どさくさ静と氷の刃

 どうすることも出来ないので、俺は投げつけられた衣類を洗濯カゴに入れ、ついでにリビングの掃除を始めた。週に一回掃除しているというのに、どうしてこうも汚くすることが出来るのか。掃除好きは才能と言うが、汚くする事こそ才能なのではないか。


「あー、また脱ぎっぱなしにして…………」


 床に散らばるパジャマを拾い集めながら、つい愚痴が漏れる。一応静にも羞恥心の類はあったらしく下着は自分で洗濯カゴに入れるようになった。それは成長だ。


 しかし、折角教えてやったのに洗濯は自分でやろうとしないので、結局俺に下着を触らせていることに静はまだ気が付いていない。いや、冷静に考えたら分かる事ではあるんだが、静の頭の中では洗濯カゴにいれたら後は自動で畳まれた状態で返ってくることになっている。実家暮らしの奴は、時にそういう思考に陥る場合があるらしい。もし気が付いたら俺は怒られるんだろうか。怒られたら、その時は労基に駆けこもうと思っている。


 衣類をあらかた片付け終え、次にゴミを拾い集めていく。一人暮らしの娘が風邪を引いたタイミングで看病と部屋の掃除をするその姿は、どこからどう見てもお母さんそのものかもしれないが、最近は否定する気にもならない。俺は静のもうひとりのお母さんなのかもしれない。静の血や肉は、今となっては俺が作ったもので出来ている訳だし。


 ごみ袋を2つほどパンパンにしたあたりで、見違えるほどリビングが綺麗になった。果たしてこの状態は一体何日保たれるのか。1日か、それとも2日か。この部屋にカメラを設置して、汚染されていく様を確認したいくらいには気になった。これ以上ヘンタイだと勘違いされたくないので提案しないが。


「ゴミは…………ゴミはないか…………?」


 やる事が無くなったとはいえ、帰る訳にもいかない。俺は静の体調を確認しに来たんだ。しかし、声をかけられる空気ではない事は俺にもわかる。俺は手持ち無沙汰になり更なる汚染を求めたが、今だけは自分の掃除スキルが憎らしい。リビングにはホコリ一つ落ちていなかった。


「どうする…………洗濯もしちまうか…………?」


 この家の洗濯機は最新のドラム式のため、ボタンを押したらそのまま乾燥までやってくれる。濡れたまま放置されるという事はないから、昼休みのうちに仕掛けておいても問題はないのだった。


「…………ん?」


 頭の中が洗濯に傾こうとしていたその時、寝室の方から物音がした。何かが崩れるようなアクシデントの音だ。


「静、大丈夫か!?」


 ドアの前から声を掛けるが…………反応はない。


 何かあったのならすぐ助けに入りたい。けれど、また勝手に入ったら怒られるかもしれない。返事が無いのは俺と口を利きたくないだけかもしれない。だが静がぶっ倒れていたらどうするんだ。

 

 …………頭の中で天使と悪魔ならぬ、天使と天使が戦っていた。その勝敗はすぐに着いた。天使の勝利だ。


「静、入るぞ────!」





「────おい、大丈夫か!?」


 寝室に飛び込むと────静はゴミで溢れた床の上に倒れていた。裸だった上半身は今はTシャツで隠れている。汗が滲んだおでこに手を当ててみると朝より熱い。薬が効かなかったのか?


「…………うー…………怒ったら…………熱上がった…………」


 静は途切れ途切れに呟いた。俺のせいでこうなっちまったって言うのか。


「静、分かったから喋るな。とりあえずベッドに運ぶからな」


 静の華奢な身体を持ち上げてゆっくりとベッドに寝かせる。ベッドの上に戻しても当然だが元気になることはなく、静は辛そうに口で息をしている。俺は洗面所で濡れタオルを用意し、静の顔を優しく拭いていった。それくらいしか出来ることが思いつかなかった。


「静、病院いくか?」

「…………だいじょうぶ…………そこまでじゃ、ないから…………」


 頬を赤く染め、苦しそうに胸を小さく上下させている静は見ている分にはとても辛そうだが、本人がそういうならそうなんだろう。そう想うしかない。となれば今、俺に出来ることは一体なんだ?


「…………俺、コンビニで色々買ってくるよ」


 ゼリー型飲料とか、スポーツドリンクとか、多少無理やりにでも飲ませた方がいいような気がした。この状態の静をひとりにするのは不安だがコンビニはすぐそこだ。5分もあれば往復出来る。


 席を外そうと立ち上がったその時────静の手が、震えながら俺の服の裾をつまんだ。


「そばにいて…………」

「あ、ああ」


 静に懇願され、ベッド傍に置いた椅子に座り直した。


 …………一人暮らしを始めてから、初めて風邪を引いた時の事を思い出す。暗い部屋でひとり耐え忍びながら感じたのは、どうしようもないほどの孤独だった。とにかく誰かに傍にいて欲しかった。このまま、誰にも知られずに死んでしまうんじゃないか、そんなことすら思った。静が今、あの時の俺と同じ気持ちだというのなら、静の傍にいてやりたいと思う。 


 服をつまんでいる静の手を優しく解き、両手で包んだ。何だか意識不明で寝込んでいる人にやるみたいな行動で気が引けたが、静の顔からは少し力が抜けたような気がした。


「傍にいてやるから、心配すんな」

「…………うん…………」


 こういうのも病は気からというのか分からないが、きっと安心したんだろう、静は先程より随分楽そうにしていた。少なくとも苦しそうに口で呼吸をするようなのは無くなった。


「…………そうまくんさ…………」

「なんだ?」


 静が瞼を開き、目線だけで俺を見た。やはりまだ辛いらしくその途中で小さく顔を歪めた。


「…………せきにん、とってよね…………はだか、みたんだから…………」

「うっ…………」


 忘れてはくれないか…………とはいえ、責任ってどうとれって言うんだよ。俺も裸を見せればいいのか?

 多分、もっとダメになる気がする。


「いや、責任って言われても…………」


 俺は困惑し情けない声を出した。そんな時。


「────へえ。面白い会話してるじゃない」

「ッ!?」


 氷の刃のような声が背中に突き刺さり、俺は恐怖に肩を震わせた。


「ま、真冬ちゃん…………?」


 振り返ればそこには────何故か笑顔の真冬ちゃんが立っているのだった。


「お昼休み食堂にいないから、まさかと思って来てみれば────随分、面白いことになっているわね?」

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