第30話 愛と勇気と節分豆

 バン!

 無数の鬼たちのうなり声が満ちた空間に、突然、空気の張る音が飛び込んできた。

 猛鬼が上げる黒い煙の向こうで、扉が盛大に開け放たれる。目つきの悪い白い毛玉が、点在する餓鬼たちの合間を縫って猛然と駆け込んでくる。

「兎呂!」

「成海さん! 新しい豆ですよ!」

 兎呂は巨大なアンパンを投げる某アニメ風のセリフと共に、大きく腕を振りかぶった。

 ビニールでパックされた節分豆が、抜群のコントロールで俺が持つ升の中に納まる。

「どうしたんだよ、これ!」

「話はあとです! まずは目の前の鬼ですよ!」

 そうだ……今はこの状況をなんとかする方が先決だ。

 雑にビニールを破り捨て、升の中に満ちた新鮮な豆を即座にすくう。

「そらっ!」

 いつものように広範囲に豆をばらまき、間近に迫っていた餓鬼の群れを一掃する。

 次々に気化して消えていく餓鬼たちを見送りながら、力を込めて立ち上がる。

「お前、氷雨のところのうさぎ……!」

「おや、どうやら成海さんは本当に奇跡を起こしてしまったようですね」

 俺は餓鬼の第二波と、狐面のお針子が相手をしている猛鬼を警戒しつつ、天井に空いた穴を見上げた。

 場違いなほどの晴天の中に、黒ずんだ空間のゆがみを見つける。

「あの次元の裂け目をふさがなきゃいたちごっこってことか」

 豆を投げる動作一つが、今の俺にとっては重労働だ。

 それでも升一つでの迎撃戦を選ぶしかなかった数秒前より何倍もいい。

「兎呂、みのりを頼む!」

 俺は豆をざっとつかんで、足止めされたままくすぶり続けている猛鬼に向かって投げつけた。

 集中砲火を食らわした猛鬼の左肩から、大量の煙が絶叫と共に吐き出される。

 続く二投目できっちりと次元の向こうに還してやりたいところだったが、気持ちに身体がついてこない。いつもよりも緩慢な動きの隙をついて、餓鬼が数匹飛びかかってくる。

「くっ……!」

 急遽、豆まき先を目先の餓鬼に変更する。対猛鬼用にすくった分、無駄豆が多くなってしまったが後悔している暇はない。重たい腕に鞭打って、黒煙と化した餓鬼たちの隙間から再度、猛鬼に豆を投げつける。

 首からあごにかけて命中した豆が、深い黒煙を掘り出して猛鬼の顔面を覆いつくす。

 猛鬼の妖力が、狐面のお針子が操る妖力を下回ったのだろう。猛鬼は薄紫色の返還能力に耐えきれず、一気に次元の向こうへと消えた。

「少年……!」

「あなたは次元の裂け目を縫合してください……取り巻きの鬼たちは俺が倒します!」

「すまん……助かる!」

 最低限の意思疎通を澄ませると、狐面のお針子は天に向かって両手をかざした。その指先に薄紫色の光がともり、まさに縫うように次元の裂け目を縫合し始める。

 そうか……これがいわゆる、責任を負う、ってやつか。

 結局、俺にできるのは鬼退治だけだ。

 緊張を飲み込み、自分を鼓舞するために息を吐く。

「よし……来いっ!」

 アドレナリンを絞り出して、三指で豆をすくい上げる。

 左側から飛んでくる餓鬼が三匹、右前方にも何匹かの餓鬼と、下っ腹が膨れた灰色の小鬼がいる。とりあえず左方の餓鬼に豆を投げつけ、餓鬼と灰鬼の混成団に集中する。

 素早く飛び回る餓鬼と比べて、灰鬼の方は明らかに鈍重だった。積極的にこちらを襲おうとはせず、地を這うようにどたどた動きながら様子をうかがっている。

「成海、あの灰色の鬼には近づいちゃだめ! あいつ毒を吐く!」

 みのりの助言を聞きながら、先行して飛び込んでくる餓鬼に豆をぶつける。

「本来は物陰で獲物を待ち伏せして、毒で弱らせて食らうタイプの鬼です! つまり成海さんの武器なら――」

「相性抜群ってことだな!」

 毒を吐かれる距離になる前に、遠くから豆を投げつける。

 身体の小ささから想像した通り、灰鬼も一発当てれば充分だった。次々と迫りくる大量の小型鬼たちに、かたっぱしから豆をまいて気化していく。

「成海さん!」

 兎呂の呼びかけに応じて、その意味に気付くと同時にまた豆を投げる。みのりと兎呂を襲おうとしていた餓鬼を一投で気化して、すぐにまた別方向を警戒する。

 一瞬たりとも気が抜けなかった。身体のしんどさを感じている暇さえない。

 まだか……!

 狐面のお針子はいまだ天井の穴に両手を向けていた。だがそこから顔を上向けて、次元の裂け目の状態を確認する余裕はない。狐面のお針子にこっそり近づこうとしていた灰鬼の排除を優先する。

 升の中身が、すさまじい勢いで減っていく。

 それでも止まれない。一度止まったら、もう身体が動かなくなってしまう気がした。すでに底が見え始めている升に手を突っ込み、次の標的を探して大きく息を吸う。

 ぼた、ぼたぼた。

 天井の穴から、また餓鬼が降ってくる。いや――

 ドンッ……!

 重量級の衝撃に床が揺れる。

 赤褐色の肌にねじれた二本の角、三メートルに届こうかという体躯。

 ――人鬼も。

 そりゃそうか。天井にも次元の壁にも、猛鬼が通過できるほどの穴が開いているんだもんな。

 人鬼が顔を上げるよりも早く、升から出した手を振りぬく。

 投げた豆はほぼ全弾が命中したが、こいつが一投で倒れないことは分かっていた。人鬼がひるんだ隙を埋めるように、餓鬼が奇声を上げながら飛びかかってくる。

「くそっ、邪魔すんな!」

 餓鬼の処理に追われているうちに、当然、人鬼は態勢を立て直してきた。二投目が間に合わなくて、とっさに人鬼の突進攻撃を避けようとする。

 あ……

 直感的に気付いて、スローモーションになった世界の中でフリーズする。

 だめだ……この位置で俺がよけたら、こいつはみのりに突っ込む!

 俺はとっさに升ごと豆を放りだしていた。

 升から豆をすくって、投げる。その二つの動作を省略していた。

 黒煙を率いて迫りくる人鬼の前に、升と残っていた豆のすべてをぶちまける。

 ぼぼっ、ぼぼぼぼぼっ。

 妖力を削る弾幕の中に自ら突っ込んできた人鬼は、勢いよく黒い煙を噴き上げて一瞬で消え去った。再び空になった升だけが残って床を転がっていく。

「成海さん!」

「成海っ!」

 兎呂とみのりの、悲鳴のような声を聞くまでもなく察する。

 あ、これ終わったな。

 豆も、升すらも手放してしまった俺の眼前に、振りかぶった餓鬼の爪が迫っている。

 突然の横殴りの風が俺を襲ったのは、餓鬼の爪が俺の鼻先を切り裂こうとした、まさにその瞬間だった。

 突風は一瞬で鬼たちの身体をさらっていき、その場に黒い煙だけを名残のように残していく。

「よくしのいでくれた、少年!」

 なにが起こったのか分からずに目を見開く俺に、力強い声がかけられる。

 狐面のお針子は、薄紫色に光る片手をこちらに向けていた。空間をなぐその手の動きに連動して、今度は兎呂とみのりの方に向かっていた鬼たちが一掃される。

 次元の壁の縫合を終えて自由になったお針子の妖力の前では、小鬼など物の数ではなかった。室内が一気に黒い霧に覆われたかと思うと、すぐに天井から吹き込んでくる光と風に拡散される。

 制御室内の黒霧が溶けるように晴れていくさまを、ぼうぜんと見つめる。

 がれきが散乱して荒れ果てた、がらんとした室内が徐々にあらわになる。

 その中に鬼の姿はもう、一匹もない。

 天井の穴から、空を見上げる。

 晴天に穴を開けていた次元の裂け目は消えていた。

「成海……!」

 真っ青に広がる空を見た瞬間、一気に力も気も抜けて、俺はその場にへたり込んだ。

 みのりが焦ったように、自分と床をつなぐ鎖をガチャガチャと鳴らしている。

「大丈夫。ちょっと疲れただけだ……ちょっとだけな」

 気合いで無理やり動かしていた身体に、疲労感がどっと舞い戻ってくる。

 俺はその場で大の字に寝転がった。このまま背中が床に張りついてしまうんじゃないかと思うくらいに身体が重い。

「お前……どうしたんだよ、あの豆」

 雲一つない青空を眺めながら、ぺたぺたとこちらに近づいてくる足音に話しかける。

「開発局に保管されていた試作品の豆ですよ。こんなこともあろうかと、餓鬼たちをまくついでに盗ってきました」

「お前マジで優秀だな」

「だから最初からそう言っているじゃないですか。成海さんの部屋に、初めてお邪魔した時から」

 謙虚さのかけらもない兎呂の返しに、苦笑しながら目を閉じる。

「……暴走、止まったんだからさ。みのりを助けてほしいのと、今後も俺をみのりに会わせてほしいってこと。この二つをさ」

「はい」

「うまく『らいこう』に掛け合ってくれるか?」

「はい」

「んじゃ、悪いけどあとは頼むわ」

 兎呂の簡潔な返事に、思わず口元が緩む。

 兎呂のやつ、冗談抜きで優秀だわ。

 正直、もう限界だったから本当に助かる。

 俺は安心して、最後の最後、意識を保つためにかろうじて張っていた気を抜いた。

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