2話 ユージンは、魔王と語る

 檻の中に足を踏み入れると、どろりとした瘴気が肌にまとわりついた。


 濃い瘴気は毒であり、まともに人族が浴びれば、一瞬で意識を失う。


 そうならないように俺の身体の周りには、幾重もの『結界』が張ってある。

 防御性の『白魔力マナ』に特化した『結界士』。

 それこそが『魔王の世話係』に俺が選ばれた理由である。



「ユージンくん、誇りたまえ! ここに入れる生徒は実に100年ぶりだ!」



 学園長が、大喜びしていたのをよく覚えている。

 その後、俺は生物部に強制入部させられたわけだが。


 はぁ、と俺はため息をつきつつ、広い檻の中をゆっくり進む。


 檻の中には、まるで貴族の部屋のような豪華な調度品が取り揃えられている。

 俺は、奥にある巨大なベッドの傍までやってきた。


「やっと来たわね。遅いわよ」


 ベッドの上に、太い鎖で繋がれた女が横たわっている。


「いつもの時間だろ?」

 俺は軽口をたたきつつ、声の主に視線を向けた。



(……いつ見ても、とんでもない美人だな) 



 千人が見て千人が口を揃えて言うだろう。


 彼女の洗練された美しさは人間離れしていると。


(ま、人間じゃ無いから当然か……)

 俺はひとりごちた。


 真っ白い肌に、真紅の唇。

 幼さを残しつつ、妖艶な色気を放っている肢体。

 背にはかつて天界で、女神に仕える天使だったという証の大きな一対の翼が生えている。


 ただし翼の色は純白でなく、穢れた漆黒。




 ――――堕天の魔王エリーニュス。




 かつて天界の女神に仕えながら、女神の怒りを買い下界へ堕とされた大天使長。


 地上で堕落し、堕天使となった彼女はやがて『魔王』と呼ばれるようになった。

 

 いにしえの時代に、南の大陸を支配していた魔王の一人である。

 現在は、伝説の勇者に敗れ、ここに封印されている。


「さあ、務めを果たしなさい」

「……はいはい、わかってますよ」

 俺は大きなベッドに近づく。


 ベッドがギシリときしんだ。

 その美しい魔王は俺の服を剥ぎ取り、上に跨ってきた。


「一週間ぶりね」

「食べ物や着替えも持ってきたんだけど」

「そんなのは、あとよ!」

 ギラギラとした目で、美しい魔王の顔が迫ってきた。 

 そのまま




 ――魔王へ精気を捧げる生贄えさ




 それが週に一回課せられている俺の生物部での最も重要ヘビーな仕事である。


 


 ◇




「あー、疲れた……」

 俺は手を伸ばして、伸びをした。


 隣に薄い毛布に包まった魔王様がいる。

 寝たのかな? と思ったが、じいっとこちらを見上げていた。


「ねぇ、ユージン」

「なんでしょう? 魔王様」

「その魔王様っていう呼びかたヤメなさい。二人きりの時は、エリーって呼んでって言ってるでしょ」


「へいへい、承知しました。で、何か食べる? パンとハムとチーズ、あとワインくらいだけど」

「食べるわ。ワインは赤よ」

「了解」

 

 俺は持ってきたバスケットから食べ物を取り出し皿に並べた。

 魔王エリーがそれを、パクパク食べている。

 俺は美しい彼女の横顔をぼんやりと眺めた。


 先程までの妖艶な雰囲気は消え去り、実家で飼っていた猫を思い出した。


「なんか、失礼なことを考えてない?」

「き、気のせいだよ」

 鋭い。

 封印されても魔王か。


「……昔はもっと可愛げがあったのになー」

「昔って一年前?」

 俺が学園に入学してそれほど経っていない頃、数百年間眠り続けていた魔王エリーニュスが、突如目覚めた。

 

 寝起きの魔王様は、機嫌が悪く暴れに暴れた。

 このままでは封印が壊されてしまう! と焦った学園長の命令で、様々な供物が魔王に捧げられた。 

 俺は結界士として、檻に入れたため魔王へ供物を運ぶ係に任命された。


 そこで、供物よりも俺を気に入った魔王によって強引に精気を奪われた。

 失恋のショックで自暴自棄になっていた俺だが、これには流石に焦った。


もっとも「あなたのこと気に入ったわ!」と魔王から直々に指名されては逃れられない。

 

 それ以来、毎週のように俺は、魔王エリーに奉仕している。


 体が重い……。

 エリーに精気を捧げると身体がヘトヘトになるんだよなぁ……。


「そろそろ行くよ。他の檻も一通り見て回らないといけないから」

「ええ~、朝まで居てよ~」

 可愛い声でねだってくる。


「明日も学校だから……」

 毎日が休日である魔王様とは違う。


「ぶぅ~、ユージンが冷たい~」

 エリーが唇を尖らせる。

 そして、さっと俺に抱きつき背中に手を回して、耳元で囁いてきた。


「ねぇねえ、そろそろ私をここから出してみない?」

 魔王エリーが可愛らしく、上目遣いで恐ろしいことを言ってきた。

 すでに何十回もやりとりした会話だ。


「俺じゃ、ここの封印はとけないって。解けるのは学園長だけだよ」

 学園長が直々に、定期的に結界を張り直している特別な封印だ。

 一生徒である俺に破れるはずはない。


「私と『契約』すれば『魔王わたし魔力マナ』が手に入るわよ? そうすれば学園長にだって負けないわ。学園長を殺せば、ユージンがここを支配できるんじゃない?」

「……さらっと恐ろしいことを言うな、この堕天使は」

 学園長には多くの厄介事を押し付けられているが、数々の恩もある。


 そんなこと、できるはずがない。

 そもそも魔王エリーの力を借りてすら、学園長に勝てるとは思えない。


 あの人は本物の怪物だ。


「でも力を得られれば、あなたを捨てた幼馴染みを見返せるわ」

「…………」

 俺は押し黙った。


 昔、俺がぽろっと魔王に愚痴ってしまった過去話だ。


『選別試験』の苦い思い出。


 幼馴染のアイリに捨てられた忌々しい記憶。


「もしかしたらユージンに惚れ直して、戻って来てくれるかも?」

「…………興味ないな」

 嘘だ。


 今でもアイリに捨てられた時の夢を見て、目が覚めるときがある。

 あの時の出来事は、俺の心の傷になっている。

 我ながら情けない。


「ふふふ……迷ってるんでしょ? 魔王わたしと契約しなさい。そうすれば失ったものを取り戻せるわ……」

 エリーニュスが妖艶に微笑む。


 悪魔の甘言……、いや人を堕落させる堕天使の誘惑だ。



(ま、これもいつもの会話だけどな) 



「さて、仕事は終わったから帰るよ」

 俺はベッドから立ち上がった。


「待って待って! 冗談よ、冗談!」

 エリーがしがみついてきた。


「じゃあ、変なこと言うなよ」

「暇~な~の~!!」

 バタバタと足を振る魔王エリー。

 先ほどの魔王の威厳は消え去っている。


「暇なら、そこの中継装置サテライトシステムで迷宮の様子でも見ればいいだろ?」

 俺は檻の中にある、映像を映し出す巨大な画面を指差した。


 今は何も映っていないが、魔力を通せば外の様子を見ることができる魔道具だ。

 ただし、映せる場所は、『天頂の塔』という迷宮ダンジョン内だけ。


「飽きたのよー、どうせ迷宮ダンジョンに来るのは変わり映えしない連中だし。ユージンが出るなら、見るんだけど」

「そういえば、最近は迷宮探索に行ってないな」

 迷宮探索者として一旗揚げるってのも考えたことがあるが。

 結局は、自分の『才』の無さで諦めてしまった。

 攻撃ができないというハンデは大きすぎた。


「やってみなさいよ。私、ユージンの探索を応援するわよ」

 魔王とは思えぬ可愛らしい笑顔を向けるエリーニュス。


「俺は単独ソロだと、9階層までしか上がったことが無いんだよ」

 攻撃のできない剣士に、高難度迷宮の探索は難しい。


「魔法剣を使えば、10階層の階層主ボスに挑めるでしょ? 挑戦すれば?」

「剣術は辞めたんだ。今の俺は『結界士』兼『回復士』だから」

 帝国士官学校では、剣術を専攻していた。


 東の大陸最強と言われる東方の刀術の皆伝免許も持っている。


 いつか幼馴染アイリと帝国のために剣を振るう魔法剣士になるのが俺の夢だった。


 だが『選別試験』の日以来、俺は剣を握っていない。


 未練がましく、木の棒で素振りだけは続けているが……。

 

「私と契約すれば、強力な魔法剣だって使い放題よ?」

 エリーの声が魅惑的な響きで耳に届く。


 契約のための営業トークだ。


 実際、エリーの提案は魅力的だ

『魔王』と契約すれば、様々な悩みは解決するだろう。

 しかし……。


(悪魔との契約したら『絶対遵守』だからなぁ……)


 悪魔との取引で、約束を違えれば『魂を抜かれる』。

 それゆえ、絶対に守らねばならない。



 ――エリーの願いは封印から解放され、外の世界に出る事。



 つまりは千年前、南の大陸を支配した、ということだ。


 うん、ダメだ。 

 絶対無理。


「俺は戻るから、緊急の要件がある時は、そこの『魔法の鈴』を使ってくれ」

「あーあ、つれないなぁ~」

 魔王エリーニュスが可愛らしく唇を尖らせる。


「一週間後に来るよ」

「またねー♡」

 エリーがニコニコして手を振っている。


 こうして見ると、とても魔王と思えない。


 その後、地下牢の魔法生物たちを見て回った。


 もっとも、元気なのは魔王エリーくらいで、殆どの魔法生物は封印のために眠りについている。

 一時間ほどで、見回りの仕事を終えることができた。


 


 ◇




(今日も疲れた……)


 俺は自室へ重い足取りで向かう。


 毎度のことだが魔王エリーのお相手をすると、体力をごっそり奪われる。

 反対に、魔力は満ち溢れてくるのだが……。


(……身体がダルい、ひと眠りしよう)

 

 寮の自分の部屋の前に着いた時。




 ――ジリリリリリリリッ………………!!




 突如、学園内に不穏な警報が鳴り響いた


最終迷宮ラストダンジョン天頂の塔バベル』にて、異常事態発生。Dランク以上の探索者は、至急、迷宮入口に集合してください。繰り返します、……」



 俺はちらりと、胸に付けてある探索者バッジに視線を落とした。


 そこには『Dランク』の文字。


 俺は対象者なので、集合しないといけない。


(行くしかないか……)


 ひと眠りするのは、少しあとになりそうだ。

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