87話 正義が悲鳴を上げる音

 キルケーには外に出てくると行ったが本気で洞窟から出る気はなかった。

 森の中は村人たちがうろついている可能性が高い。

 来た道を中途半端に戻り腰掛けやすい岩がある場所で俺は足を止めた。

 

 先程まで居た場所から大して離れていない。

 ここで大声を出せばキルケーにも聞こえるだろう。魔族だからもっと耳聡いかもしれない。

 溜息を押し殺しつつ岩の上に座り込む。どっと疲れが襲ってきた。


 本当はこのまま洞窟の外に逃げ出してしまいたい。

 今のところ全てが都合よく進んでいる。でもそれは細い糸で綱渡りをしているようなものだ。

 だがそれは出来ない。

 捕らわれた仲間たちや冒険者たちを置いてはいけない。

 自分が騙されたとキルケーが気づいたなら彼らが今以上に悲惨な目に遭うのは想像に難くない。


 もう少しだけ頑張ればハッピーエンドで終われる。

 不幸中の幸いで大勢の冒険者たちはまだ命までは奪われていない。

 キルケーに全員を地上まで運ばせて、それが終わったら彼女を殺す。

 そこまで考えて俺は暗い気持ちになった。


 彼女は人間に敵対する魔族だ。倒されて当然の存在である。

 俺の仲間たちだって攫われて酷い目に遭っている。

 それにトマスの妻がおかしくなったのも彼女が原因だ。

 俺がトマスならキルケーを殺しても殺し足りない程憎む。 


 それなのに自分の中に彼女を殺したくないという気持ちが芽生えていることに絶望した。  

 大勢の人間を楽しみながら苦しめてきた魔族。

 それなのに美しい女の姿で自分に対し忠実な態度を取ったという理由で情を持ち始めている。

 当然、キルケーを見逃すなんて選択肢の存在は許されない。

 それを選んだ瞬間俺も人類の敵だ。


「はあ……」


 抑えきれず溜息が漏れた。次の瞬間だった。

 絹を裂くような女の悲鳴が洞窟の空気を震わせる。そして金属音。

 俺は無意識に立ち上がり来た道を駆けた。



 □■□■


「嘘だろ……」


 思わずそんな呟きが零れる。

 屈強な冒険者たちに囲まれて一人の女が蹲っていた。 

 争ったのか紫の長い髪は乱れ、白い肌には幾つも痛々しい傷ができている。

 出来たばかりの傷からは人のものではない青い血が流れ地面を濡らしていた。

 そして華奢な体には何本もの剣や槍が突き刺さっている。

 長槍などはキルケーの体を貫き固い大地へと縫い留めていた。

 まるで標本ピンで磔にされた蝶のようだ。

 血だらけになり俯いた彼女に息があるのかさえわからない。


「キルケー……」


 呆然とその名を呟く。


「ま、おうさま……」


 か細い声で答えが返ってきた。そのことに俺は確かに安堵する。

 こちらを見上げたその瞳から透明な涙が幾つも伝った。

 そんな彼女をどこか下卑た笑みを浮かべた男たちが集団で囲んでいる。

 女たちは隅で身を寄せ合いながら憎々しげにそちらを睨みつけている。その中にはミアンたちもいた。

 

「ざまあみろ、化け物女め」

「しかしこれだけされてもまだ息があるとはな、もっと他の方法でいたぶればよかったぜ」

「こいつの死体は街まで運んで広場に暫く置いておこうぜ、魔物除けぐらいにはなるだろ」

「それはいいな、こいつレベルの魔族なら討伐の報奨金もたんまり出る筈だ」


 聞こえてくる男たちの声に耳を塞ぎたくなった。

 俺がキルケーに人間を助けろと言ったから。

 魔術で人を運ぶのが苦手だと知っていて大勢を移動させろと命じたから。

 冒険者たちを地下からここまで運ぶ内に消耗しきった彼女は、人間たちに襲われ敗北したのだ。

 それは胃液が溢れそうな程強い後悔だった。

 キルケーは魔族で、俺は人間側だというのに。

 自分たちを攫い、魔物に変えようとしていた相手を冒険者たちが退治しようとするのは当然だ。

 寧ろ弱っているとはいえ強い魔族であるキルケーを打ち倒したことは称賛に値する筈だ。

 何より、これで俺自らが騙されて慕ってくる彼女を殺さなくて済んだ。

 内心喜んで浮かれてもいいぐらい当初の理想通りに物事は進んでいる。

 だが、彼らは楽しそうだった。その顔に浮かぶのは憎しみではなく、愉悦。

 集団で一人の女を堂々と嬲り殺せる喜びだった。

 俺はそれがおぞましかったのだ。

 どちらが正義でどちらが悪かわからない。 

 立ち尽くす俺に、か細い声が再び呼び掛けてくる。


「まおう、さま……」

「キルケー……」


 助けてと言われたらなんて答えればいいのだろう。きっと俺は頷けやしない。

 そんな最低なことを考え名を呼ぶしか出来ない俺に彼女は薄い唇で微笑んだ。


「おにげ、ください……あなたさまだけは、いきて……」


 その声が耳に入った瞬間、心臓が槍で貫かれたようになる。

 救いを求めることなく逃げてくれと願う彼女の言葉は俺の脳の一部を正確に破壊した。


「嫌だ、お前も一緒に……!」 


 俺がそう叫んだ瞬間キルケーの体が紅蓮の炎に包まれる。

 それをしたのは、金色の髪と紫の瞳を持つ魔女。

 俺の団のメンバーである、ミアン・クローベルだった。    

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