第4話 特別試合

 一週間後。

 イサラは、セグメドとの特別合当日を迎えていた。


「ほんと、大変なことになっちゃったね。お姉ちゃん」


 闘奴の控え室で、エリエが複雑そうな顔をしながら言う。


 セグメドに求婚された件は、当然エリエにも話している。

 勝つにしろ負けるにしろ、自分たち姉妹の行く末を決める大事な試合なので、食堂の責任者から特別に休憩をもらって激励に来てくれた次第だった。


「皇子様に求婚されたって聞いた時はつい喜んじゃったけど……お姉ちゃん。絶対負けちゃダメだからね」

「もとより、負けてやるつもりなんて毛頭ありません」


 人前ではまず見せない微笑を浮かべながら、イサラは妹の頭を優しく撫でる。


 セグメドに求婚された後、色々と調べてみたが、どうやら一番目から三番目の妃はセグメドに散々弄ばれた挙句、捨てられてしまったという話だった。

 まさしく、皇族の子供が飽きた玩具を捨てるように。


 捨てられた妃は、自殺、娼婦堕ち、奴隷堕ちと、いずれも悲惨な末路を辿っており、そのことを知っているからこそ、エリエは絶対に負けちゃダメだと言ってくれているのだ。


「逆に、勝てば大金を得ることができます。そのお金を持って、お父さんとお母さんのもとに帰りましょう、エリエ」

「うん!」


 そのやり取りを最後に、「お姉ちゃんが勝つって信じてるから!」と言い残し、エリエは給仕の仕事に戻っていった。


 本音を言えば、エリエにはこのまま試合の応援もしてくれたら心強いのだが、奴隷如きに闘技場の観戦など許されるはずもなく、こうして激励のために特別に休憩をもらえただけでも良しとするしかなかった。

 そんなことを望んでいながらも、エリエには闘技場の血腥い戦いを見てほしくないとも思ってるものだから、我ながら面倒くさい性格をしているとイサラは思う。


 などと考えていると、覚えのある気配が控え室に近づいてくるのを察知し、その数秒後に、コンコンと入口の扉をノックする音が聞こえてくる。


「入っていいですよ。カリオン」


 促すと、名指ししたとおりの男が、いつもの胡散臭い笑顔を若干引きつらせながら中に入ってきた。


「なんで、僕だってわかったんだい?」

「あなたの気配は一週間前に覚えましたから」

「名前を憶えたみたいなノリでそんなこと言う人、初めて見たよ」


 感心しているのか呆れているのか、カリオンは小さくため息をついた。


「ところで、あなたがこのタイミングで来たということは、勝敗条件を伝えに来たと思っていいんですよね?」

「ああ。そのとおりだよ。当日になってってところも含めて、セグメド様の性格をよく表した条件になってるけど、覚悟はいいかい?」

「覚悟を求められてる時点で、ろくでもない条件だと言っているようなものですが……いいですよ」


 カリオンは一つ頷くと、相も変わらずの胡散臭い笑顔で、イサラをしてつい片手で頭を抱えてしまう勝敗条件を滔々とうとうと告げた。


「イサラの勝利条件は、セグメド様の額に巻いた革紐を斬り落とすこと。但し、セグメド様にかすり傷一つでもつけた場合は、即刻イサラの敗北になるから気をつけて」

「……これはまた、面倒な条件を考えてくれたものですね」

「僕に言わせれば、面倒の一言で済ませている君に驚きだけどね。普通の人間なら、絶対に無理だって言うでしょ。肌と完全に密着している革紐を、相手を全く傷つけることなく斬り落とすなんて」


 肩をすくめるカリオンに、イサラは事もなげに言う。


「やってやれないようなことでもありませんから」

「……マジで?」

「マジです」


 どうやらカリオンは、本当に驚いているらしい。

 いつもの胡散臭い笑顔が、完全に凍りついていた。


 このままでは話が進まないと思ったイサラは、カリオンに訊ねる。


「ところで、向こうの勝利条件は?」


 我に返ったようにハッとすると、瞬時にいつもの調子を取り戻してからカリオンは答えた。


「君が負けを認めた場合。ただそれのみだよ」

「そちらは、随分とわたしに優しいルールだと言いたいところですが……わたしを屈服させたいという欲望が、透けて見せるようですね」


 再び、イサラは片手で頭を抱える。


 セグメドは、イサラのことを嬲りたいのだ。

 闘技場最強という肩書きを持つ女を、心が折れるまで嬲り尽くしたいのだ。


 あまりの悪趣味さに、さしものイサラも目眩を覚えそうになる。


「まあ、裏を返せば、君が認めない限りは負けはないということになる。そういった意味でも、精々期待させてもらうよ」


 まるでセグメドの鼻を明かすことを望んでいるかのような物言いに、イサラはわずかに柳眉をひそめる。


「結局のところ、あなたはどちらの味方なのですか?」

「表面的にはセグメド様。心情的には君の味方だと思ってもらえると、僕は嬉しいよ」


 胡散臭い笑顔をさらに胡散臭くしながら、カリオンは答える。


「……ただの愉快犯に見えるのは、気のせいでしょうか?」

「その見解も、あながち間違ってはいないよ」


 露骨に煙に巻いてくるカリオンを前に、これ以上の問答は無意味だと判断したイサラは踵を返した。


「おや? 開始時刻まではまだ少し余裕があるけど、もう舞台に向かうのかい?」

「ええ。これ以上あなたと話していても、疲れるだけなので」

「つれないねえ」

「つれなくされたくなければ、その人を食った態度をもう少し改めた方がよろしいかと」

「考えとくよ」


 その会話を最後に、イサラは歩き出す。

 見送ってくれるのが妹ならば一度や二度振り返っていたところだが、胡散臭い敵方の従者が相手では、一度たりとて振り返る気にはなれなかった。


 控え室の入口扉とは反対側にある、入場口と直接繋がっている廊下を行き、兵士が用意しくれたいつもの長剣を受け取る。

 念のため、細工がされていないことを確認してから剣を腰に下げ、闘技場の舞台に上がる。


 途端、地を揺るがすほどの歓声が青天に衝き上がった。

 今日も今日とて、闘技場の観客席は満杯になっていた。


「イサラーッ!!」


「聞いたぞ! 帝国の皇子様とやり合うだってな!」


「うっかり殺すんじゃねえぞ!」


 いつもどおりの品のない声援にむしろ安心感を覚えながらも、イサラはしばしの間、セグメドが入場してくるのを待った。


 やがて――


 イサラの反対側にある入場口から現れた集団を見て、好き勝手に叫んでいた観客たちが静まり返る。


 騎士だった。

 闘技場の舞台に現れたのは、頭の天辺から爪先まで鎧で覆われた、騎士の集団だった。


 これが闘奴同士の死合であれば観客席から野次が飛んでいたところだが、今回は帝国の皇子が出場する特別試合のため、しわぶき一つ聞こえてくることはなかった。


 フルプレートアーマーを纏う八人の騎士に遅れて、猛禽の如き鋭い眼をした燕尾服の護衛――レナードが姿を見せる。


 そして最後に、主役のご登場だと言わんばかりに、場違いなほどに煌びやかな王衣を身に纏った、ラグエラ帝国帝位の継承順位第六位の皇子――セグメドが舞台に入場した。


「待たせたな。イサラ」

「別にあなたことは待っていませんので、どうかお気遣いなく」


 あまりにもつれない返事に、観客席のそこかしこから笑い声が上がる。

 自尊心が傷ついたのか、セグメドは微妙にこめかみをひくつかせながらも、あくまでも大物ぶった物言いで返した。


「くくく……相変わらず、つれない女だ」

「そんなことよりも、ちゃんと革紐を頭に巻いてください」

「おっと、すまんな。俺様のところにたどり着けるわけがないと思っていたから、つい失念していた」


 言いながら、傍にいたレナードに掌を差し出す。

 レナードはすぐさま懐から革紐を取り出し、片膝をつきながらもセグメドに献上した。


「本音が漏れていますよ、皇子」


 小さくため息をついてから、イサラは指摘する。

 本音とは、明らかに負ける気なしでこの特別試合を組んだことを指した言葉だった。


「本音であることは否定せんが、貴様ならばあるいはとも思っている。期待しているぞ、闘技場最強の闘奴よ」


 心にもないことを――とは、さすがに口には出さなかった。


 セグメドは革紐を頭に巻いたところで、観客席に一角にある、特別試合の進行を務める役人たちの席に視線を向ける。

 皇子の無言の命令に応じた役人は、常よりも緊張を滲ませながらも手旗を持った兵士に命じ、鐘楼の兵士に合図を送らせる。


 そして、


 試合開始を告げる鐘の音が、闘技場の空に響き渡った。

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