第78話 誰にでも苦手なものはある
俺は25メートルプールから離れ、子供用の10メートルプールの方へと向かう。
「ユズの顔はマジで怖かったな」
捕まったら何をされるかわからないからあの場は逃げるのが正解だ。
ユズは少し潔癖な所があるため、俺がいかがわしいことをするとすぐに怒りを露にしてくる。
だから今回日焼け止めを塗っていただけと言っても、俺のことを信用することはなかっただろう。
とりあえずこれからどうするか。25メートルプールはユズやコト姉達がいるからしばらく向こうには行けない。
かと言って子供用のプールは滑り台があるが、あくまで子供用の小さなやつなので俺が遊ぶようなものではない。
「リウトお兄さん。私達と一緒に遊んでくれるの?」
「紬ちゃん?」
声がする方を振り向くと、プールサイドから紬ちゃん神奈さんが現れた。
ここは子供用のプールだから二人がいてもおかしくない。神奈さんと紬ちゃんの腕にはそれぞれ浮き輪があり、それを取りに行っていたと思われる。
けど紬ちゃんが浮き輪を持つのはわかるが神奈さんも? ここは余裕で足が届くよな。ぷかぷか浮き輪に乗って浮くために準備をしたのだろうか。
「こ、これは別に!」
神奈さんは俺の視線に気づいたのか、慌てて浮き輪を背中に隠し始める。
「いや、見えてるから」
浮き輪のような大きなものを身体で隠せないって。
俺の言葉で諦めたのか、神奈さんはおずおずと恥ずかしそうに浮き輪を前に出してくる。
「私⋯⋯実は泳ぐのが苦手で」
「そうなんだ。別に人には得意不得意があるし恥ずかしいことじゃないと思うぞ」
「そう⋯⋯ですかね。泳げないわけではないのですが、浮き輪があった方が安心と言いますか⋯⋯」
どうやら泳ぐのが不得意というか心の問題のように感じる。そうでなければ足がつくプールで安心のために浮き輪を手に取ることはないだろう。
「お姉ちゃん、リウトお兄さん遊ぼ。せっかくプールに来たんだから」
「そうね」
「そうだな」
「私、滑り台をやりた~い」
そう言って紬ちゃんだけが駆け出す。
滑り台は7~8メートル程の高さの渦巻き状のタイプのもので、小さな女の子が一人で滑るのは少し心配ではあるため、てっきり神奈さんも一緒についていくと思っていた。
だが神奈さんの不安そうな視線は紬ちゃんの方に向けられているだけだったので、俺は何となく察した。
「俺がついて行こうか?」
「えっ? お、お願い出来ますか?」
「任せてくれ」
普段の神奈さんなら俺と紬ちゃんを接触させるようなことは望まないはずだ。先程過去のことの話を聞いて和解したからか多少は信頼度が上がったのだろうか? それともやはり⋯⋯。
「紬ちゃん待って。俺も行くから」
「お兄さん早く早く~」
だが今はそのことを考えるより、2人と楽しむことに集中しよう。
俺は紬ちゃんと一緒に滑り台で遊び、その後神奈さんも交えて子供用のプールで水をかけたりして、今日という日が終わるのであった。
翌日早朝
俺は自宅の時とは違い、安心してベッドで惰眠を貪っていた。
なぜならこの部屋は自宅の自室とは違って鍵がついているため、コト姉やユズに侵入されることがないのだ。
昨日はプールで遊び終えた後、どこぞの高級レストランで出るような洋風のコース料理を食べて最高の気分で寝ることが出来た。
一日目の充実ぶりを考えると今日という日も素晴らしいものになるだろうと期待が高まってしまう。
だが今日という日を楽しむために、まずはベッドから出なくてはならないが、布団が持つ魔力に抗えず俺はこのままもう少しだけ寝ることにした。
幸せだ。いつまでも安心して寝れるっていいな。
そして俺は再び夢の世界へ旅立とうとするが⋯⋯。
ん?
僅かだが顔に風を感じたのは気のせいか? エアコンの風? いや、今は5月上旬、寝るのに適した温度だし、エアコンをつけた覚えはない。
それなら自然の風が外から入ってきた? だが窓を開けて寝た記憶はない。
ま、まさかコト姉やユズが侵入してきたとか! しかし鍵はかけているので2人は部屋に入ってくることは不可能だ。
けれど目が覚めて五感が鋭くなったのか、部屋に誰かがいる気配を感じた。まだ寝ていたい気持ちはあったが、侵入者がいるならもう夢の世界へ行っている場合じゃない。
俺は意を決して目を開けてみると⋯⋯。
目の前に人がいた!
「うわあ!」
しかも俺の顔から20センチ程の距離にいたので思わず声を出してしまった。
「おはようリウト」
そして侵入者は俺が起きたことに気づくとその場から離れ、しれっと挨拶をしてくる。
「アリア⋯⋯何でここに?」
「リウトを起こしにきたのよ。休みだからといっていつまでも
「それは⋯⋯そうだが」
俺は突然部屋にいたアリアに驚き、まだ起きたばかりということもあって混乱していた。
何故アリアがここに? どうやって部屋に入ってきた?
「ちなみに一応ノックはしたわ。だけど返事がなかったからソフィアに頼んで開けてもらったの」
「それは不法侵入というやつでは⋯⋯」
確かにここはアリアの別荘だからこの部屋の鍵を開けることなどわけないことだろうけど。
「違うわ。1度幼なじみを起こすっていうシチュエーションをやって見たくて。日本では幼なじみなら部屋に勝手に侵入していいってアニメで言っていたわ」
「そんなアニメはどこにもない」
やれやれ、アリアは海外にいたから日本の間違った知識を取り入れてしまっているのだろうか。だがその言葉が通用するなら俺もアリアの部屋に侵入していいということになる。
こうなったら明日、眠れる別荘の美女のあられもない姿を見てやるぜ。
俺はそう心に誓ったがすぐに決意を撤回することになる。何故ならアリアの位置からは見えないように、俺の首には冷たい物が押しつけられていたからだ。
「お嬢様の寝室に忍び込んだらわかっていますね?」
「は、はい⋯⋯もちろんそんなことはしません」
俺は突如背後に現れ、俺の首にナイフを押しつけるソフィアさんに対して震えながら答える。
「えっ? 明日はリウトが私を起こしに来てくれるの? 楽しみだわ」
俺の命が風前の灯なことなど気にせず、アリアは嬉しそうな表情をする。
「いや、女性の部屋に勝手に入るのはちょっと⋯⋯」
本当は起こしに行きたい所だが、そのような言葉を口にすれば首に押しつけられた銀色のナイフが肌に食い込むのは間違いないだろう。
「そう⋯⋯残念だわ」
「お嬢様を悲しませるとは何事ですか。天城様は三途の川が御所望ですね」
これはどっちを答えてもジ・エンドの内容じゃないですか。だがこんな時こそ俺の得意の玉虫色の回答が役に立つ。
「機会があったらアリアを起こしにいくよ」
「本当? その時を楽しみにしているわ」
首にナイフがめり込んでいないことから、どうやらソフィアさんは俺の答えに満足してくれたようだ。
こうして俺はこの危機的状況を何とか回避することが出来たのであった。
そして俺はアリアとソフィアさんが部屋を出ていった後、朝食の時間まで後30分程かかるということで服に着替え、別荘周辺の探索に出掛けた。
「確かバスでここにくる時に湖があったよな」
俺は別荘から歩いて2~3分くらいの所にある湖畔の散策に出かけることにした。
湖の水はとても澄んでおり、朝日が反射してキラキラと輝いている。そして周囲からは小鳥の囀りが聞こえており、日頃の街中では味わえないシチュエーションだ。
日本人は働き過ぎだから将来はこういう余裕のある日常を送りたいものだな。
俺はこのマイナスイオンが多く降り注いでいそうな空間は楽しみながら歩いていた。すると突如茂みの中から、息を切らし血相をかいた人物が俺の目の前に現れる。
「あ、天城くん? つ、紬が! 紬がいないの!」
その人物とは日頃の姿からは想像できない程狼狽えた神奈さんであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます