29.僕の挑戦

 鯛のカルパッチョ、カリカリに焼いたイワシを乗せたサラダ、ラザニア、コロッケ、鰆の西京漬けのホイル焼きと、テーブルの上に所狭しと並ぶ料理に、僕も寛も驚いていた。

 小さな頃から祖父母の家の夕食は豪華なイメージがあったが、こんなに作ってもらえるとは思わなかった。

 それも、僕の一言が原因だったのかもしれない。


 料理を作る途中に部屋に入って来た叔母に興奮して言ったのだ。


「新しい出版社さんと仕事の話がまとまるかもしれない」


 正確には過去に一度だけお仕事をして、それ以来連絡のなかった出版社さんだが、今回の上下巻の新刊を高く評価してくれてお仕事を持ち込まれたのだ。

 その話をしたせいか、晩ご飯がやたらと豪華だった。


「ドライカレーも作ったんだけど、持って帰らんね。おでんもあるよ」

「お母さんったら、作りすぎなんよ。かーくんが来て嬉しいけんって」


 これにドライカレーとおでんまであるというのは驚きだ。

 ドライカレーとおでんは持ち帰ることにして、鯛のカルパッチョから食べていく。

 僕の家は肉よりも魚が出て来ることが多かったので、僕は魚が好物だった。


 オリーブオイルとレモンと塩コショウで味付けされたカルパッチョに、刻んだ大葉がアクセントになっていてとても美味しい。

 カリカリに焼いたイワシを乗せたサラダも美味しかった。


 ラザニアはお代わりしたし、コロッケも三個食べた。鰆の西京漬けのホイル焼きは、寛が興味深そうに食べていた。


「かーくん、そろそろ、かーくんの本を私たちにも読ませてもいいんやないと? これだけ売れてるっちゃけん」


 叔母の言葉に僕は猫又の言葉を思い出していた。


――これからは発言や文章によって、ひとの心を動かす場面があると思うの。そのときには明確に、自分の意志を示した方がいいわ。


 僕の意志をはっきりと示すときが来ているのかもしれない。

 ずっとロマンス小説なんて恥ずかしいと思っていて、家族には買わないで欲しいとお願いしていたけれど、本当にロマンス小説は恥ずかしいものなのだろうか。


 僕が一生懸命に書いた本を、僕の祖父母は、家族は、馬鹿にするようなひとたちではない。


「献本を今度持ってくるよ」

「よかよ。買わせて」

「買った方がかーくんの儲けになるっちゃろ?」

「本は何でもいいものだ」


 口数の少ない祖父まで話に加わってきて僕の本は祖父母の家で買われることになった。

 叔母はこれまでもこっそり読んでいたようだが、祖父母にも読まれるとなるとちょっと恥ずかしいけれど、わざわざ僕のために買ってくれるという気持ちが嬉しかった。


 晩ご飯を食べ終わるとタッパーにドライカレーとおでんを入れてもらって、紙袋に入れて持って帰る。


「お兄ちゃんとお姉ちゃんも会いたがっとったんやけどね。今度は休みの日に来んね」


 下の叔父と上の叔母も会いたがっていたという話を聞くと、僕はどれだけ愛されているのかと実感する。

 帰り道で寛が話していた。


「俺には実家はない。思い出もないって思ってたけど、あったな」

「そうだね。ゆーちゃんの小学校の写真も格好よかったよ」

「ガキじゃないか」

「ゆーちゃんは僕にとってはヒーローなんだって」


 今も昔も変わらず、寛は僕にとってはヒーローだった。


 部屋に戻ってから、僕は改めて新しい出版社の編集さんにメッセージを送った。

 一度だけ仕事をした感じでは、この編集さんも悪いひとではなかった気がする。

 単純に、僕の力量不足でそのときは続刊を出せなかったのだ。


 あのまま終わっていたかと思ったが、編集さんはきっちりと僕のことを覚えていてくれた。僕の新刊をチェックしてくれていて、これならば自分の出版社でも売れるのではないかと声をかけてくれた。


 僕にとってはそれはありがたいことだった。


『上下巻で出した話と同じ系統のものをお望みでしょうか?』


 こういうことは最初にはっきりとさせておいた方がいい。

 メッセージにはすぐに返事が来た。


『男女が妖にまつわる事件を解決していくような、ミステリ要素の入った恋愛小説を書いていただきたいんです』


 ミステリ要素!?

 そんなものは僕は書いたことがない。

 けれど、これは僕にとっては新しい挑戦になるのかもしれなかった。


『やってみます。プロットが出来上がったらお送りします』


 苦労するかもしれないけれど、僕は新しいことに挑戦したい。

 その気持ちでいっぱいだった。


 上下巻同時発売の本の方も、続刊が決まっていた。


『今度は、周囲の妖の話を入れた番外編集を作りましょう。百足の女の子は人気なので、その話は必ず入れてください』


 編集の鈴木さんからのメッセージに僕はプロットを練る。

 僕の小説は基本的にロマンス小説なので、恋愛要素が入って来る。

 常連客の鬼と白蛇の恋とか、狐の祠を掃除している女の子の恋とか、案はいくつか出した。

 この中でどれを採用するかは、鈴木さんの手腕にかかっている。


『板前さんと女の子の話も続きが読みたいという声がたくさん出ています。そっちもお願いします』


 専業になったから鈴木さんは容赦なく僕に仕事を振って来る。収入が安定するのはありがたいのだが、もう一社の仕事と同時進行なので僕は頭がパンクしそうになっていた。


 専業作家になってから、僕は毎日川べりに散歩に出かけるようになった。

 その後で寛のお店に行くこともあれば、部屋に戻って仕事をすることもある。

 川べりの散歩はいい気分転換になる。

 川を渡る風はもう冷たくなっていたが、僕は上着を着て川べりを歩いていた。


「あら、先生じゃぁないですか」


 声をかけられてびくりとしたのは、その女性にふさふさの狐の尻尾がついていたからだ。

 以前に僕に声をかけて、寛にお店を出禁にされた狐の女性だった。


「先生って……僕のこと……」

「まだあたし、お店に入れてもらえないんですよぉ。もう反省したのに」


 甘ったるい声で言われて僕は気分が悪くなりそうになった。狐の女性はそれに気付いていないのか、僕の腕に手を添えようとしている。


『ふしゃー!』


 猫又が飛び出して全身の毛を逆立てて狐の女性を威嚇する。

 威嚇されて女性はどろんと狐の姿になって茂みの中に逃げて行った。


「助かった……」


 これまでだったらどう対処していいか分からずに寛の店に走り込んでいたのが、猫又のおかげで今回は助かった。

 猫又は誇らしそうに自分の毛を舐めて毛繕いしている。


「ありがとう」


 感謝を述べると『なぅん』と鳴かれた。

 猫又を抱き上げてみると、重さは感じないが、質量は手に感じる。腕に猫又を抱いて撫でながら歩いている僕は、周囲から見たら変なひとだっただろう。

 そういうことを以前は気にしていたけれど、最近は気にならなくなった。


 僕もそういう意味では成長できたのかもしれない。


「主人公に守護獣がいて、それが守ってくれるけど、謎解きは主人公がするっていうのはいいかもしれない」


 書いたことのないミステリの作品も、今なら書けるような気がしている。

 僕は寛のお店に向かって歩いていた。


 お店はまだ閉店中でランチの準備をしていたけれど、寛は僕を見るとすぐに中に入れてくれる。

 お店で僕は先ほどのことを話した。


「前に寛が出禁にしたひとが、また絡んできて」

「平気だったのか?」

「うん、なんとか」


 前に絡んで来たときには寛に助けてもらうことしかできなかった僕も、成長したのだと寛に伝えたかったが、実際のところ僕が成長したのではなくて、猫又が助けてくれただけだった。

 虚空を抱えている僕に寛は聞いてくれる。


「それは、猫又か?」

「そうなんだ。抱っこしてみたいと思ったら、抱っこできたんだよ」


 そう言えば僕は寛に猫又がいつもどうしているかを話していなかったのではないだろうか。


「猫又さんは、いつもゆーちゃんの不動明王様に抱っこされてるんだ。不動明王様はゆーちゃんの膝の上に座っていてね」

「は!? 俺の膝の上に不動明王が!? それ、めちゃくちゃデカいんじゃないか!?」


 言われて僕ははっと気付く。


「ゆーちゃんについてる不動明王様は小さいんだよ。仏像くらいの大きさかな」

「仏像も色々あるだろ」

「えーっと、保育園児くらいの大きさ?」


 保育園児くらいの大きさと口にして、僕は気付いた。

 不動明王は三歳児くらいの大きさなのではないだろうか。


「僕とゆーちゃんが出会ったときの大きさ」

「そうか」


 三歳のあの日から、全てが始まっていた。

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