第19話

 英語が苦手で引っ込み思案な性格の高校生、桜井に対しても同様な感想だった。都内の進学校に通う桜井は、国公立大学を志望する、いたって平凡な男子高校生だった。英語の成績が壊滅的なこと以外は、特にこれといった悩みもなく高校生活を過ごしているようだった。趣味も持たず、特技もないのか、AO推薦で自分をアピールしろと言われて一番困るタイプだ。

 彼は苦手な英語の克服のために、俺のクラスにやってきた。桜井のような奴がいるおかげで、俺みたいな不良の外国人が「英語が話せる」というだけで職にありつける。とてもありがたい存在だ。

「先生、どうして人は勉強するの? いま、勉強したことは、将来、役に立つ?」

 桜井はある個人面談の日、俺にこんな質問した。俺は悩んだふりをしてからこう答えた。

「もちろん、役に立つ。現に俺は、俺の国語である英語を学生の時、一生懸命勉強したから、今こうして君に教えられるんだから」

 息を吐くのと同じくらい自然に嘘をつく俺自身に驚く。単純に、俺の母国語が英語なだけだ。小中学校の成績だって、平平凡凡を絵に描いたように月並みだ。試験に向けて勉強を頑張った記憶もない。俺はギターをかき鳴らして支離滅裂な歌詞をがなり立てるガキだった。少しでも人の心に響くような歌詞を書こうとか、ギミックを凝らした作詞をしようとか、なんの苦労も工夫もしていない。ただ、好きなように叫んでいただけだ。歌詞とも文章ともつかない、思いついたままの、心の叫びを。

 とはいえ、ここでは仮にも教師の身なので、耳障りのよい言葉だけを並べておく。変なことを言って、後でヨリコあたりに密告でもされたら、たまったもんじゃない。

「桜井君、英語が苦手なら、苦手という意識を薄めるために、普段から少しだけ英語に触れてみたら? 例えば、最近はやりのハリウッド映画を観るとか、学校で人気の洋楽CDを友達に紹介してもらうとか」

「俺、洋楽のバンドに今すごいはまってるんですよ! クラウドバーストっていうの!」

 俺の言葉をさえぎるかのように桜井が叫んだ。すっかりしょげていたそれまでの桜井とは別人のように瞳を輝かせ、頬を赤くして彼を夢中にさせるバンドの話をまくし立てた。

 イギリスでデビュー直後にミリオンヒットを記録した。ボーカルがジョニー・デップに瓜二つのイケメンである。あまりに似すぎているため、当初はジョニー・デップが副業で始めたバンドではないかとマスコミが本人に確認したほど、という逸話がある。日本で先行発売されたシングル『虹を待つ人』が、オリコンで七週連続第一位をキープしている。これはオアシスがそれまで持っていた記録を打ち破るセールスだという。桜井の通う高校では、クラウドバーストを聴いていない生徒は、話題についていけないどころか、SNS上のグループチャットにも入れてもらえず、スクールカーストの最下位に振り分けられ、のけ者にされるらしい。

 俺は桜井の顔を見ているのに、興奮して話しまくる奴の表情がだんだんとぼけていき、フォーカスが合わなくなったのを感じた。一方で、緩やかな笑みをたたえた俺の口元が、一気にこわばり、奥歯がぎりぎりと音を立ててかみしめられていくのがはっきりと感じ取れた。俺の様子に異変が生じたことなど、お構いなしに桜井はなおもクラウドバーストへの賛辞を続けた。俺は最後のほうはほとんど耳に入らなかった。その一方で、ぼんやりとした視界の中で、桜井ではない、長い金髪にコバルトブルーの瞳を持った若い男がはっきりと現れた。

 そう、あいつだ。かつて俺と同じ、場末のバーで酔っぱらいになじられながら、誰も聴かない歌をがなり立ててはギターをかき鳴らし、どうしようもない日々をともに過ごした男。

 俺は悪魔的な考えがふと脳裏に浮かんだ。そして、一通りまくし立てた桜井に向かって、言った。

「俺、そいつ知ってるよ。友達。今度、桜井君に会わせてあげる」

「まじで! 先生すごいよ! 学校のみんなに自慢できる。やったありがとう」

「ただし」

 俺が発した最後の言葉が聞き取れなかったのか、桜井はぐっとこちらに顔を寄せた。


「僕の言うこときいてくれたらね」

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