第12話 ひーちゃん

「悪い、待たせたね」

 応接室に入ってきたのは細身の身体にノーネクタイのスーツの、一言で言えばスタイリッシュな男性社員だった。

 いわゆる束感のある、無造作ヘアとでもいうのだろうか。黒髪と少しけだるそうな二重まぶたが印象的で、男の俺から見てもちょっと格好いいと思ってしまう。

 ちょうど俺の向かいの席に来たところで、その男性社員と目が合った。

 視界のすみでは兎呂がもぐもぐと口を動かしている。

「君か。噂の豆まき少年というのは」

 変な中腰態勢のまま「あ、ハイ、どうも……」などと返してしまう。

「初めまして、桃原成海君。地域課の氷雨だ」

「あ、桃原成海、です。よろしくお願いします」

 ちゃんと立ち上がって挨拶しようとした俺を、氷雨さんは片手で制した。

 氷雨さんが席に着いたので、俺も一緒に腰を下ろす。

(氷雨って、例のあの、ひーちゃん?)

(そうだよ)

 こっそりと夏希の耳元でささやき、念のため確認を取る。

 ひーちゃん、って男だったのか……

 夏希は氷雨さんの顔を眺めながら嬉しそうにニコニコしている。

「夏希も呼び出して悪かったな」

「ううん、大丈夫だよ! それにしても、このジュースとおまんじゅうの組み合わせはいつ来ても不思議だよね」

 氷雨さんはさっきの女性社員を意識したのか、入ってきたドアの方をちらりと見た。

「彼女はここの店のまんじゅうが大好きだからな。飲み物がジュースだろうがコーヒーだろうが、必ずまんじゅうを一緒に出してくる」

「ところで私のおまんじゅうがありませんよ!」

 夏希と氷雨さんのやりとりに割って入った兎呂が、テーブルをバンバン叩いて抗議する。

「ニンジンジュースが出るだけいいと思え」

「ひどいですよ! うさぎに対してなんたる仕打ちですか!」

「お前がギャーギャー騒ぐからわざわざ別に買ってるんだ。それで納得しろ」

「仕方ありませんね……しかしジュースとおまんじゅうはやはり別というもので……」

「先に彼と話をつけたいんだが」

 まだぶつぶつと文句を言っている兎呂を、氷雨さんがため息交じりに断ち切る。

「お口チャックだってさ、とりょりょ」

 夏希が唇に人差し指を当てると、兎呂もようやく黙った。

 仕切り直すように一つせき払いをしてから、氷雨さんが手にしていた書類の束をめくる。

「話は聞いているよ。人鬼を二体倒したんだって?」

 氷雨さんはなんらかの資料らしきその書類に視線を落としたまま、口を開いた。

「初めての遭遇で、人鬼をたった一人で倒したのはかなり評価できるな」

 のっけからの好感触に、少し照れて頭をかく。

「しかも豆で」

「私の人選は素晴らしいでしょう!」

 兎呂の主張を無視して、氷雨さんは資料をめくり続けた。

「先日は夏希と共同ながら、再び人鬼を討伐。二度も人鬼と当たるとは引きが強いのかもしれないな」

「私の人選は素晴らしいでしょう!」

 めげないな、兎呂。

 誇らしげに鼻を鳴らす兎呂に、氷雨さんの顔が上がる。

「お前が選んできたという点では不本意極まりないが、彼の適性については認めざるを得ないな」

「成海、すごい褒められてる、いいなー」

「夏希もよくやってくれているよ」

 さらりと氷雨さんがフォローすると、夏希は両ひざに手を置いたまま、満足そうに胸を張った。

 なるほど、このさりげなさが、格好いい大人の対応というやつか……

「さて、君を正式に勧誘させてもらう前に……まずはうちの組織の概要から説明した方がいいかな? この歴史生物科学研究所は大きく分けて三つの局に分かれていてね。歴史生物全般を研究し、その過程で次元の壁の存在を明らかにしたのが大元である研究局。その研究局の研究結果を、社会に役立つ形で還元するのが開発局だ。君が使っている豆を開発したり、そのうさぎを現代に復活させたのも開発局の仕事だな」

 社会に、役立つ……

 隣でドヤる兎呂の顔を見てしまうと、どうしても心になにかが引っかかるが、ツッコんでも面倒なことになりそうなのでここはぐっとこらえておく。

「そして次元の壁の問題が明らかになった時に開局された部署が、君が所属することになる対策局……通称『らいこう』だ」

「らいこう?」

「過去に鬼退治で名をはせた人物がそう呼ばれていたらしい。先に言ったように、他局と連携しているから厳密には対策局だけが鬼退治に当たっているわけじゃないんだが、鬼退治の組織イコール『らいこう』だと思ってくれて構わない」

 らいこう、か。なんか護衛艦の名前みたいだな。

 でも地域保安員なんていう野暮ったい名前で呼ばれるよりは、『らいこう』の一員! の方が明らかにテンションは上がる。

「鬼たちは次元の壁に発生してしまった裂け目から出てくる、という話は兎呂から聞いているかな。次元の壁の不具合そのものを修復する方法は研究局が中心となって模索しているが、その間に現れる鬼たちを放置しておくことはできない。そこで直接、こちらの世界に出現してしまった鬼を討伐する人員が必要になってくるわけだ」

「あの、ちょっと疑問だったんですけど、どうしてわざわざ鬼退治に、俺や夏希みたいな高校生を使うんですか?」

 話の途中ではあったが、当初からずっと気になっていたことを質問する。

 氷雨さんは肩をすくめた。

「鬼退治のために妖力を施した武器が、大人には扱えないからな。まだ未成熟な子供でなければ、妖力という異質な力を自分の身体になじませることができないんだ。そうかといって、あまりにも幼い子供に鬼退治は無理だ」

 それで必然的に、君や夏希くらいの年齢の人間がスカウトされるわけか。

 ただただうさんくさかっただけの鬼退治組織の輪郭が、だんだんはっきりと見えてくる。

「こちらとしては君に『らいこう』の正式な討伐メンバーになってもらって、存分にその力を発揮してほしいと思っているんだが……どうかな? もちろん表向きには秘密にしてもらわなければならないが報酬も出るし、鬼退治によってこうむった損害についても、できる限りの補填はさせてもらうよ」

 ここまで来て悩むことに意味はない、とは思ったが、それでも決心は必要だった。

 一つ、深呼吸をしてから口を開く。

「はい……俺なんかでよければ」

「よし。これが登録証だ」

 俺の返事を聞く前から決まっていたことのように、氷雨さんはスーツの胸ポケットから一枚のカードを取り出した。差し出された登録証を受け取り、しげしげと観察する。

 登録証は顔写真付きで、俺の名前の上には地域保安員と記されていた。一体、いつの間に撮られていたんだろう。やっぱりこのへんの手際のよさは少し怖い。

「使用武器は豆だから、夏希のように帯刀許可証は不要だな。開発局のやつが豆で鬼を倒したいと言い出した時には冗談かと思ったが、完成させていたとはな。人鬼を倒すほどの威力もあるとは」

「そういえば人鬼って、あの倒した鬼のことですか? 鬼にも名前があるんですね」

 登録証を胸ポケットにしまいながら尋ねると、氷雨さんは兎呂の方を見た。

「鬼について、なにも説明してないのか」

 兎呂は夏希のまんじゅうも奪い、その咀嚼にいそしんでいた。

 氷雨さんは兎呂を無視して、また俺に目を向けた。

「君が倒した人鬼はその名の通り、今確認されている中で最も人間に近い姿をした鬼だ。動きが素早く、群れて行動する小鬼が餓鬼。こいつらは一匹一匹の力は弱いが、その分、次元の裂け目から現れやすい。多分、これから一番多く遭遇することになるだろうな。ほかにも絶鬼や猛鬼などという強力な鬼の存在も確認されているが、今のところはそれくらいでいいだろう」

 そうか……鬼ってあのアメフト選手みたいなやつだけかと思ってたけど、ほかにも種類があるんだな。

 そりゃそうか。海岸沿いで発見された謎の死体だって、人鬼とはちょっと違ったもんな。

 氷雨さんの説明に納得しながら、ふともう一つ。聞いておきたかった質問が頭をよぎる。

「あの……こんなこと言うのもなんなんですけど、今からでも夏希みたいに、武器を剣とかに変えられませんか?」

「なにを言っているんですか!」

 ついさっきまでまんじゅうに夢中になっていた兎呂が、口の周りにあんこをつけたままテーブルをバン! と叩いた。

「成海さんから豆を取ったら一体なにが残るというんですか! 私は断固、反対です! ご自分のアイデンティティをもっと大切にしてください!」

「人のアイデンティティに勝手に豆をねじ込んでくんな!」

 遠距離攻撃できようが威力があろうが、武器が豆はどう考えたって恥ずかしい。

 兎呂ともみ合いながら、資料をテーブルに放った氷雨さんの微笑を聞く。

「面白いからいいじゃないか。豆でも」

「ええ、面白いから、って!」

「じゃあ今後、龍門渕市と青海市近辺の地区は俺と夏希、成海の態勢でいくから、よろしく」

 俺の渾身の申し出はあっさりと流され、なし崩し的に豆でいくことに決定してしまう。

 もう少し食い下がろうと思ったが、いきなり下の名前を呼び捨てにされたことで変にどぎまぎしてしまい、とっさに口が回らなかった。対等に扱われているようでそう悪い気はしないが、そんな俺の様子に夏希が目ざとく反応する。

「ひーちゃんは初対面の人でも名前で呼ぶんだよ。私も最初、夏希、って呼ばれた時はドキドキしちゃった!」

「私も兎呂って呼ばれた時は胸が高鳴りました」

 胸の前で両手を重ねる兎呂に、氷雨さんが白い目を向ける。なんだこのうさぎは。

 氷雨さんは一つせき払いをしてから、テーブルの上で別の資料を広げた。

「……さて。ここからは夏希にもよく聞いてほしいんだが」

「うん、なになに?」

「通常の鬼退治業務と並行して、もう一つ頼みたい仕事がある」

 氷雨さんの前置きを聞きながらも、俺は資料の中にあった女の子の顔写真に目を奪われていた。

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