第20話 王の帰還

 王の帰還。

 それが告げられると同時に、夜の静安に眠るようだった荘厳宮ハトゥ・ル・スラは、地平に輝く旭日を迎えて目覚めるように動き出した。


この上なくアンチャ・偉大にして強大なるハトゥン・主人よアプ太陽の御子よインティプチュリ貴方のみがカンキ・サパリャ主人であり・アプすべての世界がトゥクイ・パチャ・貴方のカンパ・お言葉に従わんことをウヤイ・スリュリュ!」


 大殿の壇の下に広がる回廊に囲まれた広場。そこに居並ぶ白い服を着た数千もの人々の唱和に迎えられ、金銀に煌めく輿がゆっくりと広場の中央へと進む。ファラはルントゥを従えて壇上に並ぶ華やかに着飾った妃妾コヤの列の端に立ち、その様子を見つめていた。

 先導をする白い長衣に赤い冠を被った官吏が、輿を担ぐ兵士に合図を送り、広場の中央の壇に輿を下ろさせる。そして腰に提げていた角笛を吹いた。

 その音で唱和が止まり、数千の人々が一斉に輿にむかって跪く。ファラのいる妃妾コヤの列も同様に跪き、ファラもその頭を垂れる。


この上なくアンチャ・偉大にして強大なるハトゥン・主人よアプ太陽の御子よインティプチュリ貴方のみがカンキ・サパリャ主人であり・アプすべての世界がトゥクイ・パチャ・貴方のカンパ・お言葉に従わんことをウヤイ・スリュリュ!」


 先導の官吏のこの言葉に他の官吏が動き、輿を覆う三彩織りの鮮やかな飾り布が開く。その内から金銀に煌めく長衣の上に極彩色のケープを羽織り、頭上に赤い羽冠を頂いた男――カパックトゥパク・ユパンキが現れ、地面に降り立った。

 万雷の唱和が極まる。トゥパク・ユパンキはこれを鎮めるように手にする銀杖を掲げた。銀杖の先端を飾る大粒の黄玉トパーズが太陽の光を受けて燦然と輝くと、唱和の声は波が引くように小さくなり、そして絶えた。

 静寂の訪れを確かめるように左右に一度、目を動かしたあと、トゥパク・ユパンキは口を開いた。


「我、太陽の御子インティプチュリトゥパク・ユパンキは太陽の神殿インティ・カンキに参じ奉り、太陽の神インティ・ル・アプより雨雲の祭りルアオ・ライミの神託を受けた! ここにこれをムガマ・オ・トウリに告ぐ!」


 大殿の壇上にむかい大音声で叫ばれたこの言葉に応じるように、壇上に跪拝する人々の列の間から一人の少年が進み出た。


謹んでグァシカお受けいたします・カマリキュ


 金銀の箔で飾られた藍染めの長衣を身にまとった少年――ムガマ・オ・トウリは壇下のトゥパク・ユパンキにむかってそう答え、恭しく跪いた。トゥパク・ユパンキは鷹揚にうなずくと、手にする銀杖を三度、地面に強く打ちつけてから高く両手で天に掲げ、目を閉じて祈るような姿勢で神託を告げた。


「ここに太陽の神インティ・ル・アプの神託を告げる。『来たる新月ヤナ・キリャの日、南の風ウライ・ワイラ雨雲の女神ルアオ・イ・オムを招く。彼の女神の心はすでに荒ぶり、大風と雷雨を引き連れ、この地インティ・パチャを洗い流すだろう。ムガマ・オ・トウリを捧げ、彼の女神の心を鎮めよ』と!」


 そこで跪くファラの顔が少し上がった。トゥパク・ユパンキは銀杖を下ろすと、壇上へと階段を上り始めた。その先にいるのはムガマ・オ・トウリ。ファラの目が強く王の顔を見据える。そこで彼女は息を呑んだ。

 トゥパク・ユパンキがこちらを見た。

 その視線が交わり、怯まずに見返すファラを嘲うように階段を上ったトゥパク・ユパンキは、跪くムガマ・オ・トウリの前に立った。

 そして銀杖の先端に輝く黄玉をムガマ・オ・トウリの頭に当てて言った。


太陽の御子インティプチュリトゥパク・ユパンキの名において命ずる! ムガマ・オ・トウリよ、その身をその役目ルアオ・ライミに捧げよ!」


 ファラはそこでトウリの肩がかすかに震えるのを見た。自然と握られた拳の内側で、爪が痛みを走らせる。


謹んでグァシカ……」


 答えるトウリの声に、澱みが混じる。


お受け……いたしますカリ……マキュ


 濁りを含んだこの言葉にかつての彼の声にあった、春のように暖かく清水のように澄んだ響きを、聴き取ることはできなかった。

 けれどファラはそのトウリの声を聴いて口元を緩める。その濁りの中に沈んだ鎖が繋がっていることを確かめて満足するかのように。

 トゥパク・ユパンキはトウリを並んで立たせると、左手をその肩に置き、右手の銀杖を群衆にむけて掲げる。


「神託を受けし、ムガマ・オ・トウリの心を讃えよ!」

どこまでもアンチャ・慈悲深く無垢なるトゥリ・子供よチュリ雨雲の心よルアオ・ソンゴ貴方こそがカンキ・サパリャ慈しみであり・トウリすべての世界がトゥクイ・パチャ・貴方の心でカンパ・ソンゴ・満たされんことをフンティ!」


 ムガマ・オ・トウリを讃える万雷の唱和の中で、ファラは決然としたまなざしでトウリと、その肩に置かれたトゥパク・ユパンキの手を見つめていた。

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