第1章 異世界転移
2人の帰る場所①
《ゴンッ! ドカズドドドッ! ガンッゴロゴロガシャン…ぼふっ!》
床をのたうち回る少女がタンスに体当たりした結果、上に置いてあった空箱達が彼女めがけてゆっくりと傾き――垂直に殺到する。
迫りくる落下攻撃を視認した少女は、常人離れした反射神経でとっさに横転。
なんとか危機を回避した。
が、丁度足元にあったデスクチェアを思いっきり蹴りつけてしまう。
刹那、フィギュアスケート選手のごとく高速回転したデスクチェア。
それは勢いに任せ、その上に鎮座していた肉球柄のクッションをブーケトスさながらに天に向かって放り出す。
そして痛みに足を押さえて声も出ない少女は、見事に正面から顔面でブーケトスを受け取ったのだった。
「ぶはっ! ……もうっ! お兄ちゃんのバカぁ!」
顔を覆うもふもふクッションを腕の中に移動させ、中学一年生の少女、神崎奈梛(ナナ)は朝から吠えていた。
涙目になりつつも、自室の天井を睨みつけるナナの横顔は、誰もが見惚れるほどの造形美だ。
同窓の友人の言葉を借りるなら、同性ですら一目惚れするレベル、らしい。
もっとも、今のナナにそんなことは関係ないが。
一連の不運を直接関与していない兄、コウキのせいにしているナナだが、これには正当かどうかは別として事情がある。
決して理不尽を振りまいているわけではない。
ナナは今、コウキと絶賛喧嘩中なのだ。
事の発端は、ナナの後ろめたい隠し事が兄にバレてしまったことだろう。
実はナナ、中学校のスキー合宿を欠席することを、保護者である兄に無断で学校に回答してしまっていたのだ。
ナナはその事実を隠していたのだが、たまたま授業参観で来校した兄に知られてしまい、口論となってしまったのである。
本当のところナナはスキー合宿に行きたかった。
それでも欠席を選んだのにはもちろん理由がある。
ナナなりに家計のことを考えた結果だ。
何日も家計簿とにらめっこして悩み、考えたのだ。
(みんなとスキー合宿行きたい! 一生の思い出になるよきっと!
なのになんでこんなに高いの? こんなの払えるわけないじゃん!
……ううん、ダメだ。これ以上お兄ちゃんに無理も惨めな思いもさせられないもん。
《ドスッ!》ぐえっ……うう痛い……ひどいよ、ひとりだけ行かないだなんて……)
こうしてナナは涙の決断を下した。
ちなみに途中の鈍い効果音と少女らしからぬうめき声は、ベッドで悩むうちに床に落ちた音である。
流した涙の20%ぐらいはそのせいだったりする。
一方コウキも、兄だけあって妹の本心を見抜ける程度にはナナを知っていた。
むしろ痛いほどに理解できていた。
もちろんここ数日、妹が目を赤く腫らしていたことにも気づいており、学校で何かあったのかと心配していた。
だがスキー合宿の出欠を問われていたことを偶然知った瞬間にすべてが腑に落ちたのだ。
そしてナナが我慢せざるを得ない状況を作り出していた自身の不甲斐なさを許せず、腕が震えるほど強く拳を握りしめた。
2人は両親を亡くしている。
ナナは3歳と幼かったのであまり覚えていないが、14歳だったコウキは今でも鮮明に思い出せた。
この時は唯一の肉親である祖父が2人を引き取った。
祖父の愉快な性格のおかげか、3人は楽しく笑いながら暮らし、かつての笑顔を取り戻していた。
だが3年前、急な病で祖父もこの世から去ってしまう。
当時20歳になったばかりだったコウキと、9歳のナナを残して。
それ以降、コウキが奮闘して神崎家の家計を支えて来た。
祖父から受け継いだ技術を駆使し、ガラス細工職人として必死に社会に立ち向かったのだ。
その懸命な支えの中でナナは立ち直り、中学生には見合わないほどの強靭な精神性を獲得していた。
もちろん祖父が亡くなった直後は打ちひしがれていたが、さほど時間をかけずに暗闇から抜け出していたのだ。
そして唯一の肉親となった兄と、もちろん自分自身も必ず幸せにするという目標を独力で見出し、その未来に向かって進み続ける、ブレない心の柱をぶち建てていた。
これは兄の影響が大きかった。
ナナはその多感な思春期を、自身を守るために必死に稼ぐ、優しく強い兄の背中を追いかけて過ごしてきたのだ。
日々、兄の頑張りに心からの感謝を示す。
家事のほとんどを担当し、勉強も頑張り、自分の夢も探している。
少しでも自分の未来を拓けるように。
少しでも兄の幸せに繋がるように。
しかし、ナナらにとって想定外の問題が発生した。
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