支倉ひよりによる精いっぱいの攻め

 ────時刻は午後十時。


 うっすらとアルコール臭の漂うひよりん家のリビングは明かりが落とされ、大きな液晶テレビの光だけがぼんやりと室内を照らしている。


 二人掛けのソファに体重を預けて、俺はひよりんが作ってくれたハイボールで唇を湿らせた。


 …………うん、濃い。


 何度もひよりんの晩酌に付き合ううちに分かったんだが、ひよりんが作るハイボールは間違いなくウイスキーの割合が多かった。多分炭酸水2.5:ウイスキー1より濃い。一般的には3:1だとか4:1が美味しいとされている。


「…………美味しい?」


 隣に座るひよりんが囁くように言う。


 ひよりん家のソファはあまり幅があるタイプではなく、そのせいで思い切り肩が触れ合っていて────触れている部分が冗談みたいに熱く感じる。きっと意識がそこに集中してしまってるんだろう。


 部屋が暗いせいでひよりんの表情は伺い知れないが、その声色から今日の事を楽しみにしてくれていたんだ、ということは伝わってきた。


「美味しいですよ」

「そっか…………よかった」


 ひよりんの持っていたグラスがカランと軽やかな音を立て、薄黄金色の液体がひよりんの中に流れ込んでいく。静かな部屋に僅かに響く嚥下音が、何とも艶めかしかった。


「…………ふぅ」


 空になったグラスをローテーブルに置き、ひよりんがこちらを向き直る。


 テレビの光を反射して────薄っすらと紅潮した頬、とろんと垂れた瞳が…………暗闇に浮かび上がった。


「それじゃあ蒼馬くん…………シよっか」





 アップテンポなアイドルソングが、アルコール臭漂うマンションの一室を一瞬でLIVE会場に変貌させた。


「いえーい!」

「やふー!」


 真っ暗な部屋をふた振りのサイリウムが虹色に染め上げていく。


 さあ始まりましたザニマスLIVE視聴会。

 いい感じに酒も入り、俺とひよりんのテンションはのっけから最高潮に達していた。


「うわー懐かしいなあ。もう2年前かあ」


 ひよりんは懐かしそうに目を細めて、画面の中で歌い踊るかつての自分を眺めている。


「ひよりんさんはことりが初めてのメインキャラなんでしたっけ」


 星野ことりはひよりんが声を担当しているザニマスのキャラクターだ。俺の推しでもある。というかファーストライブで観たひよりんがかっこよすぎて『ひよりん推し』かつ『ことり推し』になった。


「ええ。だからザニマスには感謝してるの────こんないい景色も観させて貰えたしね」


 画面の中では無数のサイリウムが会場を彩っている。

 ステージから観る景色を、無数の中の一本でしかなかった俺は想像することしか出来ないが────きっと一生ものだろう。


「それを言ったら俺の方こそ感謝ですよ。このLIVEで観たひよりんさんが本当にかっこよくて。今でも脳裏に焼き付いてます」

「そういえば、ファーストライブで私の事好きになってくれたって言ってたもんね」


 好き、という単語に顔が熱くなる。

 落ち着け、この『好き』は『推し』って意味だ。ラブじゃない。


「…………そうなんですよ。『Milky way』の2番のサビの最後に、指で銃を撃つような振り付けがあるじゃないですか」

「えっと…………『あなたに会いにいくからー♪』のところ?」


 ひよりんが軽く口ずさむ。


 …………うわ、今生歌聞いちゃったんだけど!


 最近はもうひよりんがいる生活が当たり前になっていたけど、やっぱり冷静に考えるととんでもないことだよな…………。


「ですです。その振り付けの時に、丁度ひよりんさんが俺のめちゃくちゃ近くにいて。俺の席の方向に銃を撃ったんですよ。そこで完全にやられちゃいましたね」

「ふふ、あの先に蒼馬くんがいたんだね」


 ひよりんはその時の事を思い出しているのか、ぼーっと画面に視線を向けている。


 どれくらいの時間そうしていただろうか、ひよりんは画面の向こうの思い出を振り返るように遠い目をしながら呟いた。


「私は当時は勿論蒼馬くんの事を知らなかったけど…………あの時私の指先にいた人と、2年後にこうやって知り合って。その人が作ったご飯を食べているんだよーって言っても、当時の私は絶対信じなかっただろうなあ」


 そう言ってひよりんは笑った。


「人生、何があるか分からないね?」

「…………そうですね。俺もまさかひよりんさんとこうやって仲良くなれるなんて夢にも思いませんでした」


 嘘だ。本当はめっちゃ夢に見てた。

 一つ違うことがあるとすれば、想像の中のひよりんの酒癖は悪くなかった。


「あ、丁度始まったよ、『Milky way』」


 俺たちはサイリウムを振ることも忘れ、じっと画面を見つめていた。ふたりともあのシーンを待っていることが何となく分かった。


 1番が終わり、気持ちを整える暇もなく2番のサビがやってくる。画面の中ではひよりんがきらめく汗を飛ばしながらダンスを踊っている。


 そろそろサビが終わる。ひよりんが指で銃を作り、それを観客席へ向け────思い切り撃ち抜いた。


 …………何度見てもかっこいい。あの時、ことりがステージにいるのかと本気で錯覚したのも仕方ない。そして俺がひよりん推しになったことも。


「…………ふふっ。今、蒼馬くんをファンにしちゃったんだね」

「ですね…………やられちゃいました」


 言い合って、どちらからともなく笑い合う。


 …………まさか、このシーンを本人と一緒に観ることになるなんて。


 いつかはひよりんとのこの関係も終わってしまうんだろうけど、俺は今日の事を一生忘れないだろう。


 そんな気がした。


「…………『蒼馬くんっ』」

「…………えっ!?」


 突然耳に届いた衝撃に、俺は言葉を失う。


「…………今…………!?」

「…………えへへ、ファンになってくれたお礼っ」


 今の出来事について聞きたかったけど、ひよりんは胸に抱えたクッションに顔の下半分を埋めながら画面に向き直ってしまったので、俺はそれ以上話しかけられなかった。


 …………夢じゃないよな…………?


 今、確かに『星野ことり』が俺を呼んだ。


 間違いない。


 …………俺は今日のことを、一生忘れない。



「…………それと…………いっつも私のお酒に付き合ってくれて…………ありがと」


 ひよりんが何かを呟いた気がした。


 けれど、ひよりんはクッションに口をつけていたからモゴモゴしていたし、画面の向こうでは既に次の曲が始まっていたし、俺はまだことりが俺の名前を呼んでくれたことを整理しきれていなかったので、その言葉を聞き取ることは出来なかった。

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