Chapter2

-怜二-

無糖か微糖か迷って、結局微糖のボタンを押した。スチール缶らしい重い音を立てて落ちて来たコーヒーを拾い、プルタブを起こす。

自販機の横に備え付けられたスツールに腰かけ、一口飲んで息をついた。疲れた体に程よい甘みが染み渡っていく。

三浦のやらかした事は一応面倒を見ている自分の責任でもある。一緒について、もう少ししっかり確認してやれば良かった。取引先とは親しくしていたから今回は何とか事なきを得たものの、結局ナベさんの言った通り、三浦は部長に叱られ今は始末書と格闘している。

「俺までへこむわ…」

誰もいないのを良いことに思い切り溜息を吐いた。もう少し、三浦と距離を縮める努力をしないといけなかった。三浦の方から気安く相談してくれるくらいの間柄だったら、こんなミスは起きなかったかもしれない。

営業職として働いてはいるものの、俺の性格は元々人見知りだ。当たり障りのない対応は出来ても、どこかで壁を作り、自分の中に踏み込ませないように距離を置いてしまうところがある。それはきっと、一番知られたくない”本当の自分”に、気づかれたくないせいだ。

『こいつ、モテるくせに全然そういう素振り見せないんだよな―』

「…言えるわけないやん。男が好きやなんて…」

自嘲気味に呟いて、残ったコーヒーを一息に飲み干す。

中身の無くなった缶をごみ箱に捨て、窓の外を見るとすっかり日は沈んでいた。もうそろそろ、オフィスに残っている人も少ないだろう。

少し考え、俺は小銭を財布から出すと、もう一度自販機の前に立った。


―匠海―

打った文章を消し、だいぶ書き進めてから、また一気に消す。

「…あー…」

意味の無い声を発して頭を抱える。昼間にやらかした事の始末書の内容が、全然上手くまとまらない。

学生時代からレポートの類は苦手だった。自分の頭の中の考えをまとめて、文章に起こすのは一種の才能だと思う。

目覚ましにコーヒーでも買ってこようかと思い、書けたところまで文章を保存して席を立ちかける。

急に頬にひやっとした感触が当たって、思わず声が出た。

「…っ、びっくりした…」

「はは、ごめんごめん。まだ悩んどったんやな。」

コーヒー缶を片手に俺を見下ろしているのは、とっくに帰ったと思っていた佐伯さんだった。

「佐伯さん…」

「ん?」

「昼間は、すみませんでした。」

立ち上がり、頭を下げた。佐伯さんは驚いて、俺の肩に手を置いてくる。

「大丈夫やて、もう散々謝ったやろ。取引先にも、部長にも…」

「けど、せっかく佐伯さんが引き継いで任せてくれた仕事だったのに…」

まあ座りて、と、両肩を軽く抑えられたので大人しく座った。

「新人のミスなんて、しゃあないやろ。何回も同じミスしないようにだけ気いつけや。」

「はい…もう二度としません。」

「しおらしいなあ。始末書かくの、そんなに嫌なんか?」

冗談ぽく言った佐伯さんの言葉に「はい。」と、素直に頷く。

「作文、大嫌いなんです。」

一瞬きょとん、とした佐伯さんだったが、すぐに思い切り吹き出した。

「素直やなあ。そないに真面目な顔して言う事やないやろ。」

笑いながら、佐伯さんはさっき俺の頬にくっつけた、冷えた缶コーヒーを俺に差し出してきた。

「差し入れや、これ飲んでもうちょい頑張り。」

「ありがとうございます…」

「ん。ほな、俺は帰るわ。」

黒いリュックを片方の肩にひっかけ営業部のフロアから出ていく佐伯さんに、別部署の女性たちが声をかける。

「お疲れ様です、佐伯さん。」

「お疲れー。みんなも早よ帰りや。」

「はーい。」

佐伯さんの姿が見えなくなると、さっき声をかけた女性二人組が急にはしゃいで噂話を始めた。

「佐伯さん、やっぱカッコいいよね」

「分かる。けど、どっちかって言ったら可愛い系じゃない?小さい頃の写真見てみたい、絶対可愛いよ。」

「彼女いるのかなあ。」

「秘書課の人と仲良く話してるの見るよ。」

「え?秘書課と付き合ってるのは渡辺さんでしょ?」

残業していた別の女性も話に加わる。

「渡辺さんと佐伯さんて、仲良いですよね。てことは、やっぱり佐伯さんも秘書課の人と…」

「えー!だったらショックだな…」

「ねえ、三浦君。」

急に名前を呼ばれて驚く。

「はい?」

「佐伯さんて、彼女いるのか知ってる?」

見るとさっきまで嬉しそうに佐伯さんの話をしていた二人組が、期待と不安の入り混じった視線を俺に向けてくるので面食らった。

「知らないすよ、そんな話したことないです。」

なんだー、と、がっかりしたのか安心したんだか分からないため息が聞こえてくる。

「でもいる気がしない?めっちゃ凝ったお弁当食べてるもん。あれきっと彼女の…」

「えー、手作り?本当ならやば…」

「ああ…」

ふと思い出して思わず声を漏らすと、なになに?!と女性達が詰め寄ってきたのでぎょっとなった。

「いや、その」

「やっぱり彼女?!」

「違いますって、ただ…」

男にしては少し小さめの弁当箱に、色とりどり綺麗におかずが並んでいたのを思い出しただけだ。

「…今日もめっちゃ、うまそうな弁当食ってたなって。」

俺の回答に女性たちはがっかりした様子で、邪魔してごめんね、とちっとも悪く思っていなさそうな謝罪を口にして自分たちのデスクに帰って行った。

「彼女とか知らんつーの…」

ひとりごちて、仕方なくPC画面に向き直る。視界の端にコーヒー缶が映った。

手に取る。よく見ると、甘さ控えめのカフェオレだった。

「俺、無糖のが好きだなー…」

プルタブを開け、一口飲む。思った通り、コーヒーより砂糖の甘さの方が勝っている。

もしかして、疲れているのを気遣って甘いの買ってくれたのか。いや、それとも単なる甘いもの好きなのか。…知るわけない。

てゆうかモテるんだ、あの人。

天然らしい栗色の、さらっとした髪。はっきりした二重の大きな瞳。俺よりは低いけど、背もそこそこ高い。ルックスは確かに男の自分から見ても整っている、と思う。柔らかい関西弁も、彼の雰囲気に良く似合っている。それに、怒ることがあるのか疑わしいくらい、いつも優しい。

確かに、女性達の噂の的になるのは分かる気がする。

「…つーか帰りてー。」

甘い缶コーヒーを片手に伸びをした。

さっきからちっとも続きが思い浮かばない始末書を前に、ただ時間だけが過ぎて行く。

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