第11話 ルントゥの祈り

 ルントゥは、翠緑苑コメ・ムヤの石畳の道を連れだって歩く、トウリとファラの背中を見つめていた。

 トウリが先に進み、ファラがその少し後ろをついていく。

 木々の梢を鳴らす風の音しかしない緑の庭。そこを歩く少年と少女の間には沈黙があった。

 少女はおずおずと、ためらいがちに何かを口にしようとしながら、それを引っ込め少しうつむく。ルントゥには少女の姿が、人に慣れようと近づいては離れ、離れては近づいてくる、いじらしい小鳥のように見えた。

 少年はそんな少女の様子に気づき、小鳥に止まり木を与えるように、手を差し伸べる。


まだ、怖いですかナク・ヤタシュイ?」


 少年がその刺青の顔を緩めて微笑むと、少女はいつでも喜びに戸惑うように身を固め、そしてそれを受け入れるようにゆっくりと動き出す。


いいえマナ――」


 差し出された手に触れて、少女は少年の優しい目を見つめる。


私はあなたをノカ・カンパ……」


 わずかに動いた唇から漏れ出た声は、けれどそこで途切れ、少女は取り繕うように儚げな微笑みを浮かべて、別の言葉を続けた。


私は幸せですノカ・クシカィ


 少年は、少女の手を両手で包んで目を閉じる。


あなたの幸せがカン・クシ・永遠にウィナイ続きますように・クァティパス――」


 その祈りの言葉に身じろぐ少女の手を引いて、少年が再び歩き出す。引かれる少女は頬を桃のように染め、少年の背を見つめながら、その歩みに続いていく。


あなたの幸せがカン・クシ・永遠にウィナイ続きますように・クァティパス――)


 二人の背中を見つめながらルントゥは心の中で、その祈りの言葉を繰り返さずにはいられなかった。


(ファラーレ様……)


 ルントゥは祈る。彼女は愛していた。少女の、研ぎ澄まされた月影の下で儚げに咲く花のような横顔も、雨雲の切れ間に降りる日差しに照らされてはなやぐ花のような微笑みも。

 少女は美しかった。白い肌の異国の娘は、ルントゥが今までに見た誰よりも美しく、その挙措のひとつひとつに、墨で染めたような漆黒の夜に孤独にはばたく白い鳥にも似た、侵し難い優雅さを感じさせた。

 その少女がルントゥの手を取って踊ったあの感触が、まだ彼女の指先に熱とともに残っている。

 そして、その少女が今、恋をしている。

 だからルントゥは祈った。この恋が決して報われないものであると知っていたとしても――。


「――ファラーレ様は、トウリ様をとてもお慕いしているのですね」


 不意に話しかけられ、ルントゥの意識は祈りから引き戻された。声の主は彼女の横を歩いている、ムガマ・オ・トウリの巫女ママコーナチェスカである。


「……いけませんでしょうか?」


 凛とした眉に高潔さを感じさせるチェスカの顔を見て、ルントゥは反射的にそう答えていた。チェスカが笑う。


「何故、そう思われて?」


 返す言葉が出てこなかった。理由は明白だった。だがルントゥはそれを言葉に出したくなかった。この目の前の幸せな光景が、残酷な現実に侵されて欲しくなかったのだ。


「トウリ様はこの太陽の地インティ・パチャを潤す愛。あなたの懸念はもっともなことです」


 チェスカの言葉にルントゥの表情が翳る。


「では……」


 ルントゥの不安な顔に、しかしチェスカは微笑みながら首を横に振った。


「トウリ様はお与えになる。たとえそれが異国の白い娘であっても」


 彼女はそう言いながら、前を歩く少年と少女の後ろ姿を見やった。それはどこか手の届かない遠くへと離れていく子供を見送る母親に似た、優しく切ないまなざしだった。


巫女ママコーナたる私には、それを咎めることなどできないのです」


 その言葉にルントゥは、チェスカの愛を感じた。それは自分の愛と同じものだ。そう思い至ったとき、彼女はあの日、ムガマ・オ・トウリに与えられた言葉を思い返した。


 ――あなたは今、愛された。それが許しです。


 愛が許しであるならば、自分と同じように彼女のすべてを許して欲しい。あらゆる星を受け入れて静かに広がる夜空のように、彼女に愛を与えて欲しい。

 ルントゥはチェスカに訊く。


「トウリ様は、ファラーレ様を御救い下さるでしょうか?」


 チェスカの答えは簡潔だった。


「信じなさい。トウリ様はそうした御方ですから」


 ルントゥは少女の手を引き歩く少年の背中に、この幸せがまだ少し続くことを、強く、強く願った。

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