第22話 魔王、戦う2

 突如として世界が変わる。周囲の環境音が消え、私たち以外のすべての物体が色褪せ、人の気配が完全に無くなった。まるではっきりと意識を持ったまま夢の中へと迷い込んでしまったかのように、河川敷一帯が虚ろに染まってしまったようだ。


「『空白空間』の応用さ。現実と隔絶された空間をここら一帯に張り巡らせた。この中で何が起ころうとも誰も気づかないよ!」


 言うやいなや、女神の身体が宙に浮いた。


「待て、逃げるな!」

「逃げる? はん、笑わせてくれる」


 なに笑ってんだよ。こっちはお前のパンツなんて見ても面白くないっつーの!


「私は逃げないさ。女神は女神らしく、人間たちが争う様を高みから見物するだけだよ」

「は?」


 意味が分からず呆けていると、川の付近に人の姿があるのを見つけた。

 六人。様々な学校の学生服を着た少年少女たちが、ゾンビのような足取りで歩いてくる。


「私が確保した《勇者》候補さ。少しばかり意識を奪って操らせてもらっている。お前らはこいつらに殺してもらうことにするよ!」

「ふざけるな! お前が下りて戦え、卑怯者め!」


 自分の力がまだ戻りきっていないからって……汚い奴だ!


「瀬良君、どうする?」

「どうするもこうするも、あの人たちは操られてるだけだから手荒いことはできない。空に浮いてる女神の方を何とかしないと……」


 とはいえ、今のところ手段は何も思いつかない。ひとまず《勇者》候補たちの襲撃を防ぎながら、女神を地面へ引きずり降ろす方法を考えるしかない。


 だが再び《勇者》候補の方へ視線を向けた私は、驚愕の光景を目の当たりにする。


 六人の《勇者》候補たちが掲げる両手の上には、自動車並みの火球が作り上げられていたからだ。


「はあ!?」


 そんなバカな! 魔力の扱い方を知っているのは女神が意識を操っているからだとしても、あれほど大きな魔法を発現できる魔力などあるはずがない。せいぜい指先からマッチ程度の火を灯すくらいだ。


 まさかあの女神……。

 いや、考えるのは後だ。あんなデカい火の球、どうやって防げばいいんだよ!


 魔理沙から魔力を覚醒させられている今なら、私でも一つくらいはかき消せるだろう。だが連発されたり同時に放たれたりでもしたら……。


「ダメだ、逃げるぞ! 追尾性能が無いことを願ってタイミングよく躱せ!」


 みんなに指示している間にも、六つの火球が隕石の如く頭上から降り注ぐ。


 鬼頭は未だ膝をついている桃田に肩を貸し、私は寧々子ちゃんを抱きかかえる。火球が直撃しない逃走経路を一瞬で見極めなければ……。


 しかし実際に足を動かす必要はなかった。火球が私たちの元へと到達する前に、まるで夜空に打ち上げられた花火のように爆発してしまったのだ。


 その現象に最初に驚いたのは、空から全体を俯瞰している女神だった。


「な、何が起きた!?」

「お待たせしました」


 女神の叫び声と重なって、私の横から聞き慣れた声が届く。

 いつも通りのすまし顔で虚空に向けて手を伸ばしている魔理沙がいた。


「私自身、攻撃的な魔法を放てるほどの魔力はありませんが、密集した魔力を分散させる技術は健在です。魔法系の防御ならお任せを」

「魔理沙! ナイスタイミングだ!」


 いや、『空白空間』の中は時間の流れが遅い。おそらく外では十数分ほど経過していることだろう。地上に展開された『空白空間』を見て異常に気づき、駆けつけてくれたのだ。


「チィ! 面倒くさい女が現れやがったな!」


 女神が不機嫌を露わにする。そういえば先日も魔理沙だけは異様に敵視していたな。


 私たちの身体能力はほとんど人間と変わらない。だが魔理沙の技術は生まれ持ったものではなく、概念体から引っ張ってきたものだ。つまり無数の世界に存在する《魔女》の知識を丸ごと所持していることになる。魔法をメインに使う女神にとって、魔力の扱い方を熟知している《魔女》は天敵なのかもしれない。


 ……っていうか今考えると、初対面の時の振る舞いも言葉も嘘だったんだよなぁ。知能は常人並みしか無いと言ってた割には、いろいろ詳しかったし。ああいや、知能は常人並みでも知識に関しては言及していなかったか。分かりづらいんだよ!


「龍之介と須野さんは?」

「須野さんは外で待機してもらっています。龍之介さんは……」


 その瞬間、突風が吹いた。エッチな風が私と魔理沙のスカートを捲り上げる。


 龍之介だ。龍之介が目にも止まらぬ速さで《勇者》候補たちの元へと駆けていく。そして力任せに一人の少年の顔を殴りつけた。


「待て、龍之介! そいつらは操られてるだけだ! 手を出すな!」

「いや、ノーダメージみたいだぜ」


 カウンターを警戒した龍之介が、私たちの元まで飛び退いてくる。

 確かに殴られた少年はよろめきはしているものの、怪我をしているようには見えなかった。


「異常な魔力でガードしてやがる。こりゃガチでやらなきゃ厳しいな」

「魔力だと?」


 さっきの火球といい防御力といい、もう間違いない。女神が彼らに魔力を与えているのだ。


「おい、どういうことだ! そいつらは《勇者》候補なんだろ!? お前が魔力を与えてどうするんだ!?」

「ふん。これくらいなら保持したまま異世界転移させても弊害にはならないし、邪魔になったら取り除けばいいだけさ」

「……は?」


 耳を疑った。言葉の意味を理解するのと同時に怒りがこみ上げてくる。


 人体から魔力を取り除くのは、それなりに危険が伴う。廃人になったり、それこそ死に至ったりすることだってあるのだ。それをさも当然のように言い放つコイツは、人間を道具としか見ていない。本当に自分のことしか考えていない、ただのクズだ!


「魔法がダメなら物理で応戦するまでさ」


 女神が手を振り上げると、空から剣や槍が降ってきた。


 無駄に派手な外見から判断して、おそらく異世界から召喚した武器だろう。あれらは強化魔法などのエンチャントを施すための装飾だ。武器の質にもよるが、少なからず魔力が付属しているはず。女神も、もう魔力由来の物を地球に持ち込むのは躊躇わなくなったってことか。


 地面に刺さった六本の武器を、それぞれ《勇者》候補たちが握った。


 マズい、この状況は想定していなかった。敵は女神だけだと思っていたため、魔法に対抗する用意しかしてこなかったのだ。武器に秘められる特殊な効果は無効化できても、物理的なダメージまでは防げない。


 などと悔やんでいる間にも、少年の一人が目の前まで迫ってきた。


「のわっ!」


 脳天目がけて振り下ろされた剣を紙一重で躱す。


 続いて二撃目。こちらも直線的な攻撃なので難なく避けられた。操られる際に意識を奪われているためか、おそらく今はまだ単純な攻撃命令しか出せないのだろう。


 少し余裕が出てきたので、少年の斬撃を躱しながら戦況を見渡してみる。


 戦闘力の無い寧々子ちゃんは後方に避難。その手前で、魔理沙が魔法による支援を行ってくれている。女神が使う拘束魔法はすでに分析が済んでいるのか、私たちが拘束されれば即座に解除し、逆に魔理沙の方からも《勇者》候補へと放っている。お互い、たまに動きが鈍くなる理由はこのためだ。


 二人が前線から退いているため、私と桃田は一人、鬼頭と龍之介は二人を相手取っていた。


 はっきり言って、魔理沙の支援があれば鬼頭と龍之介の二人で完封できるだろう。だがこの戦いは勝ってしまってもダメなのだ。勝てる見込みがないと判断したら、女神は間違いなく逃走する。奴が私たちの死亡を見届けるため、気楽に観戦している間が勝負だ。その間に女神を地面に引きずり降ろす方法を考えないと。


 それに……。


「ごめんよ!」


 少年の懐に潜り込んだ私は、思いきり股間を蹴り上げた。しかし少年は怯んだ様子もなく剣を振り下ろす。


 やっぱりだ。龍之介に殴られた時と同じく、まったく痛みを意に介していない。おそらく手足がもがれても襲ってくるだろう。こちらが本気を出してしまえば、彼らの方にも犠牲者が出てしまう。


 隙を見て魔理沙に目配せする。

 魔理沙も理解しているようで、頷いて見せた。


「このままでは埒が明きません! 龍之介さん、鬼頭さん、一度私の所に来てください!」

「何するんだ!?」

「お二人には無理をしていただきます!」


 何をするかは分からないが、魔理沙には何か秘策があるみたいだ。ひとまず任せよう。


 ただ後方へ下がれと一言で言っても難しい。鬼頭と龍之介には二人ずつ、計四人と戦っているのだ。果たして女神がそれを許してくれるのか。


「あのいけ好かない女が何かしようとしているね。悪いけど阻止させてもらうよ!」


 ほらぁ、大声出すから女神にも聞こえちゃったじゃないか!

 私と戦っていた少年も身を翻すと、魔理沙たちが接触するのを阻むため駆け出していく。


「セラマオさん、桃田さん。少しでいいので時間稼ぎをお願いします!」

「時間稼ぎしろって言われても……」


 んな無茶な! 私と桃田の二人で六人も相手できるわけないし!


 もちろん私も追うが、痛みを感じない彼らを止めるのは難しい。加えて武器による反撃が怖い。躱すのは簡単だけど、あまりに接近しすぎるのは未だ腰が引けてしまう。一応魔石はいつでも投げられるようにしてあるが、果たして効果はあるのか……。


 魔理沙の奥の手は、どうやら鬼頭や龍之介と接触しないと使えないらしい。

 だが《勇者》候補の少年少女たちが、彼らの行く手を阻もうとする。

 このままではジリ貧だ。いったい、どうすれば……。

 頭の中が焦りに満ち始めた……その時だった。

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