第71話「花より……」
お花見でもしましょう、と亜弥が言ってきたのは、新学期が始まって少しした頃だった。
「急だね。どういう風の吹き回し?」
「忘れてたのよ。この辺り桜の見ごろな場所はないから」
いつものようにクッキーを齧りながら、彼女は問いかけてきた。
「別にいいけど、夏海ちゃんは部活とかどうなの? それに、もうこの時期だとかなり散ってるんじゃない?」
今は4月の中旬だ。まだ桜はぽつぽつと目立ってはいるが、それでもピークは完全に過ぎたと言えよう。
「私も、土曜日の部活は休みたくない。でも、日曜は家庭教師もあるし」
「なら午前中にお花見をして、午後から家庭教師にすればいいんじゃない?」
「なるほど、その手があったか」
納得したように夏海ちゃんは牛乳を飲む。
「それに、隣町にはまだ桜が咲いていたはず」
「お母さん、なんでわかるの?」
「前に職場の花見で行ったことあるのよ」
ふふん、と俺に勝ち誇るように亜弥は鼻を鳴らした。
しかしこれで場所の問題も、日程の問題も粗方片付いたわけだ。これで行かないという選択肢を取るのは難しい。
「わかった。いつにする?」
「来週までなら多分桜もまだ咲いてると思うわ」
「じゃあそうしよう」
こんな感じであっさりと花見の日程が決まった。
俺自身も花見をするのは久しぶりだったから、少し楽しみだ。
約束の日、もう定番の待ち合わせスポットとなった駅前で彼女たちの到着を待っていた。
冬の待ちぼうけは大変だけれど、今の季節は丁度いい。
ポカポカと温かい日差しが優しくふんわりと包み込んでくれるので、心地よい気分になる。
「お待たせ」
横断歩道を亜弥と夏海が仲睦まじい様子で歩いてきた。
白のシャツに黄色いスカートの亜弥に対し、夏海ちゃんのコーデはジーンズに黒シャツと、タイプが随分と違っていた。
「どうかしら、この服」
うん、似合ってる」
俺が褒めると、亜弥はポッと顔をほんのりと染めた。
不服だったのか、ずいっと夏海ちゃんも俺の前に出てくる。
「私には何も言わないんですか」
「ああ、ごめん。似合ってるよ」
「やった」
グッと両手で小さくガッツポーズする彼女が可愛らしかった。
どうやら喜ぶときの癖らしく、かなり感情の起伏が激しくなった今でもこうして表現することが多い。
「それじゃあ、行きましょうか」
亜弥がそう言うので、俺達は改札を抜けて電車に乗った。
行き先は紅葉街道への道とは反対方向で、以前訪れた総合体育館も越えたところにあるそうだ。
「お弁当もちゃんと作ってきたから、いっぱい食べてね」
そう言う亜弥の手には大きなランチボックスがあった。
正直、この3人で食べきれるかどうか不安になるくらいには大きい。
「多すぎない?」
「お母さん、張り切って作りすぎちゃったから」
「ちょっと!」
夏海ちゃんの冷やかしに思わず亜弥は声が出てしまったそうで。乗客のほとんどがギロリとこちらを見る。
その目線がどうにも冷たく尖っていて、俺も背筋がピンと立ってしまった。
もちろん、それは亜弥と夏海ちゃんも同じだったようだ。
俺達はペコペコと周囲に頭を下げ、肩をすぼめた。
「もう、余計なこと言わないで頂戴」
「だって本当のことじゃん。それに、私も張り切って作ったんだから」
へへん、と夏海ちゃんは胸を張った。この様子から察するに、どうやら相当自信があるらしい。
まあ亜弥の娘ではあるから、料理上手なところは遺伝しているかも……いや、料理が得意になったのは必死で特訓したからだ。つまり先天的なものは、壊滅なのかもしれない。
それでも亜弥の監修が入っているはずだからなんとかなっているだろう。
そう自分に言い聞かせることにした。
目的の駅に到着したので、俺たちは電車を降りた。
市街地に近いこともあり、桜の気配は一向にない。
しかしここでもどうやらバスに乗るらしく、俺達はバスに乗って目的の場所まで向かった。
「亜弥はここに来るのは何度目?」
「一昨年の職場の花見が最後ね。今日で2回目。久しぶりだな」
「え、大丈夫? 本当に道合ってる?」
「失礼ね。ちゃんと覚えてるわよ。馬鹿にしないでよね」
プリプリと亜弥は頬を膨らませた。彼女の横で、夏海ちゃんが「変な顔」と笑う。俺もつられて笑った。
バスに揺られてやってきたのは、大きな自然公園だ。
まだ辺り一面がピンクに染まっているのも珍しい。
「ここは遅咲きの品種なんですって」
「だからこんなに綺麗に咲いてるんだ」
綺麗だね、と夏海ちゃんが呟き、パシャリ、パシャリ、と何度も自分のスマートフォンで写真を撮っていた。
「さ、ここから歩くわよ」
早くしないといいスポットが取られてしまうそうだ。
事実周囲はいろんな花見客で賑わっていて、まだ朝っぱらだというのに公園内のあちこちで宴会のようなものが開かれていた。
桜の景色は綺麗だけど、治安はあまり良くないらしい。この光景が夜ならまだ寛容できたのだろうけれど。
亜弥に案内されること約1分、広々とした原っぱに辿り着いた。
ぐるりと囲むように桜が並んでいて、多くのレジャーシートが敷かれていることもあり、老若男女様々な人で溢れていた。
「ちょっと真ん中の方になるけれど、丁度いいスペースがあるからここにシートを敷きましょう」
そう言うと亜弥は鞄から花柄のレジャーシートを取り出し、ばさりと芝生の上に広げた。
少し狭いが、3人分なんとか入ることができた。
ここに来るまでは結構な長旅だった。
特に何もしていないはずなのに、歳のせいか疲れがじんわりと身体に蓄積されている。
しかしこういう時こそ桜の力で癒されるものだ。
「やっぱり綺麗ね」
俺の隣で、亜弥が微笑む。
花より団子、と言うけれど、あれは本当のことらしい。俺にとっての団子は、他でもない亜弥自身だ。
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