2022.4.17九州大学文藝部・三題噺執筆会
九大文芸部
「エレベーター」「楽園」「間違い探し」 作:平田貞彦
間違えた!
何を?
おおよそすべて。
エレベーターが降ってきた。死ぬ。これは死ぬ。
儚いなぁ。私は儚い。エレベーターに潰されて死ぬなんて。儚い以外に例えようがない。
おっと。頭が潰れた。このまま首、胸、腰、脚までバキバキと押しつぶしエレベーターは着地するのだろう。なんて残酷なんだ。
かなり痛いはずだ。身体を潰されるんだから。そのはずなのに、あまりにも一瞬の出来事で、感じるはずの痛みは置き去りになってしまった。申し訳ないことをした。
なかなかエレベーターと触れ合う機会はないので、この際じっくり堪能してみようとしたが、触れた先から潰されてしまうので上手く感じることができない。死の寸前、極限まで引き延ばされた感覚を以てしても不可能なら、私はエレベーターに拒絶されたに等しい。恋人ができなかった私が死ぬ寸前エレベーターにまでフラれてしまうとは、ひどいオチだ。
胴が潰れる。ここには消化途中の朝食が入っているはずだ。おいしいバターロールにウィンナーと目玉焼き。そこにブラックコーヒーを添えた、愛すべきモーニングセット。私と心中してくれる唯一のものたち。
エレベーターはすでに腰まで潰してしまった。あまり整った容姿でないことは自覚していたが、まさか死の間際これほど滑稽なスタイルを手にするとは思わなかった。首無胴極短脚短(くびなしどうごくみじかあしみじか)マンに比べれば、生前の首有胴長脚短(くびありどうながあしみじか)マンはイケてる容姿に違いない。
脚が潰されていく。いよいよ濃厚になる己の死の香りは逆に、逆に私の思考を活性化させる。そんなことがありえるか? ありえたのだから仕方がない。
Q.これからどうなる? A.私は死ぬ。なんと簡潔で的確な結論なんだ。未来を見通すほどの完璧な思考力。今の私はリーマン予想だって証明できるに違いない。このきわめて聡明な思考でもう一度思い出してみた、私がエレベーターの真下にいた理由。それは私がエレベーターの真下に行こうとしたからだ。きっとそうだろうと思っていた。私はそういうことをしたくて生きていたからだ。
雨の日に傘を差さずに外に出て、濡れる草木を見つめながら踊るのが自由なら、エレベーターの真下でエレベーターに押しつぶされるのを待つのも自由だ。だから私は自由を求めてエレベーターの真下へ行き、こうして押しつぶされている。もはや足首しか残っていない。ありがたいことだ。ここまで完璧に私がいなくなるなんて思わなかった。エレベーターの真下を選んで良かった。エレベーターに感謝を伝えたいが、あいにく伝える口が残っていない。
私は自由を選んだ。選び続け、すべてを間違えた。はじめはどこでまちがえたんだろか。自由が大切だとおもったところかね。自由ってのはたぶんひととわかちあってはじめて価値をもつね。だからじゆうの前によく生きることがたいせつなんだと私はおもて、そのけつろんのそうめいさに、いたくかんどうしたね。うつくしい愛のうえにたつじゆうがいちば
「ドアが開きます。1階です。」
ようやく楽園に到達した。私は自由だ。
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