水も滴るいいふたり

 永遠にも感じられた20分足らずの間、俺たちは無言で電車に揺られていた。最寄り駅に降り立ち、改札を抜け、空を見上げると、雨は変わらず強く降りしきっている。


 傘を開くと、空いたスペースに静がぴょこっと飛び込んできた。傘の中は相変わらず狭く、俺はまた静かに肩を濡らした。


「あんさ、スーパー寄っていい?」


 別に緊張する間柄でもないのに、暫くの間無言だったからか妙に緊張しながら俺は静に声を掛けた。


「すーぱー!? あ、うん、いいよいいよっ!」


 静はまさか声を掛けられるとは思っていなかったのか、慌てふためきながら首を縦に振った。


「悪いな、夜飯の材料買わないといけなくて」

「ああ、うん、そうだよね。寧ろいつも買い物も任せちゃってごめんなさいだよ」

「いいよ。自分で買い物した方が色々楽だしさ」


 俺達はどちらからともなく歩き出した。静はさっきまでの人が変わったような雰囲気ではなく、よく知っているいつもの感じに戻っているみたいだった。まあ、人が変わったようなってのも俺が勝手にそう思っているだけかもしれないけど。


「蒼馬くん、今日の夜ご飯なに?」

「今日は豚が安かったから適当に肉野菜炒めかなあ。あんまり時間もないし」

「お、いいねーお肉! わたしゃーお肉が大好きだよ」

「っ…………そうか」


 お肉ね。お肉が大好きね。把握。


「…………? 蒼馬くん、それ肩濡れてない? 気付いたら傘めっちゃこっちに寄ってるし」

「ん、あー、ほんとだ。いつの間にか濡れてたわ」


 気付かれたか…………出来ればバレずに家までたどり着きたかったんだがな。


「ほら、もうちょっとそっちに寄せなさいよ。私濡れてもいいように透けないパーカーで来てるんだから」


 静が傘を持っている俺の手をぐいっと押し込んでくる。お陰で俺は濡れなくなったんだが、その代わりみるみるうちに静の肩が雨に晒されていく。


「…………いや、いいって。お前風邪引いたらどうすんだよ」


 俺は傘を静側に寄せなおした。俺の肩は既に思いっきり濡れていて、今更濡れなくなっても意味ないしな。


「蒼馬くんが風邪引いたらどうするのよ。私は水も滴るいい女になるからいいの!」

「訳わからん事言うなって。俺は身体強いから大丈夫なんだよ」

「私だって身体強いわよ! あんたあのゴミ屋敷で生活出来るわけ!?」

「いや…………それは…………今は関係ないだろ」


 静が両手で俺の手を掴み、無理やり傘を押し込んでくる。俺はそれを押し返す。傘はぐわんぐわん揺れ、もはや正しい位置を全くキープしていない。濡れていなかった部分までどんどん濡れていく。


「しっ、静、とりあえず落ち着け! このままじゃふたりともズブ濡れだ!」

「…………それもそうね…………」


 凄い勢いで身体が濡れていくのを静も感じていたんだろう、俺の呼びかけに大人しく従ってくれた。


「…………でも、本当に止めてよね。これで蒼馬くんに風邪でも引かれたらすっごく嫌な気持ちになるもん」

「元はと言えばお前が傘を1本しか持ってこなかったせい…………いや、それを言ったら傘を持って出なかった俺の責任か…………」


 静がいなければ俺はまだバーチャリアルの事務所に缶詰になっていたか、それとも全身びしょぬれになっていたか。わざわざ来てくれた静を悪く思うのは、筋違いもいいところだ。


「だからさ、俺の気持ちも分かってくれよ。これで静に風邪引かれたら俺もめっちゃ責任感じるんだって」

「う~…………」


 全く納得していない静の声。こうしているうちにも静の肩は雨に濡れていく。ああもう、大人しく傘の中に入ってくれ!


「…………分かった。ふたりとも濡れなければいいんでしょ…………」


 不貞腐れたように唇を尖らせて静が呟く。


「いや…………無理だろ。このビニール傘じゃどうやってもふたりは入らないって」


 俺も静も細い方だけど、それでも精々1.8人分くらいのスペースしかない。ふたりとも濡れないようにするには、それこそくっついて歩くくらいしか────っておい、まさか。


「…………こ、こうすれば…………ふたりとも濡れないわよ…………?」

「っ…………!」


 静が俺の二の腕をぎゅっと掴んで、身体を密着させてきた。突然の事に俺の身体は完全に硬直し、静と触れている部分に全神経が集中する。


「…………っ、絶対こっち見ないでよね…………! …………仕方なくなんだから!」

「お、おう…………! そうだよな、濡れない為には仕方ないよなっ! よ、よしさっさとスーパー行こうぜ!」


 俺たちはスーパーへ急いだ。とはいえ完全に密着しているせいで、繋がれていないだけの二人三脚のような状態になってしまい、なかなかスピードが出ない。一刻も早く静と離れたいような、ずっと離れたくないような、訳の分からないメンタルのまま歩道を歩いていた。今の俺たちを見て他の人たちはどう思うのだろう。カップル以外の何かに見えるだろうか。深く考えると戻れなくなる気がした。


 寒いんだか暑いんだかよく分からないまま、俺たちはなんとかスーパーの近くまで辿り着いた。自分でも意外なほど、ほっとした。相合傘しながら密着するというのは、手を繋ぐのとは比較にならないほど俺の心を揺さぶっていたらしい。俺はやっと少し気を抜くことが出来た。多分静も同じなんじゃなかろうか。


 ────そんな時。


「きゃっ!?」

「うおっ!」


 大型トラックが猛スピードで俺たちの横を走り抜け、跳ね上げられた水しぶきが俺たちの下半身を絶望的なほど濡らした。


 …………もう、びしょびしょのびしょである。


「…………」

「…………」

「…………ふふっ」

「…………はは…………」


 俺たちはくっついてから初めて────あるいは相合傘をしてから初めて、顔を見合わせた。

 じっ…………とこちらを見つめる静の真顔が、ゆっくりと崩れていく。


「…………ふふっ…………あははっ…………あははははははっ!」

「ははっ…………はははははっ!」


 …………ふたりともおかしくなっていたんだろう。

 俺たちは大雨の中、暫くの間笑いあっていた。

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