第89話「決戦」

 いよいよ決戦の日だ。

 相手は格上だとしても、十分強い戦いをしてくれると思う。


 そして俺にとって、と言うよりは亜弥にとっても、大事な局面を迎えようとしている。


「あれ、なんで亜弥ここにいるの?」


 応援席に向かおうとすると、案の定和泉に声をかけられた。

 ニタニタと薄ら笑いを浮かべているのが本当に気色悪い。


「娘の学校の応援に決まってるでしょ。あなたの方こそ何でここにいるの? 男子の部は別会場でしょう?」

「いいじゃん、うちの学校を応援するくらいさあ。ま、どうせアンタたちの学校は負けるだろうけどさ」


 自分たちが勝つ、ではなく向こうが負ける、と表現するのが和泉らしい性格の曲がり方だ。

 ふつふつと中学の時に抱いていた、彼女に対する怒りや憎悪が蘇ってくる。

 が、亜弥は慣れている様子で気にも留めない。


「それで、用件はそれだけ? 毎度毎度くだらない理由で私たちを勝手に呼び止めているけれど、別に用事もないのなら関わらないでって前にも言ったと思うんだけど」


 行きましょう、と客席に向かおうとする亜弥だったが、それを和泉が引き留める。


「そんなもんどうでもいいって。昔みたいに仲良くしようよ。ね?」


 口ではそう言っているが、彼女の表情からそれが見え透いた嘘だということがすぐにわかる。

 何かを企んでいるのか、それともただの威勢のつもりか。


 和泉は亜弥の腕を力強く握る。亜弥はそれに一切抵抗はしないが、おそらく相当な力がかかっていると思う。

 その証拠に、亜弥の手の先は段々と色が抜け落ちていった。


「亜弥」

「大丈夫、平気」


 心配する俺なんか気にも留めず、亜弥は和泉の鋭い眼光を放つ。何者にも遮うことはできない力強い光だ。

 そんな彼女の態度を気に行ったのか、気に入らなかったのか、和泉は吐き捨てるように笑った。


「アンタのそういうところが昔から嫌い」

「そう。これ以上長話をするなら場所を移しましょう。ここだとちょっと目立ちすぎるわ」


 亜弥の言う通り、ここは人の往来が多い通路だ。

 このまま立ち話を続けていたら、邪魔になるし、試合にも集中できない。


 和泉は亜弥の腕を離し、スタスタと歩いていく。


「あなたはチームの応援をしてあげて」

「でも、君は」

「すぐに終わらせてくるわ。大丈夫、ちょっと話すだけだから。心配しないで」


 そう笑っていたが、その笑顔はやはりどこかくたびれていた。

 多分、今から何をされるかわからない、と言う恐怖があるのだと思う。

 もちろん試合も気になる。だけど、ここは亜弥を守るのが先決だろう。


「いや、俺も一緒についていく」

「いいわ、あなたには関係ないでしょ」

「万一のことがあったら夏海ちゃんに合わせる顔がない。今の和泉は何をしでかすかわからないから」

「でも……わかったわ、お願いしようかしら」


 小さく溜息をついたが、彼女の表情からは不安の色が消えた。

 それだけでも俺が隣にいる意味はあると思う。


 少し先の方では和泉がイライラした様子で俺達を見ていた。

 腕を組み、右足で小刻みに地面を叩く。昔からの和泉の癖だ。


「ねえ、早くしてくんないかなあ」


 若干の苛立ちが入った声を浴びせられ、俺達は和泉についていった。


 訪れたのは会場の外の駐車場だ。

 夏らしく日差しが強く、こういう不愉快な出来事があると余計に鬱陶しい。


「それで何から話そっか」

「あなたが私に付きまとう理由を教えてほしいんだけど」

「そんなの、アンタが嫌いって理由以外にある?」

「それで私が納得できると思っているの?」


 お互いが睨み合う。バチバチと火花が散っているような、そんなプレッシャーがある。


「身に覚えない?」

「高校進学と同時に縁を切ったことなら謝らないわよ。誰と付き合うかは私の自由だし、あなたのそのひん曲がった性格とこれ以上関わりたくなかったから」

「あたしだってアンタみたいな人のことを見下してそうなすまし顔なんて二度と見たくなかったね。けどそんなことどうだっていいんだよ。あんた、マジで覚えてないワケ?」

「あなた、ことあるごとにすぐ突っかかってくるんだもの、何がきっかけなのかわからないわ」


 とぼけたつもりだろうが、これは確実に和泉を挑発している。

 こういう場合、キョトンと状況を把握していない目をしているのが常なのだが、今の亜弥は真っ直ぐと和泉だけを見ていた。

 こういうところは本当に恐ろしい。


 この挑発にもさすがに和泉も黙っていなかったようで、それまで浮かべていた笑みが消える。


「ホントに覚えてないんだな。くたばれよ」

「子供を持つあなたがそんな言葉を口にするべきではないわ」


 相変わらずのムーブに、和泉のフラストレーションは溜まるばかりだ。


「ああもう、一発ぶん殴らないと気が済まない」

「いいの? あなた犯罪者になるわよ? そうなったら旦那さんと息子さん、犯罪者の家族って言うレッテルを貼られて生きていくの。それでもいいの?」

「うるっさい! 調子乗ってんじゃねえぞこの淫売。今は雄星のことは関係ないだろ」


 過去一番と言っていいくらい和泉が取り乱した。

 元々ヒステリックな部分はあったけれど、こんなに怒りの感情を露わにしたのは見たことない。


 息を荒げる和泉に対し、亜弥は動じることもせず、その場に立っていた。

 彼女を見つめる亜弥の目が少しだけ穏やかになる。


「ねえ、教えて? 私はあなたに何をしたの? 私が原因なら本当に謝らなければいけないけど」


 それは半分呆れの感情に近い。

 早く終わらせてほしい、という彼女の意志が声から感じられた。


 和泉はそんな亜弥をギロリと見つめる。


「…………アンタが、あたしの彼氏を寝取ったんだろうが」

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