13.保育園の思い出
ひとではないお客さんは怖かったけれど、僕はほとんど毎日寛のお店に行って朝から仕事をして、お昼ご飯の定食を食べて帰るようになった。
一人きりの部屋に帰っても、猫又がいるので怖くはない。
本格的にひとではないものが動き出す夜中には、寛も帰って来てくれる。
平和な日々の中で、僕は保育園の頃の夢を見た。
あれは年長になったときのことだ。
年長になると保育園に一日だけ泊まるお泊り保育というのがあったのだ。
保育園ではお昼寝もしているので、布団のセットはある。
クラスに布団を敷いて寝るのだが、僕は必ず寛の隣りにされていた。
「楓くんは寛くんと一緒だと大人しく眠るからね」
「寛くんも楓くんと一緒だと安心してるみたいだし」
保育園の先生たちの中でも、僕と寛が親友であるということは認められていた。
お泊り保育も寛と一緒ならば大丈夫だと信じていたのに、僕は寛と引き離されてしまった。
それは、夜の保育園を二階にあるクラスから一階のホールまで歩いて行って、お札を取ってくるという、とても基本的な肝試しだった。
脅かす役も先生たちだと分かっている。
けれど、僕は怖くて仕方がなかった。
夜はひとではないものが活発になるのだ。
まだひとではないものがよく分かっていなかった僕だが、それだけは経験的に知っていた。
夜にはひとではないものが大量にわいてきて、僕を脅かしたり、食べようとしたりする。
今までなぜか食べられたことはないのだが、齧られて、心当たりのない場所に痣ができていることもあった。
「ゆーちゃんといっしょがいい」
「男の子は女の子と組むのよ」
「ゆーちゃんといっしょじゃダメなの?」
一生懸命寛とペアになれるように頼んでも、肝試しは男女で組む決まりのようだ。保育園というのは時々意味が分からないが、男女を組ませようとして来る。
遠足で手を繋いで行くのも男女と決まっている。
これも仕方がないのかと思いつつも半泣きで先生の説明を聞く。
「実は保育園のホールには、夜だけお化け仮面が現れるのです。勇気を出して、お化け仮面からお札をもらってこれた子どもには、素晴らしいプレゼントがあります」
お化けと聞いた時点でクラスの半分以上の子の腰が引けて、半泣きになっていた。
保育園の先生というのはどうしてこんな悪趣味なことをするのだろう。
ぐずぐずと洟を啜って涙を堪えていると、列から外れた寛が僕に言う。
「なにかあったら、おれのことよべよ? かけつけるから」
「ダメだよ。ゆーちゃん、りっぱないちねんせいになれなくなっちゃう」
この時期の先生たちの口癖は、「立派な一年生になれないわよ」だった。
今ならば義務教育で小学校には絶対に行けると分かっているが、当時は全然分かっていなくて、本当に先生の言うことがきけない子は一年生になれないのだと思い込んでいた。
寛は僕に言われて引き下がったので、僕は女の子と手を繋いでクラスから出て階段を降りて行った。ホールまでは渡り廊下があって、その途中に先生の仮装したお化けが出て来る。
本物のお化けを見たことのある僕にはそれほど怖くなかったけれど、一緒にいる女の子は泣いていた。
「だいじょうぶだよ、うさぎぐみのせんせいだよ」
「そ、そうなの?」
泣くのを止めた女の子と一緒に歩いていると、渡り廊下からホールに入る入口に真っ黒な影が立っていた。
背筋がぞくりと寒くなって、僕はそれがひとではないものだと分かっていた。
「どうしたの? ホールにはいろう?」
「こ、こわい……」
「せんせいなんでしょ?」
もう種明かしはされたとばかりに元気よくホールに入ろうとする女の子と、動けない僕。
じとりと真っ黒な影がこちらを見た。
『うまそうな子どもだ。一口齧ったら、昇天できるだろうか』
勝手なことを言って僕に掴みかかろうとする真っ黒な影に、僕は叫んでいた。
「ゆーちゃん! たすけてえええええ!」
大声は保育園中に響いて、ものすごい勢いで寛が走って来てくれた。
「かーくん、へいきか?」
「うぇぇぇん! ゆーちゃん、こわいよぉぉぉ!」
泣き出した僕を抱き締めてくれる寛は、僕より小柄だったけれどとても頼もしかった。
寛を見ると真っ黒な影は消えて行った。
後で思えば、あの頃から寛に不動明王がついていたのかもしれない。
ペアの女の子を置いて一人で僕を助けに来た寛は、保育園の先生に怒られた。
「決められたルールが守れないと、立派な一年生になれないわよ?」
いつものお決まりの文句に、寛ははっきりと答えた。
「だいじなともだちがないてるのに、たすけにいけないなら、おれはりっぱないちねんせいになんか、ならなくていい!」
それを聞いた先生が更に何か言おうとしたところで、参加していた園長先生が笑い出した。
「その通りですね。先生たちも、『立派な一年生』と言い過ぎです。本当に大切なものを寛くんは分かっているみたいですね」
園長先生がそう言ってくれたので、僕も寛もそれ以上怒られずに済んだ。
お札は取って来られなかったけれど、僕も寛も素晴らしいプレゼントをもらった。
キラキラの折り紙で作られた勲章と、新鮮なスイカと茹でたてのトウモロコシ。
スイカとトウモロコシを食べて、歯磨きをして、僕と寛は隣り同士で敷かれた布団に寝た。
先生にも他のひとにも見えていないけれど、ひとではないものがうろうろして、子どもたちを選別している。僕が見えているのだと分かったら、きっと食べられてしまう。
怖くて震えていると、寛が手を伸ばしてきた。
「ねむれないんだろ。てをつないでやるよ」
「ありがとう、ゆーちゃん」
寛の手を握っていると暖かい。
その暖かさに救われるようにして、僕は眠りにつくことができた。
保育園の頃の夢を見て目が覚めると、いつも通りの朝で、僕は顔を洗ってリビングに行く。キッチンでは寛が朝ご飯を作っている。
「かーくん、もうちょっとでできるからな」
「お出汁のいい匂いがする。今日のお味噌汁は何?」
「今日は味噌汁じゃなくて、湯葉と小松菜のお吸い物にしてみた」
「美味しそう」
寛の作るものは何でも美味しいのだが、今日のお吸い物は特に美味しそうだ。
「店の定食も時々お吸い物を出そうかと思ってるんだ。試作品だけど、食べて感想教えてくれ」
テーブルに寛が海苔巻きとお吸い物を持ってくる。
手を合わせて生湯葉と小松菜の入ったお吸い物を食べると、お出汁の香りがしてとても美味しい。
「美味しいよ。お出汁が決まってるね」
「そうか。よかった」
手を合わせて寛も朝ご飯を食べている。
寛はご飯と焼き魚とお吸い物と卵焼きだ。
僕とメニューが違うのはいつものことだった。納豆を食べることもあれば、卵かけご飯にすることもあるし、チャーハンにすることもある。
僕は海苔巻きが好きなので毎朝海苔巻きを作ってもらっているが、寛は二種類作って面倒ではないのだろうか。
「ゆーちゃんは作るの大変じゃない?」
「ん? 全然」
「それならいいんだけど」
何度聞いても寛から大変だという返事が出たことはなかった。
その日も午前中からお店にいさせてもらって、仕事をして、お昼の定食を食べる。
今日の定食は鶏南蛮だった。
タルタルソースは和風に柴漬けで作ってある。柴漬けの赤い色が鮮やかで綺麗だ。
食べると鶏のから揚げにタルタルソースがよく合う。
食べていると、団体のお客さんが入って来た。
パンデミックのご時世なので席を分かれて寛が座ってもらっているが、そのひとたちがひとではないことは僕には分かっていた。
大柄で角が生えている巨体の男性は鬼、ふさふさの尻尾が生えている着物の女性は狐、鱗が生えた舌の長い男性は白蛇、鷲鼻を通り越して鼻の長い背中に黒い羽を背負った男性は天狗、細長い猫の尻尾の生えた女性は化け猫だろう。
日に日に寛のお店にはひとではないお客が増えていた。
「夜も来てくれて、お酒も飲んでくれるから、最近は店も繁盛してて、売り上げも上がってるんだよ」
嬉しそうに言う寛に、それがひとではないなんて、言えるわけがない。
支払っているお金は本物のようだから、僕には何も言う権利はない。
「常連さんが増えてよかったね」
僕にとっては怖いひとたちだけれど、飴玉をもらって口止めはされているし、僕は何も言えない。
貝になるしかない僕だった。
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