7:『かつて』に開けられた風穴を、吹く風の音色が

 クリムゾンシェルは、現場において中堅を担う怪盗である。

 血のような暗い赤をトレードマークとして、煌めく夜に踊る艶やかな女傑だ。

 親の借金のため、莫大な金銭を求めて業界に踏み入った経緯を持つ淑女は、


「七光りで跳ね回って、挙句に七光りの出元を壊そうって?」


 自分の足元を『自身もろとも』爆破解体しようとしている若造が気に入らない。


「最初から『持てる者』だから、その価値を知らないだけでしょうが!」

「嫌われている自覚はありましたけど、こうも正面切られるとなかなか来ますね!」


 怒りに任せて警棒を振り下ろすが、スプリングテイルはバク転で身を躱し距離をとる。

 が、予想済みだ。


「今よ!」

「アイサー!」

「いやああああ! おっさんたちがよってたかって、高校生の若い肢体に群がってくるうううう!」


 左手はほぼ利かない。

 バク宙ならともかく、手をフロアに付くバク転だと、体重を右手に預けざるをえない。

 姿勢は不自然となり、波状の攻勢に次の一手がスマートには決まらなくなって。


「いって!」


 若造の体が、フロアを転がる。

 勢いのまま横転すると立ち上がるけれども、彼が目指すべき非常階段は我が部下たちに阻まれる。


「どう? 諦めて、大人しく引退したらどう?」


 クリムゾンシェルは、元俊英に憎悪と共に憐憫を向ける。

 その満身創痍の身体で、何を求めているものか、と。


      ※


 まいった、とスプリングテイルは嘆息をこぼす。


 眼前の女傑は、まさに『組織の人』。

 取り巻き、オッサンなどと呼びつけたけれども、彼らは協会が抱える怪盗の卵である。

 希望者に限るけれども若手に基礎と集団作戦を教育する、協会の意を汲んだ『一員』なのだ。


 だからこそ、こちらを敵視するのだろうし、


「休む暇を与えない! 余裕があると、すぐに悪巧みをしてくるわよ!」

「マジか……暇を与えると、お頭のブラが危険で危ないのかよ……!」

「くそ……っ! なんだか足に力が入らねえ……!」

「奇遇だな! 俺も……足が……!」

「遊んでるんじゃないの!」


 集団戦を得意とする彼女の戦術は、まさに単騎を旨とするスプリングテイルの弱みに合致するのだ。

 まるで、二枚貝が獲物を挟み込むが如く、取り巻きがこちらへ包囲を仕掛けてくる。


 もはや、元の目論見は達せられず。


「なら、次善策だけど」


 背後には、オフィスフロアに続くドアがある。奥にはやはり階段が存在しており、そちらの利用を考慮する。

 施錠が成されているのは、無論。

 じり、と下がり、右の手を背後に。開錠は片手で十分なれど、


「片手が塞がっているわ! いまよ!」

「うわあ! 容赦ないですよ、ほんと!」


 迫る敵対者を捌くに、不自由な左手が一本では役者が足りない。

 振り下ろされた警棒をスウェーで躱し、掴みかかる手を左腕で振り払い、抱きすがる体を蹴り上げて。

 けれども殴りかかる一撃をいなすに、右手が求められてしまうのだった。


「ほらね。『かつてのあなた』ならこんな危機なんて、ものの数じゃあなかったじゃない」


 一手を。

 窮地を脱する一手を、別ルートを切り開く一手を。


「やっぱり、素直に引退するべきよ」


 波状によって、見事に封されてしまったのだ。

 

      ※


 民衆が英雄視するスプリングテイルの苦境は、余すことなく中継が成されていた。

 協会ビル壁面にスクリーン投射された彼の有様を、人々は苦みをもって見上げている。


「頼むぜ、スプリングテイル……!」

「もう『予告状』なんかなくたって良いだろ……!」

「今しかないんだ! この、事細かくクリムゾンシェルの様子を中継してくれている今しか……!」


 精彩を欠く天才に、だれもが『やはり』と口惜しさをこぼす。

 そんな群衆の中、ひなたは強い眼差しを眼鏡越しに投げやっていた。

 乾坤の一擲を、まるで待ちわびるかのように。



      ※


 休む間もなく迫る一手に、


「うわあ!」


 ついに、スプリングテイルの肉体は物理的な根を上げざるをえない。

 クリムゾンシェルの警棒が、弾くように肩口を一撃したのだ。

 飛び上がり衝撃を逃がしはしたものの、完璧には至らず。体を抜ける衝撃に、声が漏れ、体勢を崩してしまう。

 動きを止めた怪盗を、昏い赤が包囲すれば、


「如何ともし難いなんて、ままあることよ」


 意固地にならず一線を引くべきだ、と諭してくる。

 やはり、と少年は吐息。


「嫌っている人間に説教とか、クリムゾンシェルは本当に良識派で人情派ですね」

「腹の立つ言い草ね」

「ええ? 褒めているのに?」


 痛みをこらえて、口元には笑みを。


「せっかくですけども、引退できない理由ができたんです」

「新しい相棒のことかしら? こんなリスクを冒すほどなの?」


 その通りだ。


「約束をして目的ができて、僕もまた、目指す先を見据えなおせたんです」


 焔の中を進む心地良さを噛み締めているのだ。


「僕は変わっていなかった。今度は、この右手がなくなり消えようとも、彼女の『必死』を叶えてあげたいんだ」

「だから、諦めないと?」


 けれど、と相対者は呆れを見せる。


「この場をどうするの? 退会届を盗み出せなきゃ、あなたに『明日』はないわ」


 加えて、進むに絶望的な状況でもある。

 言う通りである。

 仕方なしか、とスプリングテイルは口元の笑みを深める。

 まさに『右腕を失っても』成さねばならないタイミングなのか、と。


 心に堅さを結って、右手を懐に。

 だけれども。

 拒むように、叫ぶように、


「え?」


 フロアの一角が、火柱を上げた。

 爆風に砕けたタイルがまき散らされ、もうもうと粉塵が舞い上がる。


      ※


 誰もが何事かと注視する中、粉煙をかき分け現れたのは、


「スイートアンカー……⁉」

「相棒! どうして……!」


 ダイナマイツ(複数形)な新人怪盗の姿であり、


「勝手ながら、相棒の助太刀に参りました!」

「それは見ればわかるし、相棒だもの。それより、今の威力……」

「あ、すいません……ちょっと、量をミスっちゃいましたね……なんせ初めてなんで」


 彼女の『初めて』に色めき立つ赤黒い連中をよそ目に、


「上に誰かいたらどうしたの……? 床材が天井まで打ち上げられる威力とか、無事に済む計算なのかしら……?」

「え?」

「……え?」

「ちょっと、相棒? え?」


      ※


「会長! コーヒー噴き出してどうしたんです⁉ スプリングテイルが、またなにやらやらかして……え? スイートアンカーの方?」


      ※


 誰もが、特に爆発の知識が深いスプリングテイルが、背筋に冷や汗を滝にする。

 だから、少女は叫ぶ。


「スイートアンカー、見参です!」

「うわあ! 無理から押し通す気だよ、相棒!」

「ちょっと! もしかしてあなたより、ヤバくないこの子⁉」

「ふふ……カッコいいでしょう?」

「どういう強がりよ、それ!」


 騒然となる戦場に『私』が駆け付けたのだ、と。

 高らかに、力強く、さらには『ちょっとだけ強行突破』するように。

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