第27話 夏海を甲子園に連れてって(3/9)


 練習用のユニフォームを着てグラウンドに出た春木は、懐かしい感覚とともに、気が引き締まる。半年前は厳しい練習を毎日させられていたのだ。嫌でも気合が入ってしまう。


 さっそく、練習前のミーティングで野球部のメンバーに挨拶を済ませ、顧問の泉先生からバッテリーを組んでほしいと頼まれた春木と冬太は、慣らしの意味合いで、試合形式のバッティング練習の投手と捕手を任された。球審に泉先生が入る。


 冬太はマウンドに上がり、ボールを弄んでいた。春木はマウンドの冬太を見て、ただならぬものを感じ取る。今までサッカー部や、バスケ部や、水泳部や、陸上部の助っ人でインターハイに導いてきたのだ。立ち姿が様になっている。


「春木君、よろしく」

「あっ。どうも」

 バッティング練習の打席に入るのはキャプテンの才木だった。


「冬太。投げていいぞ」と泉先生が声をかける。

「わかりましたー」

 冬太は軽い調子で返事をして、大きく振りかぶり、ボールを投げようとする。

 その動作は素人感丸出しだった。


(本当に大丈夫か?)


 と、思ったのも束の間。冬太から豪速球が放たれる。春木は驚いてボールを受け損ねた。球は勢いを持ったまま、後ろに立っていた泉先生の鳩尾にヒットする。

「うぉっ、がはっ、いっ………」

 泉先生は後ろで倒れ込んで悶え苦しんでいた。


 春木と才木は顔を見合わせた。

「これはとんでもないことになるぞ」

 才木は信じられないものを見て、ウキウキと浮き立つ気持ちが抑えきれない様子だ。

 冬太の方を見ると、倒れた先生に「大丈夫ですか?」と言っていた。


 結局、冬太は泉先生とピッチングフォームの練習をすることになった。冬太は投げ方さえしっかりすればもっと速くなると泉先生が目を輝かせながら、自前の野球教則本を脇に抱え、冬太をグラウンドの隅に連れて行った。


 冬太の代わりにバッティングマシンが置かれて、春木は外野の守備につくことになった。

 春木は冬太のポテンシャルに驚嘆していた。彼が今まで見てきたどのピッチャーよりも冬太が一番速く感じた。ちょうど同じシニアチームいた浜松というチームメイトが140キロぐらい投げていて野球U15の日本代表にも選ばれていたけど、そいつより明らかに速いと思った。


(……浜松か、懐かしいな。そいつはめちゃくちゃ嫌な奴だったな。なんせ、僕のいじめの首謀者だったからな。今のアイツと冬太先輩をぶつけてみたらどちらが勝つだろうか? 多分、冬太先輩の方が勝つだろうな。めちゃくちゃなフォームで浜松より速いんだから、ちゃんとした投げ方をすれば、もっとすごいことになるだろうな)


 春木は浜松が冬太に負けている場面を妄想して、少し優越感に浸った後、自己嫌悪に陥る。


(そんなことをしたって、どうしようもないのに……)


 そのうちに春木のバッティングの順番が回ってきた。冬太の代わりに130キロのボールが設定されているバッティングマシンと対峙する。

 久しぶりに打席に立つと、なぜか緊張した。自分がどうして打席に立っているのかわからなくなりそうだった。


 春木はバットをじっと見つめた。中学校までは自分の手に持っている金属バットの重さと、地面を踏みしめているスパイクの感覚だけが現実と自分とを繋げる唯一の架け橋だった。

 

 しかし、青春18部に入部してから、先輩同士のノリだったり、旅の中での電車の振動が体に伝わる感覚だったり、新しい景色を見た時の感動だったり、部活帰りの夜が近づく頃に自転車を漕ぐ寂しさだったり……そんないろんな感覚が彼と現実を繋いでいる。


(……僕は間違いなく、新しい自分になっている)


 春木は打席でバットを構えた。ピッチングマシンを操る才木がピッチングマシンにボールを入れると、ボールは球供給器の中をコロコロと転がり、軋みながら回るローターの間をくぐり抜けて春木の方へ勢いよく吐き出される。


 そのボールは昔の自分みたいだ。


 訳もわからないまま、野球を続けていた自分。主体性や自主性がなく親父や監督のために野球を続けていた自分。


 だけど、青春18部に入った僕は、今までとは違う……。


 春木は思い切りスイングすると、ボールは外野のはるか後方へと飛んでいった。

 

 サヨナラホームランだ。と春木は思った。


「ナイスバッティング!」

 才木が春木に向かって叫んだ。

 ……………。


「でも、あの一本目だけだったな」

 冬太は春木の肩をバンバン叩きながら笑っていた。

「違うんですよ冬太先輩」

 春木はトンボを持って地面を慣らしながら、言い訳がましく冬太に答える。


「バッティングするの久しぶりですし、変化球なんて感覚を取り戻せばすぐ打てるようになりますから」

「まあ、大会が始まるのは2週間後だから、それまでに仕上げれば大丈夫さ」

 冬太はいつものように能天気に話した。


 春木は慣らされた地面を見ながら、変化球を打っていたあの感覚を必ず取り戻そうと思った。トンボをバットに見立てて、軽く振る動作をする。

「おーい。そろそろ引き上げるよ」

 部室に戻ろうとしていた才木の声に、春木と冬太は返事を返した。


§


 そして迎えた1回戦。

「すごいね。圧勝じゃん」

 ベンチでマネージャーとして入っていた夏海と秋が手を取りあってはしゃいでいる。


「まあ、こんなもんだよな? 春木?」

 冬太は借り物のグローブとバットを片付けながら春木に話しかける。

「ええ、こんなもんです」

 春木はあっさりした感じを装いつつも、内心はかなり嬉しく、夏海先輩にいいところを見せるために、手の感覚がなくなるぐらいまで素振りをしたかいがあったと満足気な表情を浮かべる。


 それに、春木と冬太を合わせて9人になった急造チームが10対0のコールド勝ちを収めるほど強いことにかなり驚いていた。

 その要因として、冬太がこの1週間の間にピッチングフォームが劇的に改善し、さらにはスライダーとカーブとフォークまで投げられるようになったのだ。圧倒的な冬太のポテンシャルに春木は少しひいていたが、リスペクトせざるをえない。


「2人ともありがとう」

 キャプテンの才木が礼を言うと、冬太はもちろんだとキャプテンにピースサインを送る。

「とんでもない。後ろの守りが固いから勝てたんですよ」と春木は言った。

 事実、ナインの守備のレベルが高く、ヒットになりそうな打球をアウトにした内容がいくつもあった。


「春木君。謙遜してくれるな。10点の得点の内、冬太と春木君だけで8点も挙げてるんだ」と、才木がスコアを見せる。

「春木君は中学から硬式でキャッチャーをやってたんだろう? しかもあの笹ヶ谷ボーイズなんて強豪チームじゃないか」と才木は言った。


 確かに強豪チームではあったけど、春木自身は2番手のキャッチャーだったので、謙遜の意味で、まあ、でもベンチだったので。と、ふんわりと解答する。

「次の試合もよろしく頼むよ」

 キャプテンは笑顔でそう言った。


「しかし、冬太と春木のホームラン合戦はかっこよかったね〜。本当に甲子園いけるかもしれないね〜」

 帰り道4人で、歩きながら話していた。


 春木も自分のプレー内容にほっとしていた。あの2週間の練習のうちに野球の感覚を取り戻すことができて、さらにはどうしてかパワーまで上がっていたのだ。

「野球があれだけ上手いのにやめちゃうなんて勿体ない」と秋が冗談半分に春木に投げかけた。


「まあでも、野球を辞めてなかったら俺たちと出会うことは無かったもんな」

 冬太がニヤニヤしながら春木の脇腹をつつく。

「ちょっ、恥ずかしいから辞めてくださいよ。ネタにしないでください」

 勢いであんな恥ずかしいことを言ってしまったとを春木は後悔した。


「ねえ、春木」

 春木の後ろを歩いていた夏海が、気恥ずかしげに春木の服を引っ張った。不意をつかれた春木は驚いた。

「……次の試合も勝ってよね」

「……もちろんですよ、夏海先輩」

 春木も少し頬を赤らめがながら答えた。


 春木は、甲子園出場(強豪がひしめく激戦区の大阪ではほぼ不可能に近い)を果たせばデートというのはひとまずおいて、久しぶりの野球が面白いと感じていた。環境が自分にあっているところだったら、野球を続けていてもよかったかもなと、考え方をあらためた。


(僕は別に野球が嫌いじゃなかったんだ)


 自分のことを1つ自分で理解できて、自分が成長したような気がした。


§


 その試合から勢いづいたあすなろ高校野球部は、冬太の天才的な運動神経と春木のダッグのおかげで、2回戦3回戦と勝ち進み続け、気づけば決勝までコマを進めていた。


 準決勝で勝利を収めた時、春木は現実味を感じられず、うわの空だった。夏海と秋は嬉々として、春木と冬太に話しかけるが、春木は自分がどう受け答えしたかわからない。彼は、自分は野球と決別して、甲子園を目指す人生なんて送らないだろうと思っていたから、きつねに包まれたような気分だった。そして、心のどこかでプレッシャーを感じていた。


 人一倍、真面目な春木は、勝負事になるといつも、周りがミスを許していないような気がしてくる。それは、シニアリーグでの野球を始めて以来、ずっと感じてきていた。


(実際には期待なんてされていないだろうし、別に気にすることでもないのだろうけど……)


「ままま、まさか、準決勝までかて、かて、勝つと、ぼぼぼ僕は…」

 準決勝試合後のミーティングで、顧問の泉先生が泡を吹いて倒れそうな勢いだった。

「先生、大丈夫ですか?」

 才木が先生の目の前で手を振る。


「いやいや、俺たちが緊張するならわかりますよ」

 才木が先生の肩をバシバシと叩くのを見て、周りが吹き出した。

「そうだよ先生!」

「冬太と春木がすげぇだけだからさ! 先生は何も気負わなくていいんだよ」


 どうして部員よりも先生が緊張しているのかを考えるとおかしくなって、春木は吹き出してしまい、笑いが止まらなかった。春木は今までプレッシャーとか期待とか気にすることなく、夏海のためにやってきたのだ。そんなくだらない事は考えなくていいと思った。


(よし。明日の決勝もがんばろう)

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