陸「略奪と凌辱と殺戮と」

》一月十八日 七時四十二分 大満州國・満州鉄道 武威駅手前 ――渡瀬わたせ歌子うたこ


 気がつけば、歌子は阿鼻叫喚の地獄の底にいた。


「う……ぁ……」


 起き上がる。全身が痛い。川に半身が浸かっている。

 霞む視界で自身を見下ろせば、幸いにして両手両足も胴体も無事だった。

 周囲を見回すと、破壊し尽くされた幾つもの車体と、頭部が陥没した人、片目が飛び出た人、腕が今にも千切れそうになっている人、柱に腹を貫かれながらも、なお生きて苦悶の声を上げる人、物云わぬ人、動かない人、死体、死体、シタイシタイシタイシタイ――






「※※※※※※※※※※ッ!」






 その時、この場に不似合いな、陽気で楽しそうな声が聞こえた。

 見れば、川岸の方から何人もの男たちが歩いてきている。

 男たちは皆一様に薄汚れた格好をしていて、半数以上が小銃を持っている。

 顔つきは東洋人――日本人だろうか?


(助けに来て……呉れた?)


 歌子の甘い考えは、アッと云う間に崩れ去った。






 タァーンッ!






 と、男の一人が、まだ生きている乗客を撃ち殺したからである。


「※※※※※※※※ッ!」


「※※※、※※※※※※※※※※」


 十名ほどの男たちが、楽しそうに笑いながら乗客を殺していく。男性客と、老いた女性客を。


(違う――言葉が違う! 日本人じゃない! 抗日パルチザン!?)


いやッ、厭ァッ!!」


 女性の悲鳴。聞き覚えのある――


「中山さんッ!?」


 道中仲良くなった女性――中山女史が、複数の男に組み伏せられ、服を剥ぎ取られ、犯されようとしている。

 中山女史はその手に拡声器スピヰカーを握っている。

 彼女もまた、歌唱によって生き永らえたらしい。

 中山女史は大きく息を吸い込み、歌唱によって反撃しようと――


「ガッ!?」


 その喉を、パルチザンの一人が銃床で突いた。


「ゲェッ……」


 中山女史が首を締め上げられ、犯される。


(た、戦わなッ! 中山さんを助けなッ!)


 幸いにして、試製捌捌はちはち式はすぐそばに落ちていた。試製捌捌はちはち式を拾い上げ、


「ラァーーーー~~ッ!!」


 ヰメヱジは、火。

 怒りの炎で薄汚い男どもを浄化せしめんとする。

 途端、男たちの周囲に真っ赤な炎が立ち上がった。

 が、肝心の男たちに火が点かない。試製捌捌はちはち式の対人安全装置が働いているのだ。

 戦場慣れしているのか、男たちは歌子が人を攻撃出来ないことに気づいたらしい。

 数名の男たちが、ニヤつきながらこちらにやってくる。


「ラァーーーー~~ッ!!」


 風を発生させて男たちを吹き飛ばそうとするが、そよ風にしかならない。


「※※※※※※※※!」


「※※※、※※※※※※※※」


 男たちが楽しそうに笑っている。

 歌子は銃床で殴られ、髪を引っ張られ、川岸の方へ引きずられる。

 中山女史と二人揃って組み伏せられ、旅装を引き千切られる。


「厭ァッ!!」


 遮二無二手足を動かそうとするが、男たちの力が強く、まるで逃れられそうにない。

 フレデリカの顔が目に浮かんだ。

 その時、






「ラララルラァーーーーーーーー~~~~ッ!!」






 高く伸びるソプラノが聴こえた。


「※※※※※※※※ッ!?」


 異國語による苦悶の叫びが聞こえる。

 歌子を組み伏せていた男たちが驚いて立ち上がる。

 見れば、中山女史が拡声器スピヰカーを片手にゆらりと立ち上がるところだった。

 女史を犯していた男たち数名が火達磨だるまになっている。歌唱による発火であろう。


「※※※※ッ!!」


 歌子を犯そうとしていた男が拳銃を抜き、中山女史に向けて発砲する。

 一発、二発、三発。

 そのうち一発が女史の胸に当たった。

 剥き出しになった女史の肌にぱっと赤い花が咲き、女史が血を吐く。

 女史が歌子に向かって微笑み、拡声器スピヰカーを投げ寄越してきた。

 ――これを使って殺せ、と目が訴えていた。

 そのまま倒れ、動かなくなる。






 何と云うことだろう。

 羅馬ローマ人を殺す為に戦場に来た彼女は、ただの一人の羅馬ローマ人も殺さないまま、抗日パルチザンにこ、ころ、殺されて――






「うわぁぁぁぁあああぁあああッ!!」


 耳元で声がする。自分の声だ。

 声はそのまま歌唱となり、力一杯引き金トリガを引き絞るや否や、男たちが全員発火した。

 女史に燃やされ、川に飛び込んで九死に一生を得た男たちまでもが火達磨になった。

 男たちが川に身を投げ出す。


「アアァアァァアァァァァアアアァアアァアアアアアーーーー~~ッ!!」


 歌子は歌唱し続ける。

 男たちの火は消えない。川に浸かろうとも潜ろうとも火は消えない。

 そのうち、一人の男が川から這い出てきて、許しを請うかのように歌子に縋りつこうとしてきた。

 歌子は火と同時に風を操り、男を近づかせない。

 男がひざまずく。皮膚が炭化し、もはや見えているかも知れないその目が、『助けて呉れ』と歌子に訴え掛けていた。

 歌子は歌い続ける。

 やがて男は動かなくなり、炭になり、灰になって消え去った。


「厭……厭ァ……」


 誰一人として生きている者のいなくなった地獄の底で、歌子はうめく。

 フレデリカに逢いたかった。

 彼女の、自信満々な笑顔が見たかった。

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