夜の一幕

「さ、触りたいです……! ひよりさんの、足……!」

「あ、あははは…………そ、そうなんだ…………」


 俺の言葉に、ひよりんは更に顔を真っ赤に染めた。でも今は俺も負けないくらい赤くなっている自信があったし、更に言えば心臓の音が世界で一番うるさい自信もあった。今にも口から飛び出ていきそうだ。


「それじゃあ……正面に来てくれるかしら……?」

「わ、分かりました」


 俺の身体はまるで魔法に掛かったように、忠実にひよりんの言う事を聞く。今すぐダッシュで逃げ出すべきなのに、気が付けば俺はヨガマットの上でひよりんと向かい合っていた。


「えっと……俺はどうすれば…………」


 全身の毛穴から汗が噴き出すようだった。けれど実際に見てみれば全くそんなことはなくて、寧ろ逆に身体は異様なほど冷たかった。『推し』の生足を前にして、身体には天変地異が起きていた。


「えっと……私が仰向けになるから、蒼馬くんは私の足を押さえていて欲しいの。分かるかしら……?」


 ひよりんはそう言って仰向けになると、片足だけ膝を曲げて宙に浮かせた。何とも可愛らしい足の裏が俺に向けられる。まさか『推し』の足裏を見る事になろうとは夢にも思わなかった。


「足の裏をお腹につけて押さえて貰うんだけど……大丈夫かな…………?」

「えっと……こうですか……?」


 俺は立ち膝になりながら、恐る恐る、本当に恐る恐る前進し……ひよりんの足裏をお腹につける。

そうして『推し』の足裏が俺のお腹を捉えたその瞬間────とてもつない衝撃が全身を駆け抜けた。


「お、おお……!」


 全身の血液がそこに集まっていくような錯覚が俺を襲う。足裏という通常絶対に関わることのない部位が持つアブノーマル感、そしてまるで『推し』に踏まれているかのような感覚に、開けてはいけない扉が開いてしまいそうになる。


「あ、これ……なんかすっごく恥ずかしい、かも」


 ひよりんはひよりんで片足を完全に俺に任せているのがとても恥ずかしいようで、手のひらで口元を隠していた。


恥じらいながら俺を踏む『推し』……何とは言わんが悪くない。


「えっと……これは前に体重をかければいいんですかね?」

「え、ええ。お願い出来るかしら……?」


 ひよりんの許可を受け、俺はお腹でひよりんの足を受け止めながら前進していく。とはいえ既に膝は曲がり切っているので、特に前に進めるということはなくその場でぐぐっと押し戻される。多分、これで合っているはずだが。


「どうですか?」

「あ、うん。いい感じ……かも」


 変な空気になっていることはお互い感じ取っているはずで、俺たちはそれから妙に律儀にストレッチをこなした。


辛うじて噛み合っている歯車が少しでもズレてしまえば、おかしなことになってしまう──そんな共通認識がある気がして、何だかひよりんが十年来の戦友のように思えた。

 そうしていくつかのストレッチをこなした後、ひよりんはどこかからリンギュフィットを持ってきた。静から貰った奴だろうか。


「本当はこれからリンギュフィットやろうと思ったんだけど……今日は何だか疲れちゃった。また今度手伝って貰ってもいいかな……?」

「……そうですね。俺もそっちの方がありがたいです。またいつでも呼んでください」


 呼ばれたら呼ばれたで困るのに、俺はまたそんなことを言ってしまう。

 ……どうして俺はこんなにもひよりんに弱いんだろうか。

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