23.ゆーちゃんに料理を教えてもらう
賄いを食べてから、店内の掃除をする。
椅子を上げて食べこぼしや汚れを取って、店内の床を僕が磨き上げている間に、寛は厨房で仕込みをしていた。
夜の料理の仕込みだ。
ずっと引きこもりで、在宅仕事ばかりしていた僕は、この辺で疲れて来ていた。
疲れたなど言えるわけないのだが、言わなくても女将さんも寛も察してくれる。
「楓さんが好きって言ってた和菓子のお店の練り切りがあるんですよ」
「休憩していいってことですか?」
「アルバイト体験なんだし、そんなに根詰めなくてもいいんじゃないですか?」
お茶と練りきりを出してもらって、僕は椅子に座って一休みする。
床の掃除も終わっていたし、テーブルも拭いて、椅子も消毒している。
ゆったりとお茶を飲んで休んでいると、寛も僕と同じテーブルについた。
「小説のネタは纏まりそうか?」
「うん。お陰様で。なんとなく書けそうな気がしてきた」
「どんな話なんだ?」
寛は僕の書くロマンス小説がよく分からないというけれど、興味を持って話を聞いてくれる。話しているうちに僕の思考が纏まるのを知っているからだ。
「ある小料理屋の板前さんが、お腹を空かせた獣に店の料理の残りをあげる。獣は恩義を感じて、女の子の姿で板前さんのところにやってくる」
店は経営が傾いていて、潰れそうになっている。
その店を女の子はアルバイトに入って板前さんを支えて、盛り立てようとする。
「そこにロマンスがあるんだけど、女の子はなかなか自分の正体を言えないし、板前さんは気付いてくれないし、すれ違いが起きるんだよ」
「言えばいいんじゃないのか?」
「そこは言えないものなの」
「話し合いは大事だぞ」
そこで話し合ってしまうと、小説が成り立たない。
僕の言葉に寛は不思議そうにしていた。
夜まで僕はお店を手伝って、寛と一緒に家に帰った。
暑い時期でも夜の風は少し涼しい。
近道で公園を抜けようとすると、黒い影が見えた。
僕が躊躇っていると、不動明王がずっと抱っこしていた猫又を降ろす。最近猫又は不動明王に抱っこされて可愛がられているようだ。
猫又は黒い影に飛びかかって行って、飲み込んでしまった。
お腹がいっぱいになったのか満足そうな猫又は、また不動明王に抱っこされに行っている。
「何かいたのか?」
「猫又さんと不動明王様がなんとかしてくれたよ」
「そうか」
例え猫又と不動明王がいたとしても、僕と寛の関係は変わらない。それが分かってから寛はいつも通りに淡々と事実を受け止めていた。
一時期は僕にとって寛が必要なくなるのではないかと悩んだようだが、今はそんなこともない。
「晩ご飯、ちょっと凝ったもの作るけど、何がいい?」
「僕が食べたいものってこと?」
「違うよ。作中で出したいものってことだよ」
作中で出したいものとなると、握り寿司やアナゴの卵焼きなどがあるが、それは何となく作り方が理解できる。
作り方が理解できていなくて、作中で出したいものを考えると、浮かんでくるのは角煮丼に、なめろう茶漬け、西京漬けと、たくさんあった。
「色々あるからなぁ」
「家にあるものしか作れないからな」
「今日は何がある?」
「豚肉のブロックはあったかな」
寛の答えに、僕は決めていた。
「角煮を教えてよ」
明るい表情で言う僕に、寛がため息を吐く。
「うちに圧力鍋があるからいいものの、普通は簡単に作れるもんじゃないからな」
「そうなの?」
「まぁいいや、帰ったら作ろう」
僕と寛は足早に公園を抜けてマンションに帰った。
マンションに戻ると念入りに手を洗って、寛が豚バラのブロックを冷蔵庫から出して来た。
巨大な肉に怯んでいると、寛がフライパンで豚バラのブロックを全面こんがりと焼き色がつくまで焼く。
角煮になるくらいの厚さに切って、水と料理酒と醤油とショウガとみりんを入れて電気圧力鍋に入れて煮込む。
電気圧力鍋で豚バラブロックが煮込まれている間、寛は時間を計って卵を茹でていた。
「水から六分半。茹で上がったら、すぐに冷水に付けて皮を剥く」
「皮はすぐに剥けるもの?」
「卵の底に針で穴を空けておくんだ。そしたら、剥きやすくなる」
聞かないと寛は教えてくれない。
そういうタイプなのだと思い出して、僕は電気圧力鍋に入れたものも聞いた。
「何を入れたんだっけ?」
「水と料理酒とショウガとみりん」
「途中で脂を取ったりしなくていいの?」
「面倒だから、最後にやる」
電気圧力鍋から圧力が抜ける音がして、寛は汁の表面にキッチンペーパーを置いて脂を吸い取っていた。
それから煮汁に剥いた卵を入れていく。
「冷めるときに味が沁み込むから、温かいうちに入れるんだ」
「なるほど」
メモを取って僕は忘れないようにする。
晩ご飯は時間がかかったけれど、角煮丼と煮卵だった。
煮卵は中が半熟になっていて、味がよく染みて美味しい。角煮と一緒に崩してご飯と食べるととても美味しかった。
食べ終えて僕が食器の片付けをしていると、寛が声をかける。
「明日の朝、早く起きられるか?」
「頑張って起きるよ」
「朝食に太巻きを作ってやる」
朝食に太巻きを作ってくれる。
それはいい取材になりそうだ。
僕はメモをパソコンに共有して、その日は早く眠ったのだった。
翌朝、寛の声に起こされる。
「起きられそうか?」
「うん。昨日は早く寝たから」
僕は答えて寛とキッチンに立った。
寛が次々と準備していく。
厚焼き玉子、茹でた三つ葉、味の付いた干しシイタケのスライス、味を付けたかんぴょう。
巻きすに敷いた海苔の上に酢飯を薄くまんべんなく伸ばして、具材を並べていく。
「椎茸とかんぴょうの味付けは?」
「醤油とみりん」
「厚焼き玉子は?」
「薄口しょうゆと塩と砂糖」
聞きながらメモを取って僕は寛が太巻きを作っていくのを観察する。
海苔の中央より少し下に具材を並べて、巻きすごと海苔を持ち上げて、具材を押さえながら巻いていく。
巻きすを握ってくるくると巻いていく様子は魔法のようだった。
最後に巻きすを外して、二センチ幅くらいに切っていく。
「くっ付かないの?」
「一度切るごとに、濡れた布巾で包丁を拭いてる」
「そうなんだ」
さっさと切ってしまっているので、僕はそこまで注目できていなかった。
出来上がった太巻きは僕と寛の朝ご飯になった。
寛は同じ手順でもう一本太巻きを作って、僕に見せてくれた。二回見たので僕も太巻きの作り方は何となく分かるようになった。
太巻きと味噌汁を食べて、僕は寛を送り出した。
今日は家での仕事が大量にある。
昨日アルバイト体験で家で仕事ができなかった分が残っているのだ。
ライターの仕事の合間に、小説のプロットも仕上げていく。
山の中で親とはぐれて空腹で死にかけていた獣が、板前さんから食べ物をもらう。
何の獣にするかは今はまだ未定だ。
獣は板前さんに恩義を感じて、人間の女の子の姿で板前さんのお店を訪ねる。
板前さんのお店はこのご時世で経営が傾いており、潰れかけていた。
女の子はどうにかしてお店を立て直そうとする。
霊験あらたかな招き猫に来てもらってお客を招いてもらうが、お客を捌ききれずに失敗して、福の神を探しに行くが、見つからずに迷子になって板前さんに助けられる。
全然成功しない作戦に気を落としかけていたときに、女の子は妖の仲間に会う。
妖の仲間は板前さんのお店に興味を持って、食べに来てくれる。
妖の仲間のおかげでお客が入るようになって、お店の経営は少しずつ上向いてくる。
恩を返せたと思って、女の子は板前さんの元を去る。
ここからが問題だ。
「ここからが後半かな。板前さんの視点にして、いなくなった女の子を探す。アルバイトの履歴書に書かれていたことが全部嘘だと分かって慌てるんだ」
こうなると、本は上下巻になりそうだ。
編集の鈴木さんともよく話し合わないといけない。
僕は出来上がっているところだけでも編集の鈴木さんにメッセージでプロットを送っておいた。
ライターの仕事をしていると返事が来て携帯が震えた。
携帯電話の液晶画面をタップするとメッセージアプリを立ち上げる。
『上下巻の案、会議で通してみせます。その方向で書いて行ってください』
『いつもありがとうございます』
『締め切りは厳しいですけどね!』
僕は何でも書けるような器用な作家じゃない。
自分の考える甘くて切ないロマンスしか書けない作家なのだ。
それでも鈴木さんはそれに付き合ってくれているし、僕の小説はそれなりに需要もあるらしい。
鈴木さんが優秀なのもあるが、僕の企画を通してくれるレーベルのお偉いさんがいるようなのだ。
そのひとと鈴木さんに感謝しつつ、僕は小説の後半部分を考えていた。
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