況を、若い君はどうするのか。


 視線の集まりに、少年は呼吸を整え叫ぶ。


「さあさ御開帳!」

「っ⁉」

「取り出だしたりますは、自由の利かない悲しい左腕! 長年、苦しい時も悲しい時も寄り添った、唯一無二の大親友でございます!」


 高強度繊維に縛り上げられた左腕を、肩を使って持ち上げかざす。

 なにを、と疑問し、興味をくすぐられる。


「残念ながら昨年に怪我を負いかつての自在を失えど、右腕と二人三脚でここまでやってきた努力の結晶! 懸命の生き証人!」


 まじまじと、誰もが『主役』へ視線を集めて、


「そんな偉大な左腕ですが、今宵をもちまして!」


 スプリングテイルの奥歯が、金属に鳴る。

 同時、注目を集めていた左腕が、


「おさらばでございます!」


 爆発した。

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