15.ゆーちゃんの気持ち
夜になって実家に泊まったが、僕は落ち着かなかった。
中高一貫の学校に入学して寮に入っているので、当然実家に僕の部屋はない。
客間は百合が使っていて、椿も紅葉も蘭もいるので、僕はリビングのソファベッドに寝ることになった。
電気を消すと、巨大な影が近寄ってくるが、胸の上に飛び乗った猫又が威嚇して何とか追い払ってくれる。
そのまま一晩眠れずに、僕は朝方に音を上げた。
寛にメッセージを送ると、朝も早い時間なのになぜかすぐに返事が来る。
僕の助けを求めるメッセージに、寛は『すぐ行く』とだけ返して来た。
まだ始発の列車も動いていない。
どうやって来るのだろう。
僕が心配していると、一時間後くらいにメッセージが入った。
『家の前にいる』
大急ぎで玄関に行ってドアを開けると、髪もぼさぼさ、髭も剃っていない、顔も洗っていないような寛が立っていた。
「どこにいる?」
「僕の後ろをついて来てる!」
「ここか?」
「もうちょっと、右!」
「こっちか?」
「もうちょっと前!」
見えないので寛はスイカ割りの要領で僕に位置を聞いて虚空を殴る。
シャドーボクシングの末、寛の背後の不動明王が両手を上げて威嚇して、巨大な影は寛に殴られて消えて行った。
「寛、その格好、どうしたの?」
風呂にも入っていないような寛の姿を見ていると、僕は心配になってくる。問いかけてみると、ずるずると寛が座り込んだ。
両手で顔を覆っている。
「ダメなんだ……俺の方が、かーくんがいないとダメなんだ」
「え?」
普段の淡々とした喋り方ではなく、弱弱しい喋り方をしている寛を、僕は見たことがなかった。
玄関前のコンクリートの上に座り込んでいる寛を立たせて、リビングに連れて行く。
紅茶を淹れてマグカップを渡すと、寛はふうふうと吹いて飲んでいた。
「保育園のときも、俺のそばにいればかーくんは眠れるって言われてたけど、俺の方がかーくんがいないと眠れなかったんだ」
「そうだったんだ!?」
「保育園のお泊り保育でも、手を握って欲しかったのは、俺の方なんだよ」
ずっと寛には完全に依存しているものだと思っていた。
僕ばかり迷惑をかけて、寛は飄々として一人でも生きていけるのだと思っていたのに、それが覆された。
寛は僕がいないとダメだと言っている。
「僕もゆーちゃんがいないとダメだよ。ゆーちゃんに言われないと、クーラーもつけるの躊躇っちゃうし」
笑い話にしようとする僕に、寛がマグカップに視線を落としてぼそりと言う。
「昨日、店、早退したんだ」
「えぇ!?」
お店に行くことが大好きで、仕事に生きがいを感じている寛が、お店を早退した。それだけ体調が悪かったのだろうか。
「帰ってからも、何もできないし、シャワーも浴びてない、ご飯も食べてない」
「それは浴びよう? 食べよう?」
「一人だと、何もする気が起きないんだ」
お店も早退したし、シャワーも浴びていないし、ご飯も食べていない寛。
僕は冷蔵庫のご飯を温めて、塩昆布とチーズを入れておにぎりにする。おにぎりを差し出されて、寛はもそもそと食べている。
「美味しい……」
「普段、ゆーちゃんが作ってくれるものの方が美味しいよ」
「かーくん、呆れたか? こんな俺と暮らすのは嫌になったか?」
問いかけられて僕は考える。
寛が僕がいないとダメなのと同じように、僕も寛がいないとダメなのだ。
それならば、一緒にいればいいだけのことではないか。
「ゆーちゃんと一緒にいるの、好きだよ、僕」
「かーくん……」
「老人ホームまで一緒なんでしょ?」
「そうだよ。それでいいんだよな?」
「もちろん、いいよ」
答えた僕に寛は微笑んだようだった。
シャワーを浴びてもらって、紅葉の服を借りて、寛は我が家の食卓に付いた。
朝ご飯を食べ終わってから、僕が説明する。
「寝惚けて、僕が『タスケテ』ってメッセージ送っちゃったみたいなんだよ。それで、寝起きで大急ぎで来てくれたんだ」
そういうことにしておけば、不自然ではないはずだ。
多少不自然でも、僕は昔からひとではないものが見えるので、奇行が多く、寛はそれに付き合ってくれているので気にされないだろう。
「かーくんがごめんなさいね、寛くん」
「いえ、ちょうど目が覚めたときだったので」
「始発も動いてなかったでしょう。走って来たの?」
「まぁ」
口数の多くない寛はぽつぽつと答える。寛の返答に母は疑問を持たなかったようだ。
お店に行く時間があるので、寛は家を出る。僕も一緒に家を出た。
「またお休みには帰って来なさいよ」
「分かったよ。またね」
見送ってくれる両親に手を振って、僕と寛は一度部屋に戻った。
寛は着替えて荷物を持ってお店に行って、僕は机についてタロットクロスとタロットカードを出して、ノートパソコンも取り出した。
タロットクロスを広げて、タロットカードを混ぜる。
昨日の寛はどうだったのだろう。
カードを捲ると、ワンドの十の正位置が出た。
意味は、重圧。
疲れ切った状態や、余裕を持てない状態を表す。
『昨日、彼はものすごく消耗していたみたい。あなたがいないと何もする気が起きなくなるって本当みたいね』と猫又に言われて、何となく僕はそわそわしてしまった。
僕が一方的に寄りかかっているのではなくて、寛もちゃんと僕に寄りかかっていた。
僕と寛が対等だったということは嬉しいことだ。
寛が僕をどう思っているか考えながらカードを捲ると、カップの六の正位置が出た。
意味は、心の浄化。
昔を思い出してノスタルジックな気分になっていることも意味する。
『彼にとって、あなたはとても大事な幼馴染。家族のような存在よ。家族がいないだけに、あなたに対する気持ちがとても強いのね』と猫又が教えてくれる。
寛にとって僕が大事な相手だというのは、僕にとっては嬉しいことだった。
寛も僕もアセクシャルなので、今後恋愛や結婚ということはあり得ない。僕には家族がいるが、その家族も中学のときから離れているので、すごく縁が深いというわけではない。
そんな中で寛が老人ホームに一緒に入りたいと本気で思ってくれるほど大事な幼馴染だと思ってくれていて、家族のように感じてくれているのはありがたいことだった。
昼になって寛のお店に行くと、今日も店内はひとではないもので満たされている。席が全部埋まっているのはいいのだが、それがほぼひとではないものだというのに僕は震え上がる。
定食を食べていた天狗が振り返ってにやりと笑った。
「ワシはそろそろ出るから、席を空けよう」
「ワシも食べ終わったぞ」
「あたくしもお会計をお願いしますわ」
ぞろぞろと出て行く一団に、それぞれ「自分たちのことは言うなよ? 分かっているな?」と視線を向けられて、僕はがくがくと頷く。
一団が出て行って空いてきた店内で、寛が忙しくお盆を下げたり、掃除をしたりしている。
「昨日は寛くんの顔色が悪くて、話を聞いたら、『かーくんがいない』って言ってたのよ。今日は元気でよかったわ」
女将さんがころころと笑っている。
女将さんには僕と寛の仲を誤解されているような気がするが、アセクシャルということをオープンにすることはないと考えていたので、僕は何も言わなかった。
今日は肉豆腐定食だった。
甘辛い味噌で炒めた肉と味の染みた豆腐がよく合う。
汁物はワカメの入った卵スープだった。
ほうれん草と人参とこんにゃくの白和えも胡麻の風味がとてもいい。
「ゆーちゃん、美味しいよ」
「そうか」
あっさりと答える寛だが、その表情が嬉しそうなのは分かる。
ホストと間違われかねない綺麗な顔立ちの寛は、髪の色も目の色も薄茶色で、肌の色も白かった。
微笑むと目元が朱鷺色に染まるのが可愛い。
寛にも可愛いところがあると分かった日、僕は前よりも寛と親しくなれた気がしていた。
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