第4話「一夜明けて」
「ふわぁぁ」
大きなあくびをしながら俺は背筋を伸ばし、体を起こす。
時計は10時丁度を指し示していた。休日、アラームをつけずに寝ると大体いつもこんな感じだ。
流れ作業のようにスマートフォンを手に取り、メッセージアプリを開く。
「あ」
一番上に、昨日連絡先を交換したばかりの亜弥からメッセージが送られてきた。
『おはよう
昨日はいろいろ迷惑をかけてごめんなさい
今朝夏海と昨日の話をしました
夏海はあなたなら家庭教師でも構わないと言っています
だから、これから夏海に色々勉強を教えてやってください
よろしくお願いします』
どうやら親子そろって了承してくれたらしい。よかった、とほっと胸を撫で下ろす。
また、亜弥に会える。
心の中はその喜びでいっぱいだった。
早速俺は返事を考える。不思議と、メッセージの文言はスラスラと浮かび上がってきた。
『連絡ありがとう
夏海ちゃんが「やる」と言ってくれて嬉しいです
日程なんだけど、土曜日か日曜日なら確実に1日空いてるけど、そっちの都合はどう?』
フランクにしたつもりだけど、これじゃあ業務連絡だな、とクスリと笑った。
俺の勤めている塾は基本的に平日勤務、土日休日というスケジュールだ。1ヶ月に一度土曜日に塾を開講し、スケジュール的になかなか来れない生徒に対して集中授業を行ったりするのだが、この間やったばかりなのでしばらく先だ。
冷蔵庫からペットボトルの水を取り出すと同時に、ピコンとメッセージを知らせる通知音が鳴った。
『土曜日は夏海の部活があるので日曜日なら大丈夫
時間帯はまた夏海と相談します』
そういえば夏海ちゃんはバレー部なんだっけ。確か亜弥も中学はバレー部だった。やはり母親の影響なのだろうか。
わかった、とだけ文字を打つ。すぐに既読がつくのは気持ちがいいものだな。
パジャマからラフなジャージに着替える。
他にすることがないので、バラエティ番組をBGMに夏海ちゃん用の簡単なテストを作成することにした。
5教科それぞれのテストを作るのは流石に骨が折れる。どの教科も簡単な問題から入試に使われるようなものまで幅広く取り寄せたから、ある程度の学力を測れるはずだ。
テスト制作中、またスマートフォンが鳴る。亜弥からだった。
『今、夏海が帰ってきて、夏海と相談しました
日曜日のお昼
15時頃からでいいかしら』
おやつ時だ。丁度いい時間帯かもしれない。
大丈夫、と返信し、再び問題作成に取りかかる。
「あ」
大事なことを伝え忘れていた。もう一度スマートフォンを手に取り、メッセージアプリを開く。
『授業時間だけど、基本的に1教科90分でやるつもり
不得意な科目を集中して伸ばしたいと思ってる
あと授業料はいらないから
他に何か要望はある?』
正直なところ、塾講師の経験はあるが家庭教師の経験は乏しい。どうするべきがセオリーなのかいまいちわからない。
返事はすぐに返ってきた。
『わかった
早速なんだけど、明日の日曜日からお願いできないかしら』
明日。
その言葉を見た途端、脳内がクラッシュを起こした。
いくらなんでも急すぎる。が、なぜか理不尽さは微塵も感じなかった。むしろ嬉しいとさえ思ってしまうくらいだ。
『大丈夫』
すぐにPCと向かい合い、問題を作る。キーボードを叩く指はいつもより荒ぶっていた。BGMにしていたテレビの音なんて、途中からは何も聞こえなかった。
ようやく5教科全て終わった。窓の外を見ると、すっかり真っ暗になっていた。時計はもう19時を回っている。
ぐぎゅるるる、と腹が鳴る。そういえば今日はまだ水しか口にしていない。
若い頃と比べて食欲は落ちたが、やっぱり1日何も食べていないと腹は空くものだ。
「なんか買うか」
エコバッグに財布とスマートフォンを放り込み、俺は外に出た。何もしない日はこのくらいしか外に出る機会がない。
最寄りのコンビニは歩いて10分程度のところにある。運動不足気味な俺にとっては丁度いい距離だ。
コンビニ弁当を購入し、店を出た。3日前も同じ弁当を買ったが、これしか陳列されていなかったので致し方ない。
ふと、隣のケーキ屋に目が映った。
営業時間外らしく、店内は真っ暗で誰もいない。
「明日、あいつに買ってあげようかな」
確か亜弥はケーキが好きだった。本人は公言していないので確証は持てないが。
特に苺のショートケーキには目がないようで、デートの時ケーキ屋の前で立ち止まり、じっとショーウインドウを眺めていたこともあった。
もう何十年も前の、遠い昔の話だ。思い返せばあのデートが亜弥との最後のデートだった。
またデートできたらいいな、と考えてしまった。
俺の隣で亜弥が微笑む。そんな光景を想像してしまった。
年甲斐もなくなんでこんな中学生みたいな感情になってんだ、なんて思いながら足早に歩く。恥ずかしいことこの上ない。
ああ、これは白状せねばなるまい。
昨日再会したあの時から、いやもっと前から、彼女に抱いていた感情。
一度は枯れたはずなのに、またどうしようもないくらいに彼女のことを考えてしまう。
「また、君に恋をするなんてな」
俺は、再び亜弥のことを好きになってしまったようだ。
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