すやすやひよりんとウソつき静

「…………わーお」


 リビングのドアを開け────俺は感嘆の声を漏らした。


 …………いや、静の家みたいに汚い訳ではない。引っ越しして間もない事もあってリビングはまだ物が少なく、閑散とした印象を受ける。


 しかし、がリビング中に置かれていたのだ。


 …………まあちょっと予想してはいたけど。


「すっげえ酒の量…………」


 一人用のテーブルの上には日本酒やウイスキーの瓶が所せましと並んでいて、部屋の隅っこにはパンパンに酒の缶が入ったごみ袋が2つ並んでいる。ざっと見積もっても50本近くありそうだ。


 …………この人、先週越してきたばかりだよな?


 シンプルに7で割っても…………いやいや、おかしいだろ。


「とりあえずベッドに乗せるか…………」


 酒まみれのリビングを通り抜けて奥の部屋を開ける。2つある部屋のうちどちらかが寝室のはずだ。


「これは…………」


 どうやら外れを引いたらしい。その部屋にはパソコンデスクと、ザニマスやドレキュアといったひよりんの出演作品のグッズが、壁一面に並べられた棚に綺麗に収納されていた。仕事関係の部屋だろうか。


 ひよりんが出演している作品は大体追っている為、そのグッズとなると詳しく見てみたい気持ちはあるが…………ぐっと堪えもうひとつの部屋に移動する。今度許可を取って見せて貰おう。


 もうひとつの部屋は予想通り寝室だった。

 可愛らしいベッドと、あとは加湿器やらアロマディフューザーやら、その他ファンシーな小物類が並んでいる。


 うんうん、女性の部屋ってこうあるべきだよな。静がおかしいんだやっぱり。


 枕元に置かれた「鬼人殺し」と書かれているゴツい一升瓶さえなければ完璧だったんだが、そんな事を気にしている場合でもない。


「ひよりんさーん、下ろしますよー?」

「うーん…………」


 前かがみになりひよりんの背中をベッドにつけると、ひよりんは俺の背中に回していた手足をゆっくりと解いていく。


 ひよりんはベッドの上で気持ちいい体勢を探すようにもがいていたが、やがてしっくりきたのかすぅすぅと寝息を立て始めた。ミッションコンプリートだ。


「はあ…………疲れたな、色々と」


 主に精神面が。並の理性だったら今頃お縄に違いない。ハードボイルドで良かった。


「…………帰るか」


 一晩の間だけひよりん家の鍵を開けっぱなしにすることになるが…………まあ大丈夫だろう。うちのマンションは入り口にも鍵がかかってるし。夜遅くに誰かが入ってきて、しかもうちの階に来る事は考えにくい。セキュリティに関しては高いだけのことはあるんだよな。


 兎にも角にも、身体に張り付いたひよりんの感触を何とかしたい。このままでは夢に煽情的な出で立ちのひよりんが出演する事になってしまう。何度も言うが、隣人に欲情するようになったら日常生活に支障が出るんだよ。毎晩顔を合わせる事になるんだし。





 ひよりんのフェロモンを洗い流すようにいつもより長めの風呂に入り、火照った身体でベッドにダイブする。


 時刻は22時30分。油の処理と洗い物も終わってるし、いつもより早いけどもう寝てしまおうかな。


「…………」


 半ば無意識にミーチューブを開く。良くないと分かっていてもだらだらと見てしまうんだよな。ほら、エッテ様の配信には睡眠導入効果があるし。


 エッテ様の落ち着いた声と、唐揚げ唐揚げ~とうちのドアを叩く静は全く結びつける事が出来ないが、まあそこは静もプロなんだろう。よくあんなに普段の性格と違うキャラを演じられるよな。


 ミーチューブのトップページには自分がフォローしてる人の動画なり配信が優先して出てくるんだが、丁度噂のエッテ様の配信枠が一番上に載っていた。


 タイトルは『【飲酒雑談】月曜から夜更かし【アンリエッタ/バーチャリアル】』。


 …………あいつ、飯の時にビール飲んだからそのまま飲酒枠にしたな。上手い事やってるわ。


 サムネイルのエッテ様の顔をタップすると、すっかり違和感を覚えるようになってしまった、聞き覚えのある声が再生される。


『東京の生活にもそろそろ慣れてきたって感じかなあ。あ、そうそう。お隣さんすっごくいい人でねー、東京の人って冷たいって聞いてたんだけど、全然そんな事無かったよー。初日で仲良くなっちゃった』


「お?」


 エッテ様は丁度引っ越しの話をしているみたいだった。


 数千人の前で「すっごくいい人」と言われ、否が応にも嬉しくなる。


「…………それにしても」


 なーにが東京の生活にも慣れてきた、じゃ。


 静、お前ほとんど家から出てないだろ。

 お前の家にユーバーイーツの配達員がファーストフードを届けに来る音が毎日のように聞こえるんだが?


 …………もしかして東京の生活に慣れた、というのはユーバーイーツを使いこなしているという意味なんだろうか。確か実家はめちゃくちゃ田舎の方だと言っていた。勿論ユーバーイーツなんて対応してないんだろう。


コメント:『引越しの挨拶とか基本ないよな』

コメント:『挨拶来られたらビビるわ』

コメント:『隣人ガチャSSR?』


『そうだねー、ふたり仲良くなったんだけど両方SSRだったねー』


 『推し』が俺の事をSSRだと言っているのを聞いて、俺は少し得意になった。因みに八住ひよりを知ったきっかけのザニマスというアイドル育成ソシャゲではSSRは最高レア度だ。


 どうも、最高レア度の男です。


「…………」


 それはそれとして。


 …………『推し』、なのかなあ。


 正直な所、今エッテ様に対する感情は結構複雑だった。

 勿論全然好きじゃない、って訳じゃないんだが、どうしても静の顔が脳裏にチラつく。


 エッテ様と静は別物だってのは分かっているんだが、そう簡単に納得できるものでもなかった。


 静に対しては…………どうなんだろ。部屋が汚いのは論外なんだが、それを除けば静の事は割と好きだ。


 話してて楽しいし。なんつーか気を使わなくて済むんだよな。

 それは真冬ちゃんにもひよりんにもない、静だけへの感情だった。ひよりんになんて、俺はきっと一生緊張したままだろう。


「…………」


 コメントしてみるか。

 さんざ迷惑を掛けられたし、ちょっとした仕返しだ。


コメント:『毎日ユーバーイーツ頼んでそう』


 一瞬で流れたそのコメントを拾われるとは思わなかったが、運良く(悪く?)エッテ様の目に止まったようだった。


『ユーバーイーツ? 私ってそういうイメージあるんだ。結構料理とかするんだけどなあ』


「ハッ」


 しれっと嘘をつくエッテ様に思わず笑いが漏れた。


 なあ静、お前家に炊飯器ないって言ってたよな?

 この世のどこに炊飯器が無い自炊人がいるっていうんだ?


 3食パスタか?


 まあそれはそれで静のイメージに合ってるけど。


コメント:『エッテ様女子力高そう』

コメント:『流石バーチャリアルの清楚枠』

コメント:『エッテ様のヒモになりたい』


「…………おいおい」


 コメント欄は静の妄言を疑いもしないピュアな奴らで溢れていた。真実を見抜く目を養った方がいいぞ。


 まあ俺も、リアルで知り合ってなかったら信じてたと思うけど。配信上の情報だけだと疑う理由がないしな。


コメント:『家に炊飯器無さそう』


 俺は追撃のコメントを打ち込んだ。

 配信を見ている数千人が間違った情報を信じようとしている。それを救えるのは俺だけなんだ。


 俺はかつてないほどの正義感に燃えていた。


 俺が打ち込んだそのコメントは、エッテ様に読まれることは無かった。しかしその代わりにスマホがルインの着信を告げ、画面上部を隠した。


『配信見てるでしょ』


 俺と静、それとひよりんが参加している「蒼馬会」なるルームの上に、ひとつのルームが未読メッセージを告げている。ここ最近ずっと1番上をキープしているそのルームの名前は林城静。炊飯器未所持の自炊女・林城静。


『何のこと?』


 口元が緩まないように注意しながら返信すると、すぐに返信が帰ってきた。配信に集中しろ。


『炊飯器』

『欲しくなったの?』

『いやいらないけど』

『自炊しないならいらないよな』

『やっぱり観てるでしょ』


「…………」


 俺はルインを閉じてミーチューブを開き直した。返信しなくても、どうせ配信が終わったらまた下らないことを送ってくる。


『────きょ、今日も唐揚げ作ったんだよ。唐揚げって作るの大変だよねー』


コメント:『分かる』

コメント:『揚げ物は油の処理がめんどいわ』

コメント:『家庭的お嬢様概念くるか』


「あーあ」


 少し目を離した隙に、とんでもない事になっているみたいだった。一度嘘をつくと、それを守るために更に嘘を上塗りする羽目になる。そのいい例だった。


 コメント欄はすっかりエッテ様の家庭的エピソードを求める流れになってるけど、どうするつもりなんだろ。

 助けてというのなら、まあ、助けないこともないけど。

 

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