5:一番に悪いのは

「どうでした、新谷小路先生との会談は」


 西日に目を細め、烏丸・満がハンドルを軽やかに回す。

 車は交差点を左に折れ、旧市街へとタイヤを。


「まさか、一枚噛んでいたとは、だよ。満兄さん。今日会えたのは、兄さんのおかげなのかな?」


 後部座席から、彼のいとこが明るく身を乗り出す。

 相も変らぬ、軽い笑顔で。


「まさか。君たちが来たのは、完全な偶然。ペンダントの所在確認中に、先生から問い合わせが来て、ね」

「事の次第を教えてもらった?」

「そう、ひなちゃんの言う通り。うちと刑事部の部長は知っていたらしくて、状況確認と打ち合わせのために訪ねてきていたんです」


 助手席のひなたが、おもしろくなさそうにため息を見せる。

 烏丸は、柔らかな目をバックミラーに。

 助手席のもう一人。

 状況の被害者となる、井伊楽・桃奈は顔を伏せて黙り込んだままだ。

 気持ちはわかる。

 次々に真実を突き付けられ、信じろ、と恫喝されているようなものだから。

 理論的思考が乱れるのが当然だし、感情すら置き所を見失っているだろう。


「まあ、警察も完全な味方じゃあありません。というかですね、ここ数年で怪盗被害に会っている人は、全て対立勢力と考えたほうがいい」

「やばいじゃん」

「軽く思い出せるだけで警察庁幹部もいるし、区警本部長もいなかった?」

「そうです。なので、彼らの目を欺くために『モノ』の所在を不明瞭にしていたらしいんですよ」


 残念だが、少女の気持ちなど、知りようもない。

 そこは『相棒』を名乗ったいとこの『働きぶり』に頼るしかない。


「さっちゃん。現状、田正協会長が持っているはずのペンダントに『仕掛ける』と聞きましたよ」

「うん。まあ」


 咲華の瞳に、熱が浮く。


「僕は『約束』を……桃奈ちゃんのお父さんが残した『形見』を取り返させる、その約束を違えるつもりはない」


 強く前を見据える視線は、けれども。


 ……見えているのは『前だけ』ですねえ。


 脇目など振られはしなくて。


      ※


 烏丸が送ろうと出してくれた車は、どうにも座りが悪かった。

 けれども、立ち上がり断ろうにも、手足に力が入らず、腰が吸い込まれてしまって。


 ……きっと、いまの心持ちなんですよね。


 井伊楽・桃奈は、吹き荒ぶ混乱に立ち往生していた。

 いまの『ここ』には居たくなくて。

 けれど『どこか』に踏み出す気力がなくて。


 ただ、手を引かれるままに、こうしている。

 ひとえに、


「どうしていいのか、わからないんです」


 乱れてちぎれた、心のありようのせいなのだ。


「父の形見を取り戻すことだけを考えてきました」


 なのに。


「そんな父が、犯罪に関係していて」


 とどまらず。


「けど父は私を守るために命を落として」


 さらには。


「そんな父の形見を、誰もが競って手に入れようとしていて」


 その一端に。


「協会長も……お世話になったあの方も、同じだと思って恨みに思って」


 けれど。


「ほんとうは、私を救ってくれているのだと聞かされて」


 頭が。


「もう、おかしくなりそうなんです……!」


 思考も。

 感情も。

 振り回され続けて、奥から痺れてしまっている。


 だから、短絡する。


「悪いのは誰なんです! どこを正せば、丸く収まるんですか!」


 答えを欲して、乱暴な最短へ手を伸ばしてしまう。

 自分自身、解などない問いであることはわかっている。

 けれど、求めずにはいられなくて。


「桃奈ちゃん」


 隣に座る相棒が、震える指を柔らかくつかみ握る。

 左の、力が入らない手で。

 彼は、微笑んでいる。

 いつもと変わらない。

 誰も彼もへ与えるべきだと謳う、満面の笑み。


「正義の人なんか、一人だっていやしないよ。けどね、一番に悪い『連中』を、僕は知っているんだ」


 桃奈はうろたえる。

 気持ちに任せた吠え声だった。答えなどありようもない、我が儘な問いだった。

 けれど、彼は答えを持っているという。

 まさか、と狼狽え。

 すごい、と称える。


「一番に悪いのはね」


 少年は笑みを深めて、


「僕たちさ」


 瞳孔へ、焔を灯した。


      ※


「え?」


 呆気にとられた桃奈が見つめ返すから、咲華は左手に力を込める。


「泥棒を働いている僕たちだ」


 紙切れ一枚に苦戦するような傷身だけど、熱だけでも伝わってほしくて。


「大人が整えた戦場を、横から蹴倒そうとしている僕たちだ」


 正義を成すつもりなど毛頭なくて、我意を貫かんとする身勝手な意志だけだ。


「大人が苦心した庇護のベールを切り破って、この手で戦うとする僕たちだ」


 相棒、だから僕は進むのだし、挑むのだ。

 だけど。


「無茶無謀には違いないよ。だから」


 微笑む。


「君が無理だというのなら、この覚悟は『僕だけのもの』になる」


 微笑むが、自分でもわかるほど、まなじりから熱があふれている。


「形見のペンダントはもう、僕のターゲットになっているからね。苦難万難を排して掴み取り、君の手に届けよう」


 言葉を失った少女と向かい合う。

 君は、混乱に混乱を上塗りされて、首を縦にも横にも振れないままで。


 惑い、迷い。


「僕は『約束』を守るよ」


 涙をためて応えられないから、僕は一方的に履行を約束する。

 目元を刺す沈みゆく西日など、構いもせずに。

 いずれ、夜の闇が。

 怪盗の跋扈する時刻が訪れるのは、間違いないのだから。

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