第13話 魔王、魔女の思惑を知る

 須野さんも伴い、私たちはさっそく資料室とやらへ足を運んだ。


 倉庫という単語のせいであまり期待はしていなかったが、資料室は意外と広かった。普通の教室と同じくらい。ただ窓際以外の三辺には大きな資料棚が立ち並び、整列された長机の上には書籍の山が鎮座しているので、妙な圧迫感があるが。


 まあ、この際だ。贅沢は言うまい。


「適当に座るぜ。セラマオはそこでいいだろ」


 龍之介が指し示したのは、窓際の席だった。いわゆる一番偉い人が座る場所だ。

 恐る恐る近寄ってみる。最上階の四階なので、非常に見晴らしが良かった。


「ふ、ふん。こんな狙撃されそうな椅子に座る奴の気が知れんわ」

「誰に狙撃されんだよ。んじゃ、俺様が座るぜ」

「いやあああああ冗談だからあああああ私が座るうううううう」

「うわっ、なんだコイツ。キモ」


 キモいってなんだよ! お前が変なこと言うからだぞ!


 でもま、顔の穴という穴から体液を垂れ流した女に縋りつかれたら、誰だってドン引きするわな。


 誰からも異論が無かったので、私が一番良い席に座る。

 うん、素晴らしい眺めだ。


「で、で、部活の名前は何にする!? 奉仕活動してるわけだから奉仕部とか? ここは少し捻って『世界を片っ端から綺麗にするセラマオ団』。略してSKS団とかにする!? パクリだけど!」

「普通にボランティア部だろ」


 ダメだなぁ、龍之介君は。本当にダメ。ユーモアの解放のさせ方が下手。

 ここはさぁ、少しくらいノッてこうよ。


「ふふ。セラマオさんって、意外と面白い方なんですね」


 私と龍之介のやり取りを見ていた須野さんが、思わずといった感じで笑い出した。

 あー、定着しちゃったかぁ。まあ自分でも言ってるし、仕方ないね。


「それでは、私は図書室に戻りますので……」

「うん。これからよろしくね、須野さん!」

「は、はい」


 須野さんが退室し、いつものメンバーだけが残る。

 誰の耳にも入らない場所を確保できたのは棚から牡丹餅だった。これで心置きなく話せるだろう。


「さて。ちょっと埃っぽいから掃除でもしたいところだけど、まずはその前に昨日の続きだ」


 モード切り替え、良し。真面目なセラマオちゃんの登場だぁ。

 ゲンドウポーズで雰囲気を出した私は、席に着いた魔理沙をじっと見据えた。


「魔理沙、お前は何を隠している?」

「少々誤解があるようですが、私はなにもみなさんを騙そうとしているわけではありません。ただ個人的なことだったので、進んで話そうとしなかっただけです」

「その個人的なこととは?」

「私の目的を話しましょう」


 凛と澄ました顔で、魔理沙は語り出した。


「私が人間として地球へ転生した目的。それは個人的な興味による調査、あるいは実験を行うためでした」

「実験? それは聞いていないぞ。ただ地球で調べたいことがあると言ってただけだ。お前は地球で何か実験をしていたのか?」

「いえ、私が手を入れる段階は転生を行った時点ですでに終えています。後は経過観察のみ」

「?」

「一言で申し上げるならば、『もし魔力が存在しない世界に魔力を与えた場合、どのような現象が起こるのか』という実験です」


 あー……なんか察した。

 ただ魔理沙が言葉を続けるので、私は黙って耳を傾けることにする。


「十五年前、概念体での会議で申し上げた通り、元々地球には魔力が存在しませんでした。だから私たちは人間として転生することができた。そこに矛盾はありません。ですが、概念体から分離した私たちの魂は、決して魔力を無にすることはできません。それこそ知覚すらできないほどの微量な魔力を持って、この世に誕生したのです」


 よくよく考えれば当たり前の話だ。

 私は龍之介に言われるまで自分に魔力があることを知らなかった。しかし私は《魔王》。《魔王》は例外なく魔力を持っている。いくら人間の肉体を得ようと、魂が《魔王》であるなら魔力が『有る』のは道理。完全な『無』になるわけがない。


「だとしても、知覚できない程度のものなんだろ? 周りに影響が出るとは思えないんだが」

「そんなわけありません。一が二になったところで変化は無いかもしれませんが、ゼロが一になるのは大きな違いです。それに昨日、みなさんの体内に眠っていた魔力を活性化させたように、軽い強化魔法が使える程度の総量はあるはずです」

「つまり私たちが転生したことで、地球に魔力を持ち込んでしまったってわけか」

「そういうことです。そしてそれが唯一、私が実験として手を加えた行程でした」


 んで今は地球がどう変化するのか経過観察中ってわけか。

 なんていうか、科学の発展のために野生動物の生態系を壊してしまった人間みたいな話になってきたぞ? 大丈夫か?


「それで経過観察とやらはどうなっているんだ? 私たちが魔力を持ち込んだことと、チンピラに魔力があった理由はどう繋がるんだ?」

「まだ確定したわけではありませんので、具体性には欠けますが……おそらく魔力はウイルスに似たような性質があると思われます」

「ウイルス?」

「ある一定量の魔力を持った者が他人に身体的接触をした場合、その人物に極小の魔力、いわば『魔力の種』が伝染します。その『魔力の種』は時間をかけてゆっくりと体内で増幅していき、再び他人と接触することで魔力の所持者を広げていくのです」

「そうか。チンピラたちに魔力があったのは、鬼頭が一人をぶっ飛ばしたからか」

「その通りです」


 たった一人だけだが、鬼頭は病院送りにするほど強く接触した。その時に『魔力の種』とやらがチンピラに移り、時間をかけて体内で増えた魔力は、次第に取り巻きへと伝染していったということなのだろう。


 魔力が伝染するなんて事実、確かに魔力が存在しない世界でしか判明しないことだ。


「鬼の旦那が殴ったのはそいつだけだろ? 俺様は今まで何人も殴ってるぜ? そいつらはどうなってるんだ?」

「全員ではないかもしれませんが、多くの人は魔力所持者になっているでしょうね」

「そっか。つまり昔よりも確実に強くなってるってことだな?」


 なんでそんなに嬉しそうなんだよ。お前はバーサーカーか。


「人間に伝染した魔力を取り除く方法はあるのか?」

「それはセラマオさんもご存じのはずです」


 なるほどなぁ。


 人間の体内から魔力を抽出するのは、実はそれほど難しいことではない。だがすでに根付いている魔力を無理やり取り除こうとすると、肉体に何かしらの障害が残ってしまう危険性がある。さらに取り除く量によっては、最悪死に至ることも。


 それに私たちが転生してから十五年も経過している現在、魔力を持っているすべての人間を見つけ出すのは不可能だ。探しているうちにも感染は広がるし、そもそも私たちが存命している間は感染源を断つことができないのだから。


 故に、魔力の拡散を防ぐ術はない。


「このまま地球全土に魔力が広がっていくとどうなる? 悪影響とかあるか?」

「地球の人間は魔力の使い方を知りませんので、しばらくは身体能力の補助となり、あらゆるスポーツの記録が塗り替えられるでしょうね。さらに何百年何千年後には、魔法主体の世界観に変わっているかもしれません」

「ううむ」


 人間の身としては途方もない時間だな。あまり実感が湧かない。


 でも数千年後には科学と魔法が入り混じった世界になるとか、それはそれで面白そうだ。その題材でラノベ一本書けそうだぜ!


「ともあれ事情は把握した。簡単にまとめると、私たちが転生したせいで人間が魔力を持つようになってしまった。しかも元に戻す方法は無い、というわけだな」

「そうですね」

「私たちの軽率な行いが地球の未来を変えてしまった。本来なら反省し詫びるべきなんだろうけど……」


 ん~……。正直、ん~って感じなんだよなぁ。


 私が《魔王》だからなのかもしれない。地球の行く末、しかも自分の死後に世界がどうなろうと、あまり興味が無かった。子供を持てば、また考え方も変わるのかな?


「ま、いっか。なってしまったものは仕方がない。反省したところで地球が元に戻るわけでもないんだし」

「開き直り早えな」

「うるさい。自分で解決できないことをうじうじ悩んでいても損するだけなんだよ。異世界人が変な物を持ち込んだ不運と思って、地球には諦めてもらうしかない」

「ですが、どうやら無関心ではいられないかもしれませんよ?」


 唐突に、魔理沙が感情を消した瞳で私を見据えた。


 本心を隠したまま向ける、いつものつかみどころの無い笑みとはまた違う。《魔女》の冷徹さを垣間見たようで、私は思わず生唾を呑み込んでしまった。


「……どういう意味だ?」

「地球に魔力が持ち込まれたことを不愉快に思っている存在がいる、という意味です」

「不愉快に思っている存在?」

「時にみなさん。高校に入学してから、妙な視線を感じたことはありませんか?」

「?」


 話題が変な方向へ飛んだな。私だけでなく、今まで聞き役に徹していた龍之介と鬼頭も訝しげに眉を寄せている。


 言葉を理解するくらいの時間を置いた後、まずは龍之介が答えた。


「あるぜ。たまーに、えらい殺意のこもった視線を向けられることがな。前にぶっ飛ばした奴かと思って周り見渡すんだけど、それらしい奴がいたことはねえ。だから毎度誰に見られてたのかは謎だな」

「俺も同じだ」


 龍之介の返答に、鬼頭も同意した。


 当然、指摘した魔理沙にも経験はあるのだろう。ってことは私だけか。私だけ殺意らしき感情を向けられたことがないってわけか。今まで清らかな人生を送ってきた証だな。


「セラマオさんは高校に入るまで魔力の存在を知らなかったらしいので、たぶん気づいていないだけでしょうね」

「それだぁ」


 そりゃ私だって誰かの視線を感じることはあるよ? けど殺意ってなんだよ。面と向かい合ってるわけでもないのに、相手の感情とか分かるかよ。きっとこの身体では、まだ魔力の扱い方に慣れていないせいだ。そうだ、そういうことにしとこう。そうじゃなきゃ、なんか私だけバカみたいだし。


「高校生になるまで視線を感じなかった理由は、おそらく私たちが魔力を持ち込んだ犯人だと特定できなかったからでしょう。魔力が発生した地域は判明しても、原因が誰なのかまでは分からなかった。ですが、ここに集まった四人は少々特殊な魂を宿しています。きっかけは推測するしかありませんが、私たちが発生源だと目星をつけた人物は、この一ヶ月間、確信を得るためにずっと監視していたのだと思います」

「それが殺意を孕んだ視線の正体か」


 確かに魔力を不愉快と思うなら、元凶である私たちを恨んでいても不思議ではない。

 だが魔理沙の言葉が正しいとするなら、いくつもの疑問が生まれてきてしまう。


「じゃあ、その視線の主は何者なんだ? どうして魔力を不愉快に思っている? それに魔理沙はそんな人物がいることをどこで知ったんだ?」

「最後の質問の答えは、私がまだ概念体の中にいた頃の事前予想の一つでした。地球で調査を続けていくうちに、予想が確信へと変わったのです」

「なら視線の主の正体はまだ調査中ってわけか」

「いえ、本人に訊いた方が早いかと思いまして」

「本人?」


 首を傾げると、魔理沙が唐突に立ち上がった。足音が一切聞こえない猫みたいな足取りで、扉の方へと移動していく。そして忍んだまま取っ手に手を掛けると、まるでサプライズで登場するかのように一気に引き戸を開け放った。


 だが、驚かされたのは私たちの方だった。

 廊下側から女子生徒が一人、部屋の中へと転がり込んできたからだ。


「ね、須野美琴さん?」

「ふげッ!?」


 床へと滑り込んだ須野さんが、恐ろしい目つきで魔理沙を睨み上げた。


 なんでそんな体勢で? と思ったが、おそらく彼女は扉に耳を当てて盗み聞きをしていたのだろう。だからいきなり開けられた扉に対応できなかったのだ。


 魔理沙を睨みつけたまま、須野さんは悪態を吐くように問い詰める。


「どうして私が聞き耳を立てていると分かった?」

「どうしても何も、ただの当てずっぽうですよ? 誰もいなければ私が恥をかいていただけですので。もっとも、セラマオさんの自己紹介には劣ると思いますが」


 ん? 魔理沙の奴、今ナチュラルに私をディスらなかったか?


「くそっ!」


 即座に立ち上がった須野さんが、一目散に廊下へと駆けていく。


「っていうか、なんで須野さんが!?」

「とにかく今は追いましょう!」


 言われなくても!


 扉のすぐ側にいた魔理沙、鬼頭、龍之介、私の順番で資料室から飛び出していく。だが階下へ向かった須野さんを追っていくうちに、順位は龍之介、私、鬼頭、魔理沙の順に変わっていた。


 待て、後ろ二人。遅すぎだろ。そんなんじゃ須野さんに逃げられ……なかった!

 須野さんは特別棟から出たところで、校舎に身体を預けながら息苦しそうにしていた。


「ぜえ、ぜえ……なんだこの身体。体力無さ過ぎだろ」


 いやいや、体力が無いにも限度があるだろ。四階から駆け降りただけだぞ。日常生活にも支障が出るんじゃないか?


 須野さんが追い詰められたのは、ゴミ集積所と倉庫があるだけの小さな広場だった。


 そもそも特別棟自体が学校の敷地内の隅にあるため、放課後となると人通りは滅多にない。さらに敷地を分ける高めの塀と校舎により、周囲からは完全に死角となっていた。


 疲れ果てている須野さんとは対照的に、息一つ乱していない龍之介が魔理沙に訊ねた。


「おい、何で須野が悪役みたいになってんだよ。そんな伏線あったか?」


 複雑そうな顔で口を尖らせた龍之介は、魔理沙を問い詰めているようにも見えた。

 そりゃそうだ。龍之介と須野さんは中学からの付き合い。あからさまに敵対者みたいな振る舞いをされては、心穏やかにもなるまい。


「伏線なんてありませんよ。別に須野さんが例の視線の主ではありませんので」

「はあ? じゃあ何で逃げるんだよ」

「中の人に訊いてみてはいかがでしょうか。ねえ? どこかの誰かさん」

「…………」


 須野さんが憎しみを露わにした形相でこちらを睨みつける。

 だがすぐに観念したのか、自嘲気味に鼻を鳴らした。


「そうだね。せっかくのご対面だ。こちらも姿くらいは見せてやろうじゃないか」


 マリオネットの糸が切れたように、須野さんの身体がその場に崩れ落ちた。

 同時に現れる。彼女の背中から、ゆっくりと。

 まるで西洋の絵画から抜け出したような、見目麗しい女性だった。


 黄金色に輝く長い髪に、海の青さよりも深い清らかな瞳。純白のシルクを身に纏い、背には雲のように柔らかそうな翼を持っている。


 知っている。全身から神々しいオーラを放つその存在を、私は知っている。

 こいつは――女神だ。

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