Chapter24
―怜二―
フロントガラスを濡らす雨粒が、段々と白い綿毛の塊のように変わっていく。
「残念ですね。最初から雪なら良かったのに。」
「良かったて、何が?」
聞き返すと、三浦は窓の外を見たまま答える。
「ほら、ホワイトクリスマスだってテレビで騒いでたでしょ。街路樹のイルミネーションに積もったら、綺麗だったんだろうなって。」
「ああ…そうやね。」
信号が青になったのでアクセルをゆっくり踏み込む。雨に濡れた道路がヘッドライトに反射して眩しい。
三浦が、小さく歌を口ずさむ。
「知ってますか、この歌。」
「有名やろ、知らん日本人なんかおるんか。」
「そっか。…俺、有り得ないだろって思ってたんですよね。クリスマスにそんな都合よく、雨が雪に変わるかよって。」
「都合よく変わったやん。」
「ね。本当に。」
カーオーディオも何もつけていない車内に、三浦の低い声がよく響く。
「それにしても佐伯さんて、突っ込み方が厳しくないすか。」
「そおか?関西の人間やからなぁ。」
「最初は優しかったのになあ。段々、俺に対する当たりが強くなってきた気がする。」
「…それは、悪かったな。」
「ううん。嬉しいんですよ?」
ここ左です、と言われてウインカーを出した。首都高の見える大通りを逸れ、住宅街に入って行く。
「名木ちゃんに聞いたんです。佐伯さんの事どう思う、って。」
「…何でそんなこと聞くん。」
「そしたら、優しいって言ってました。」
「なら良かったわ。」
けど、と三浦が続ける。
「俺と居る時は、佐伯さんの素が出ていて、楽しそうだとも言ってました。」
「…そう?」
「はい。…俺も、そう思います。」
「三浦と居ると楽しそうやて?」
「違いますか?」
「…違わへんよ。」
一緒にお弁当を食べたり、映画を見に行ったり。まるで学生カップルみたいな事をして。
…性懲りもなく、恋に落ちた。
「楽しかったよ。」
ハンドルを握る手に、力が入る。
「三浦と仲良くやれて、良かったわ。」
「はい。」
ここです、と指さすマンションの駐車場に車を停める。
「じゃあ、ありがとうございました。」
「…ん。」
「また明日。気を付けて帰ってくださいね。」
言い残し、助手席のドアを開けて出て行く。こちらを振り返らない、背の高い後姿をじっと見送った。雨からかわった雪はすっかり大きな粒になって、街路灯に照らされて舞う姿はどんどん激しさを増していく。濡れた地面には、全く降り積もりそうも無いのに。
ホワイトクリスマスと称するには少し情緒が足りないんと違うか、と思ったら、不意に泣けてきた。
三浦に言われたことが、耳元に甦る。
『―このままの関係じゃ嫌なんです』
真っ直ぐこちらを見つめてきた、瞳の激しさを思い出す。
『辛いことがあったり、寂しくなったら言ってほしいんです。俺が佐伯さんを守りたいんです。』
―いつでも真っ直ぐにぶつかってくる、その純粋さが俺には苦しい。
最後まで気を遣わせた。弱いところを見せてしまったことを、後悔もしている。
だけど…たとえ三浦の気持ちが恋愛感情とは違っても、俺の事を思って言ってくれた言葉一つ一つは、嬉しかった。
そのまま甘えてしまいたくなった。その気持ちを押し殺して、突き放したことは間違っていなかったと思う。
―でも本当は、期待していた。
心のどこかで、もしかしたら三浦も本当は俺の事を…。
「…っ。」
その先を考えるだけで馬鹿みたいに涙が止まらない。…もう帰ろう。いつまでもこうしていても、しょうがない。
乱暴に目をこすり、サイドブレーキに手をかけた。
(…コン、コン)
驚いて顔を上げた。窓の方を向く。
いつの間に戻ってきていたのか、髪に雪を絡ませた三浦が屈んで運転席の窓を叩いている。慌ててウインドウを下げた。
「どうしたん?」
「…忘れ物しました。」
「え、忘れ物?」
どこに、と助手席の方を見る。何も置いてない。
肩を叩かれた。
「え、何?…」
叩かれた右肩に置かれた三浦の左手に力が入る。頬に、右手が触れた。
目が合ったような気がしたのは、一瞬だった。
柔らかな感触が、優しく唇をふさぐ。―開いた窓から入ってくる隙間風は冷たいのに、触れられているところだけが、やけに熱かった。
「…言うの、忘れてました。」
鼻先がぶつかりそうな距離で、三浦の吐息が顔にかかる。
「好きです。」
「…っ。」
とっくに堪えきれていなかった涙が、瞼の堤防を突き破って後から後から頬へ流れ落ちて行く。
三浦はしゃがむと、運転席の窓べりに両腕を載せ、上目遣いに俺を見て微笑んだ。
「もう、帰っちゃうんですか?」
「…っ、っ。」
「俺の部屋、来ない?」
頷く。もう何も考えられなかった。
運転席のドアが開けられる。手を引かれ、引きずられるように外に出た。俺よりずっと背の高い三浦の両腕に閉じ込められる。
雪で冷え切った夜の空気の中、何度もキスを繰り返した。
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