参「ヱリス」
》一九一六年十月三日 十五時三分 大天使内部 ――
「待てッ! 止まれッ!!」
男――
「はぁッ、はぁッ、はぁッ――」
愛娘の
大天使の中は迷路のようになっていて、絃太郎は
あんな得体の知れない薬を娘に打たせるわけにはいかなかった。
「止まれッ! 撃つぞッ!?」
後ろからは、先ほど自分たちを案内した
パラララララッ!!
果たして、猛烈な勢いでばら撒かれた九ミリパラベラム弾の一発が絃太郎の下腹を射抜いた。
あまりの衝撃に呼吸も出来ない絃太郎は、愛娘を取り落としそうになる。
が、伊達に戦を生業にしてきたわけではない。
「ぐっ……うぅ……」
娘を強く抱き締めながら、壁にもたれ掛かる。
「ったく、手間ァ掛けさせやがって――」
もたれ掛かっていた壁が、
壁の向こうは、十畳ばかりの部屋になっており、蒼白い、不思議な光で満たされていた。
部屋に転がり込む形となった絃太郎は、しゃがんだ姿勢で、娘を抱きかかえながら壁に張りつく。
服の下に隠し持っていたM一八七三
「おい、待て――な、何だこの
部屋に入ってきた兵士の後頭部を撃つ。
兵士は倒れ、絃太郎はヘルメットを被っていない兵士の後頭部に、もう一発撃ち込んだ。
震える体を押して立ち上がってみれば、
「……こ、れは……?」
部屋の中央に、三つの大きなガラスの筒があった。
筒のうち二つは空っぽだが、真ん中の一つの中に何か――
まず、
ツナギのような、つるりとした不思議な光沢を持った銀色の服だ。
次に、
蒼い髪は長く、目、鼻、耳と云った
一見すると、人間の女性だ。
が、決定的に異なる部分が一つ、あった。
――
咽が異常なほどに隆起していて、蒼く蒼く輝いている。
筒の蓋が開く。
「……ほぅ」
と
ほんの一言だったが、それは聴く者を魅了させる、極上のソプラノだった。
途端、腹の銃創をなお上回る鋭い頭痛が絃太郎を襲い、声も上げられないでいると、数秒ほどで痛みは治まる。
耳から粒子が這い出してきて、
「ソノ子ヲ……」
日本語だった。
「生キ永ラエサセタイ?」
魅惑的で蠱惑的なその声に魅了されながらも、言葉の意味が分かるや否や、絃太郎は無我夢中で頷いた。
自分はきっともう、長くはない。
今やガラス筒から出てきて、自分たちの前に佇むこの存在が神か悪魔かは分からないが、娘を助けて呉れるのなら何だって構わない!
途端、
「うっ……」
娘が、薄っすらを目を開いた。
「あ、嗚呼……歌子?」
絃太郎は呻くように娘の名を呼ぶ。
……腹の銃創が、もう限界だった。
娘が己の手からするりと抜け出し、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
嗚呼、こんなにも元気な娘の姿を、一度だって見たことがあっただろうか!?
――だが、
「あはっ、善く馴染むわ!」
娘が――
「お陰で助かった」
娘の姿を取った
「あら貴方、怪我してるじゃない。さっさと云いなさいよ」
「ラァーーーー~~ッ!」
高く高く伸びる極上のソプラノ。
途端、絃太郎の、腹の痛みが消え失せる。
「――ヱッ!?」
触れてみると、驚くべきことに、銃弾が貫通してズタズタになっていたはずの腹部は傷一つ無い。
「そ、そんな、一体全体どう云う……」
「
「な、なのましいん? いや、それよりも娘は――」
まさか、この怪物に喰われてしまったのか!?
「あぁ、大丈夫よ。今、呼び出すわね」
「――パパっ!!」
娘だ!
愛しい愛しい娘の歌子が、泣き出しそうな顔をして抱き着いてきた。
「嗚呼、歌子! 大丈夫なのか!?」
「うん! 全然苦しくないの!」
歌子が笑う。
「今、あの子とお話してたの」
娘が中空を見上げ、
「あ、私の名前は歌子だよ! 渡瀬歌子。君の名前は――ヰェェ・リィィ・スゥゥ? ヱリス!
歌子が立ち上がり、クルクルと踊る。
絃太郎は万感の思いを以て、娘の元気な様子を見守る。
「パパ、ヱリスちゃんのナノナントカって云うのが、私のメンエキケイを守って呉れるんだって! 体の中のバイキンを退治して呉れたんだって! お陰で私今、ちっとも苦しくない!」
「嗚呼、善かった! 歌子――」
「その代わり、時々この体を貸して欲しいんだって。いいよね、パパ?」
「歌子が善いなら、俺も善いよ」
歌子と二人、微笑み合う。
「――ヱッ!?」
不意に娘が慌てた様子になり、
「う、うん! 分かった。――パパ、ヱリスちゃんに替わるね」
娘が目を閉じ、次に開いた時には別人になっている。
「誰か来るわよ。
「ちっ……」
敵対は免れない。
果たして二人の
「貴様ら、手を上げろッ!!」
「な、何だこの部屋は――」
二つの銃口がこちらに向けられる。
「なァに、その武器? ……なるほど、この星は数世紀前のパラダヰムを生きているようね」
「おい、手を上げろッ!! 殺されたいのかッ!!」
「
ヱリスと云うらしいその娘が短く歌唱すると、途端、二人の
「さて、行きましょう」
♪ ♪ ♪
道中、こちらに銃を向けてきた連中は全て、歌子に憑りついた謎の生命体ヱリスの能力によって、頭部を破裂させて死亡した。
(いや、謎の、ってわけじゃァないな)
ヱリスの後ろをついて歩きながら、絃太郎は考える。
(
一年と少し前、大英帝國は空から降ってきた隕石によって消滅した、と云われている。
(きっと、降ってきたのはコレなんだ。そしてこの娘――ヱリスこそが、この構造物の主)
現にヱリスは、地球の技術レベルを揶揄するようなことを口にしている。
進んでいくと、先ほど自分が孤児の少年を見捨てた場所に戻ってきた。
「ぎゃぁああああッ!!」
「だ、誰かこいつを殺せェッ!!」
物陰から伺ってみると、果たして例の少年が生きていて、獣のような雄叫びを上げている。
そして――嗚呼、何と云うことだろう――少年が叫ぶ度に火が出て水が出て、風が巻き起こる。
「
その場にいた数名の兵士たちが少年に向けてラヰフル弾を撃ち込むが、撃たれても撃たれても、少年は歌唱で応戦する。
「止めろ、撃つな! 貴重なサンプルなんだぞッ!?」
先ほども見た白衣の男が少年を庇うように割って入り、銃弾の
「――いいわね、あの子」
様子を眺めていたヱリスが、微笑んだ。
少年がついに崩れ落ちる。
ヱリスが高らかに歌い上げると、少年に止めを刺そうとしていた
ヱリスが部屋にすたすたと入っていき、今や仰向けに倒れ、虫の息となっている少年に、口付けをした。
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