第24話 魔王、戦う4

 ここら一帯を包んでいた『空白空間』が崩壊したのだ。『空白空間』とは世界の歪み。本来は地上に広がっているものではない。それを女神が無理やり改造していたため、維持ができなくなったのだろう。さらに《勇者》候補たちも奏者を失ったマリオネットのように倒れ、動かなくなってしまった。


「お前ら、よくやった!」


 ほとんど墜落するように降りてきた龍之介が心配だったが、まあ大丈夫だろう。コイツは殺しても死ななそうだし。


 問題は鬼頭だ。女神を討った拳を見つめながら、浮かない顔をしていた。


「……鬼頭? どうした?」

「障壁魔法のせいで力が弱まった。仕留めきれなかったみたいだ」

「いや、十分だろ。確かに死んじゃいないかもしれないが、腹に大穴が開く重傷を負わせたんだ。いくら女神でも、しばらくは動けないんじゃないか? それよりも今は、倒れている《勇者》候補たちを介抱しないと……」


 言葉が途切れたのは、見てしまったからだ。

 川に沈んだはずの女神が水面に立っていた。


 腹には大きな穴が開いている。というか拳一個分程度の肉で上半身と下半身が繋がっている状態だった。人間だったらとても直立できる構造になっていない。それでも復帰できたのは、奴が女神だからだろう。


「嘘だろ? アイツ、あんなになっても動けるのかよ!」


 純粋な驚きと恐怖が全身を震撼させる。

 とはいえ満身創痍には違いない。逃げられて回復されないように、ここで捕縛しないと。


「……もういい」

「へ?」

「もういい!!」


 女神が激昂した。月明かりだけでも、奴の目が血走っているのが見て取れる。


 叫び声自体は弱々しく今にも枯れてしまいそうなものだったが、鬼気迫る狂気に私は気圧されてしまっていた。


 二の足を踏んでいる間にも、女神がゆっくりと宙に浮き始める。


「ま、待て!」


 しまった! 空に逃げられては、追う手立てがない。龍之介はもう動けそうにないし……。


 だが予想に反して、女神は視界から消えるほど遠くへ逃げるわけではなかった。はるか上空で滞空し、まん丸い月を背に私たちを睨み下ろしている。その目からは、怒りを通り越したどす黒い感情が渦巻いていることが分かった。


「本当はお前らを殺した後でゆっくりと《勇者》候補を選別するつもりだったけど……もういい。もういいもういいもういい! 全部ぶっ壊してやる! 神界にバレようが知ったこっちゃねえ! もうどうなっても知るか! 今ある魔力をありったけぶち込んで、お前ら全員ぶっ殺してやるぅ!!!! 死ね死ね死ねえええええぇぇぇぇ!!!」


 自棄になって喚き始める女神が両手を上げた。


 すると突然、月明かりしかなかった夜空に奇怪な光が灯った。幾何学模様が施された円形の光は青色に発光し、夜空を覆う。その大きさ、直径数百メートルはあるぞ!


「あれは……召喚魔法陣か!?」


 詳しい術式は私も知らない。けど同じものをさっきも見た。女神が剣や槍などの武器を召喚した時だ。つまり奴は異世界から何かを召喚しようとしているのか!?


「あははははははは! 死ね死ね! 魔力を持たないゴミ人間などみんな死んでしまえ!」

「あっ……あっ……」


 魔法陣の中心から現れた岩の塊のようなものを目にして、私は絶句した。

 隕石だ。直径数百メートルはあろう隕石が、ゆっくりと魔法陣から顔を覗かせる。


 そこで、ふと思い出した。私自身、分かっていたことじゃないか。女神は確実に勝てる魔力を取り戻してからしか私たちの前に姿を現さないだろう、と。


 さらに女神は私たちに即死魔法が効かないと知った時、『やっぱりまだスマートには殺せないみたい』とも言っていた。つまりスマートでなければ……手段を選ばなければ、いつでも私たちを殺せたということだ。例えば神界に露見する危険を冒し、ここら一帯を崩壊させるほど強大な魔法を放つとか。


「そんな……」


 絶望のあまり、私は膝をついてしまう。


 もうダメだ、お終いだ。単なる魔法ならば魔力の残量で威力が変わるため、まだ防ぎようはあった。が、隕石なら召喚した後は重力に任せるだけでいい。数百メートルの岩の塊に太刀打ちできる術は、私たちには……無い。


「真央ちゃん」

「真央」


 最期を悟ったパパとママが後ろから抱きしめてくる。


 召喚された隕石が辺り一帯を消し去るまで数十秒。最期くらいは両親の愛を感じながら死にたいな。それくらいの我が儘は許してくれ。


 生命を諦めた私はパパとママの腕に包まれるため顔を上げた……その時。

 目の前に、見知らぬおっさんが立っていることに気づいた。


「?」


 いつからそこにいた? どこから現れた?


 というか薄汚れたコートを羽織った浮浪者みたいなこのおっさん、いつかどこかで会ったことがあるような気がする。


 ……あっ。桃田を捜していた時、公園でいきなり話しかけてきた人だ。

 おっさんは初対面の時と同じように、表情の読めない顔で語り掛けてきた。


「そこのお嬢さん。もしよろしければ、私を助けてくれないかね?」

「はい?」


 いや、助けてほしいのは私の方なんだが?


 ふと異変に気づいた。私以外、誰もおっさんのことを気に掛けていない。上空から現れる隕石に目を奪われているからかもしれないが、私を抱きしめているパパやママですらも、おっさんの姿がまったく見えていないようだった。


 すると突然、おっさんが手を差し伸べてきた。

 不思議と私も手が上がる。まるで神にでも縋るように、おっさんに救いの手を求める。

 そしてお互いの指先が触れ合った瞬間……私はすべてを理解した。


「そういうこと……だったのか……」


 頭の中にある何かが弾けた。


 おそらくアドレナリンというやつだろう。今まで解けなかった難問を一気に答えへと導いていく快感が脳を支配する。鍵の掛かった扉が幾十も阻む迷宮で、私はマスターキーを手に入れたようなもの。ゴールまでの道のりは見えている。後は足を動かすだけだ!


 両親の抱擁を振り払い、私は急いで立ち上がる。

 私たちの日常を脅かす明確な『敵』に向けて、力強く睨み上げた。


「真央ちゃん?」

「大丈夫だよ。ママ、パパ。あれは私が何とかするから」

「何とかするって……」


 説明している時間も惜しい。私は川の方へと駆け出した。


 みんなから十分に距離を取ると、徐々にその全貌を明らかにしていく隕石に向けて、私は手を伸ばした。


「魔法陣、展開!!」


 魔力を放出する。私の足元に直径十メートルほどの魔法陣が現れた。放つ光の色は違うものの、女神が展開した魔法陣と同じ召喚術式だ。


「はーっはっはっはっはっは! そんな大層な魔法陣作っちゃって、どうするつもりだい! ゴブリンでも召喚するってか!?」


 ある一定量の魔力さえあれば、魔法陣を展開すること自体は簡単にできる。だが召喚は高等魔法。膨大な魔力を消費する。私のちっぽけな魔力を全投資したところで、ゴブリンでも召喚出来れば万々歳だ。


 だけど私は理解したんだ。


「私には、長年不可解に思っていたことがある! それが今やっと解明したんだ!」

「は?」


 呆ける女神。

 私は構わず続ける。


「《魔王》は必ず《勇者》に負ける! それが世界の選択だからだ! 世界が《勇者》の勝利を選択したからこそ、《魔王》がいくら足掻いたところで勝てやしない! だが、何故だ! 何故、世界が選択しただけで《勇者》が勝利する!? 何故、能力の劣っている《勇者》側が最終的に逆転できるのだ!? それがずっと不思議だったんだ!」

「何を言って……」

「その答えがこれだ!」


 私は掲げていた手の平を魔法陣の表面へと押し当てた。

 そして宣言する。


「我が呼びかけに応えよ! どこかの世界の最強の魔王よ!!」


 途端、魔法陣が光り輝いた。召喚魔法の発動、成功だ!


 まるでステージの昇降機に乗って表舞台へと登場するかのよう。頑強な兜を被った肩幅十メートルはあろうかという巨人が、ゆっくりと魔法陣の中から姿を現した。


「はああああああああああ!!!!!????」


 女神が目ん玉飛び出るくらい驚いてやがる。まあ、そうでなくちゃ困るけどな。せっかく私の呼びかけに応じてくれた魔王にも失礼だからな!


「てめえのどこにそんな魔力があるっていうんだよおおおおおおお!!!」

「勘違いするなよ。コイツは魔力で呼び出したわけじゃない。生命力が生み出した奇跡だ!」

「生命力だとぉ!? てめえのちっぽけな命一つで、んなバカでかい魔王が召喚できるわけねえだろうがああぁ!!」

「誰も私の生命力だとは言ってないぞ!」


 徐々に姿を現していく魔王の肩に乗った私は、地面に向けて指をさした。


「私に生命力を貸してくれたのは他でもない。この……地球だ!」


 そう。何故、《勇者》が……というより世界の選択した方が必ず勝利するのか。

 その答えは世界の生命力にあった。


 世界は寿命が縮む覚悟で、己の生命力という莫大な力を分け与えて助力していたのだ。だから《魔王》にあらゆる面で劣る《勇者》が勝利するし、私もどこかの異世界から最強の魔王を召喚することができた。


 つまり、地球は私たちの勝利を選択したのだ!


 といっても当然の成り行きだわな。女神は地球を滅ぼすと堂々と宣言していたし、龍之介も言ったように、今滅亡するよりも寿命を削って延命したいと思う方が普通の感覚である。普段は人間の味方である女神も、今に限って言えば地球にとって完全な『敵』だった。


 召喚された魔王は、腰の辺りが地上に出たところで上昇を止める。だがそれで十分だった。


 その巨体に見合った巨大な剣を構え、上空の女神を睨み上げる。


「ひいいい!!」


 今さら意地汚く逃げようとするも、もう遅い。女神は空中浮遊と止血以外の魔力をすべて隕石召喚のために消費しているのだ。空を飛んで逃げようにも、その速度は水中を泳ぐ程度のスピードしか出ていなかった。


「じゃあな、クソ女神! これが世界の選択だあああ!!!」


 大空に向けて、魔王が剣を薙ぎ払う。


 一太刀だ。あらん限りの力を込めた一閃は、音を置き去りにしてしまうほどの衝撃波を生んだ。


「いやあああああああああああ!!!!!」


 汚らしい女神の絶叫が響く。が、それも夏の夜空に打ち上げられた花火の如く轟いた爆発音によって呑み込まれてしまった。魔王の放った衝撃波が、魔法陣から半分露出していた隕石を女神もろとも粉々に砕いていったのだ。


 あとに残ったのはスターダストのみ。月の光を反射してキラキラと輝く隕石の塵が、辺り一帯に舞う。その光景が儚く幻想的で、私も思わず手を伸ばしてしまったのだが……その中に女神の一部も含まれているって考えると少し怖くなった。うげっ、気持ち悪い。


 地球に仇を為す敵が消滅し、私はホッと安堵の息をつく。

 そして肩を貸してもらっている最強の魔王の横顔へとタッチした。


「ありがとな、どこかの世界のどこかの魔王。助かったよ」


 感謝の言葉を述べると、魔王は私の前でサムズアップしてから元の世界へと還っていった。

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