第2話

 「ひ、ひみか」ほっとしたような残念なような顔をしながら、あゆみは女の子に向かって声をかけた。


 そこにいたのは雪女と人との間のハーフである安満蕗氷魅華(あまじひみか)だった。


 彼女は雪女特有の能力を使いアンリを凍らせたのだ。


 「間一髪ってとこかな」


 「う、うん。まあ、助かったよ」


 「しかしなすがままとは感心しないね。君も変な事期待していたんじゃないだろうね」


 肩口で切りそろえられたボブヘア。ブルーのタートルニットに黒のパンツ。一見すると美少年とも見紛う中性的で整った顔立ちには少し意地悪めいた表情が浮かんでいる。


 「へ、変な事ってなんだよ」


 そんなひみかに意味ありげな顔をむけられたあゆみは疚しさを押し殺しつつなんとか平静を装って答えようする。


 しかし凍ったアンリの身体がくっついているにも関わらず顔からジットリとした汗がにじむのを感じた。隠し切れないかもしれない。


 「さーてね。ただなんで拒否しなかったのかなと思ってね」


 「いや、拒否はしたよ。でも、無理やり押さえつけられちゃったんだよ。意外に力が強かったし」


 「ふっ、何をいまさら。君が本気出したらそんなのどうとでもできるじゃないか」


 そもそも、金鞠は退魔の家系である。


 あゆみ自身も妖怪に対抗する能力をもってはいた。


 「そりゃやろうと想えばできるよ。でも住人さんに、本気は出せないよ。そもそも風呂掃除の件は事前に聞いていたんだし。約束破ったのは僕のほうってことにもなるんだから」


 「別に決まり事じゃなくて、単なるお願いだろ。それに答えるか拒否するかは君の自由なんだ。既に掃除は終わってたわけだから仕方がないじゃないか」


 「そうだけどさ。ここの住人さんの体質や性質も分かっているわけだし。それは尊重しなきゃって思う部分もあってさ」


 「まったく相変わらずお人よしだね。君だって自分の都合があるだろうに。妖怪はね、それぞれ持ってる本能みたいなものがある。それらは抑えきれない場面も多々あるんだ。人にいい影響のものばかりとは限らない。だから時としては頑としてはねのけないと痛い目見ることもある。一々聞いてたら切りがないよ」


 責めているのではない。自分自身が半分妖怪であることを素に経験則として心配してくれているのだ。


 「うん、気を付けるよ。ありがとう」


 「まあいいさ。君は弟みたいなものだからね。姉として助けるのは当り前だよ」


 彼の身体が小さいのに対してひみかの同年代と比べても身長は高いく二人の身長差は歴然だった。


 そのせいか長い付き合いの中でひみかはいつの頃からかあゆみに対し、何かにつけて姉ぶり、弟としてあゆみを可愛がりたがる。


 「あ、姉って。同い歳の同じ学年。しかも誕生日は数日だけどボクの方が先じゃないか」


 「細かい事はいいの。私は君を可愛がりたいと思ってるんだからいいじゃない。嫌かい?」


 「嫌、じゃないけど」好かれるのは嬉しい。が、彼が彼女に求めている関係とそれはかけ離れているような気もする。そうこうする間に、彼女の方が近づいてきていた。


 「なら、いいじゃないか。弟みたいに思っている君が困っていたら助けるのはあたりま……ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ、へっくしっ」


 言い終わることなく突然彼女から大きくかわいいくしゃみが出た。


 「ぶっ……ははははは」


 その様子に緊張の糸が緩み、あゆみは思わず笑い声を上てしまった。


 「な、なんだよ。笑うことないだろう。せっかく助けてあげたっていうの……は、は、は、くしゅっ。むう……さむっ」


 端正な顔に似合わないむくれた表情をみせながらひみかは洟をすする。普段、クールに見せている表情や口調とはあまりにかけ離れたその様子に可愛いと思ってしまった。


 だが、それを口には出さず「ごめんごめん」とだけいいながら、あゆみは凍ったナメ山アンリから離れた。


 そしてひみかに向けて両手を広げていう。


 「さあ」


 「ん……」


 ひみかも手を広げながら近づくとあゆみを大きく抱きしめながらいった。


 「やっぱり思うよ。雪女が寒いなんて、朝のラッシュ時に女性専用車両に潜り込んだ中年サラリーマン並みに場違いなセリフだなって」


 雪女の能力は最大限使えば広範囲にわたって雪を降らせ、周囲を氷の世界に変えることすらできるものだ。彼女にもその能力は受け継がれていた。のだが……。


 「我ながら因果な身体だ。でも、想うんだ。これは父さんの子供である証でもあるって」


 彼女の父親は普通の人間だった。その為か身体の構造はそちらに寄ってしまったようなのだ。能力は使えるがその後、相当な体温低下に陥る。それはひみかの肉体にとって相当な負担だ。普通の人間より寒さに耐性はあるものの下がりすぎると命の危険もあるらしい。かといって急激に熱すぎる温度もよくない。


 故に微妙な体温調節が欠かせないという難儀な体なのである。解決法は人と抱き合うことにより、身体を温めるというもの。


 「あゆみは冷たくないかい?」背中に回した手に力を込めてひみかは心配そうな声を上げる。


 「大丈夫だよ」


 「すまないね。結局君を助けるためにしたことなのに、負担をかけてしまっている」


 「そんなことないよ。むしろ嬉しいくらいだよ。最近は滅多にないことだったしね」


 彼女が小さい頃はその能力をコントロールすることが難しかったようで、夏場でもあたりかまわず凍らせたり雪を降らせたりしていた。


 「確かに。小学生以来になるのかな。でも、可愛いままで私は嬉しいぞ」言いながら片手であゆみの頭をモシャモシャなでる。まるで犬扱いだ。

 「や、やめてよ。んっ」あゆみは自分の手の頭の上をヒラヒラと動かして弱めの抵抗姿勢見せて続けた「そもそも、可愛いっままって成長してないって意味じゃないの?」


 「そんなことはないよ。こうしていると前の時の感触も思い出す。少し背も伸びてるし、身体も厚くなっている。ちゃんと成長しているよ」

 感慨深さと寂しげな口調で返すひみか。どの位置でのセリフだろう。あゆみも確かに小学生の頃と比べれば大きくはなっているが、ひみかは同年代でも背が高く二人の身長差は一向に縮まらない。


 「ボクもひみかの」成長を感じているよと口に出しそうになって言いよどんだ。


 豊満体型のアンリと比べるとスレンダーだが、出るところは出て引っ込むところはひっこんでいる。自分との接触面が彼女の身体の凹凸を生々しく感触で伝わってきている。


 今、言うべき言葉じゃないような気がしたのだ。


 「能力が上手く使えてるのを見て安心したよ、だからこうしているのも全然平気さ」と無理やりつなげた。


 言って真正面から彼女に向き合う。抱き合っているのだから顔はお互いの間近にあるのを意識せざるをえない。


 ひみかの顔を見ると軽く赤くなり上気しているのが見て取れるが、それが体温の上昇によるものかそれ以外の意味があるのかはうかがい知れなかった。


 「ふふーん、そんな事言って。本当はお姉ちゃんにだっこされて甘えられるのがうれしいんじゃないの?私にとってあゆみは可愛い可愛い弟分だからね」


 これをどこまで本気で言ってるのか。全く男としては見ていないという無心からでたのか、照れ隠しなのか。はたまたは男としては見れないという予防線の可能性も……。


 いや、彼女はそんな風に人を試すことはしない筈だ。じゃあ、本心は?


 彼女が親元を離れ一人この百鬼夜荘にやってきたのは小学校に上がる前の事。


 亡くなったあゆみの祖母が面倒を見る形で百鬼夜荘の一室に住んでいた。


 とはいってもほとんど同じ敷地内だし食事だってほとんど一緒にとる。お互いの住む部屋に交互で行って、一緒の布団で寝たこともしょっちゅうだった。


 家族であり一番近い幼馴染というポジション。


 でも、あゆみが彼女に抱く感情はそれだけじゃない。はっきり恋愛対象として好きだと自覚している。彼女にも同じ気持ちでいて欲しいとも願っているが、


 「ぼ、僕はそんなの認めたくないんだけど」彼女の気持ちを聞いたり、ましては告白などできる勇気ももてずそんな言葉を絞り出す。


 「どうして?私のこと嫌いになったとでもいうのかい?」


 「嫌いなわけないじゃん」


 「じゃあ、なぜ嫌なんだい?私は君にこんなに愛情を注いでいるのに」


 いいながら頭をなでくりまわす。


 「や、やめてってば。いや、嫌いじゃなくてむしろそれと逆というか……」


 もごもごもごとあゆみは言葉を濁した。その先の言葉を口に出す勇気はまだつかめない。


 「ふーん、逆って?」


 ひみかはいたずらっぽい表情でニヤニヤ笑いながら撫でる手を止めた。そして自分の気持ちをしってか知らずか見下ろしながらまっすぐ見つめてきている。しかし更に一押し、こちらから畳みかける勇気は持てず目をそらしながら答えた。


 「ぎゃ、逆は逆だよ。そ、それよりさ、助けてもらったとは言ったけど、ちょっとやりすぎじゃない?いきなり氷漬けっていうのは」


 慌てて話題をそらすように氷漬けのアンリに目を向けた。


「ふん。あの状態じゃ言葉でいったって無駄なんだよ。私も前同じ様な目に……」


「え、じゃあ身体中なめられちゃったりしたわけ?」


 あの長い舌で彼女の身体が嘗め回されている様が頭に浮かんだ。


 アンリからは後から抱きすくめられた形だったが、今は二人正面を向いて抱き合っている。


 (こ、この身体があの長い舌でベロベロと……って、ああ、考えちゃだめかも)


 「あ、何か変な想像してるだろ。さ、されてないよ。さっきと同じように対処したさ」冷えた身体はあゆみの母須磨子に温めてもらったという。


 「べ、別に変な想像なんて……」あゆみが言い終わらない内にひみかは又「くしゅん、、、」と可愛いくしゃみを漏らし、それを合図に一瞬沈黙が訪れた。


 先ほどから平静を装っているものの、彼女もやはり年頃の男女が抱き合っているというこの状況を意識しているのだろうか。心なしか前より顔が赤いままだ。徐々に暖かくなる彼女の感触は余計な想像を更に掻き立てそうになる。まずい、なんとか気を紛らわさなければ。話題話題。

 

 「そういえば、子供の頃は能力をしょっちゅう暴走させてたよね」


 「ああ、まだ、未熟だったからね。コントロールの仕方も分からなかったし」


 「ははっそうだ。初めてここに来た時なんかお風呂場全面に凍らせちゃったっけ」


 そう、それは彼女が初めてこの百鬼夜荘に連れてこられた時の事。


 「あれは、だって、初めての熱いお風呂でさ。びっくりしちゃったんだ」


 冬の寒い日の出来事。雪国生まれの彼女を連れて冷えた身体を温めようと祖母はひみかと一緒に風呂場に入ったのだが、


 「幼心に覚えてるよ。凄かったよね。浴槽一杯のお湯から床、壁、天井水道管ガス管全部凍りついちゃってさ。巨大な冷凍庫みたいになっちゃった」

 「そ、それをいうのは止めてくれよ。あの事は思い出したくない。子供の時とはいっても凄く迷惑かけちゃったのは記憶してるんだ」


 彼女の身体は本来熱さにも耐えられるし、風呂にも普通に入れるはずだった。


 しかし、雪女の母は熱い風呂には当然入れない。父親も温めのお風呂が好きだった。だから彼女の実家では熱いお風呂に浸かるという習慣がなかったのだ。お風呂自体もそれほど広くはなかった。


 そこへきて、普通よりは大きな百鬼夜荘の共同浴場に熱々のお湯がなみなみと張られた浴槽に入った幼い彼女は、パニックを起こし、能力を暴走させてしまったらしい。


 「気にしなくていいんじゃない?あの段階で相当古かったし、気にしないでいいって婆ちゃんも父さんも母さんも言ってたし」


 寧ろ風呂が新しくきれいなものになって住人は喜んだ。ナメ山アンリだけは古いままがよかったと残念がってたようだが。


 「それは結果論だよ。自分のせいであんなにしちゃったって思うとさ、大変な負担かけちゃったなって、今でも夢に見ることがある」


 「でも、婆ちゃんは連れてくるときにああなるって予測してたみたいだよ」


 「多津乃おばあちゃんがそういってたのかい?」


 そもそも彼女をここ、百鬼夜荘に連れてきたのは、あゆみの母方の祖母である、金鞠多津乃(かなまりたつの)だった。

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