死神
裃 白沙
沼の見える葬儀場
もう五年ほど昔になるだろうか、問題の葬儀場ができたのは。
その年は空梅雨の色が濃かった。気象庁が梅雨入りを発表してから二週間ほど、全く雨のない日が続いた。さりとてその空梅雨というのが快晴続きではなかったのだから、またうらめしい。どことなく水分をはらんで、ねっとりとした空気が関東平野一帯を包み込んでいた。
この沈鬱な数週間の裏側で、あの陰惨な犯罪が遂行されたのだと思うと、なるほど、これほどふさわしい時期はなかったと思える。
いや、少し話が先走り過ぎている。事の発端は、梅雨入りよりも前、まだ桜残る春の陽気に、ぽっかりと空いたある週末にあったのだ。だから、私はさらにもう少し時間を巻き戻さねばならない。
さて、その頃の私はと言うと、近所の公園で小説の構想を練るのが日課であった。だから私はその日ものんきに、紺のコートを羽織り、ノート片手に缶コーヒーをすすりに行った。風は北から吹いていた。普段ならジョギングに訪れる近隣の住民も、心なしかこの日は少なく思えた。その時の思索はすぐに没してしまったと記憶しているのだが、その帰り道のことである。私は世にも珍しい光景を目の当たりにした。
それはつい最近完成した葬祭ホールであった。
葬祭ホールなんていうのは、たいして珍しいものではない。だいたいどこの街であっても一つや二つあるものだが、それが常ならず、私の目に留まったのは、惹きつけられるように鮮やかな赤と白。紅白幕が張られていたからであった。
いや、本当にそれだけのことだったのだろうか?
そもそもこの葬祭ホールの建設には一悶着あった。孟母三遷というが、やはり多くの住民は近所に葬祭場ができるのを好まなかった。もちろん、この葬祭ホールは火葬場を併設しているわけではない。火葬場は少し離れた河川敷の方にあるのだ。それだから、心配することはない。経営者側はそう説得を試みたのだが、こういったことは論理よりも感情の方が優先されてしまう。最後まで近隣の住民達はいい顔をしなかった。建設予定地を中心として、家々には建設に反対する横断幕が掲げられた。建設中止を求める行進が毎週末行われ、熱心な彼らは建設予定地と少し離れた私の家まで反対署名のお願いに来た。
しかし、そんな熱心な運動も虚しく、葬祭ホールはついに完成したようだ。今日はそのオープンイベントなのだろう。そういえば、そんなチラシが家のポストに挟まっていたかもしれない。しかし私は葬儀などまことに縁がないもので、今の今まで忘れていたのだ。
反対のもとでできたホールである。さて、オープンイベントとはいえ人は集まるのだろうかと、中を覗いて驚いた。あにはからんや、白を基調としたホールの中に髪を白く染め上げた老翁老嫗が虫のように群がっているではないか。その集団は徐々に動き、時折カラリカラリと鐘がなる。二等ですと声がすれば、ドッと驚きと笑いがここまで伝播してきた。
そればかりではない。なんとその中に私の祖母がいるではないか。祖母は私を見つけると、波を縫い縫いやってきた。手にはキャラクターの描かれた駄菓子袋が握られている。
「クジ引きで外れたの、これ、好きでしょう」
祖母はいつまでも幼い私をそこ見ているのか、駄菓子袋を手渡すと、坂下の何某さんが二等を当てたと三べんばかり繰り返し、再び人の波へと消えていった。
あくる日も私は公園の沼端に出かけた。
オープンイベントが終わると葬祭ホールは静かになる。閑古鳥が鳴いていた。それもそうだろう。人間いつ死ぬかなんてわからないのだ。そんな都合よくイベント翌日から葬儀が行われるわけなどない。医者と葬儀屋は毎日繁盛している方がかえって恐ろしいというではないか。
それでも一週間も経たぬうちに初めての客があった。あの日めでたい紅白幕を掲げていた駐車場には春雨そぼ降るこの空を思わせるように、ぬっと鯨幕が張り巡らされていた。その白と黒の強烈なコントラストを背景に、白木の柩が現れる。うすく外の明かりを反射する黒い車の中にその木の箱が吸い込まれていった。一列に並んだ遺族一同は時折ハンカチを目に当て、柩から背くようにうつむく。ただ幼子だけがこの儀式の意味を知らぬようで、母親の手を引き、頬を膨らませていた。
あとで聞いた話だが、この葬儀はここから数キロ北の住宅街に住む大学生のものだったらしい。彼は家から少し離れたところにある大学に通う道中、運転していたバイクが転倒し、後続のトラックの露と消えたそうだ。その朝まで死相もなく、今日は北、明日は南、世を狭しと生きていた若者が、その日の暮れには花が萎んで落ちるように去ってしまった。なるほど遺族の深い悲しみもわかる気がする。それはあまりにも突然のことだったのだ。
さて、その二日後になると今度はとてもあかるい葬列を私はそこに見出した。さすがに張られているのは鯨幕であるものの、参列者は和やかに談笑していた。ただ一人その中でも年長の男だけがしきりに目頭をおさえている。しかし、この彼を表現するのに、悲しみにくれるという言葉は似合わなそうだ。一人かえらぬ思い出に浸っているようで、火葬場に向かうマイクロバスをいくら待たせようとも、誰よりも長く手を合わせ、霊柩車の後ろ姿を見送っていた。これは近くに住む齢百七の老嫗が身罷ったものらしい。それはそれは大往生である。
その三日後の葬列はうって変わってとても寂しいものであった。参列者も三、四人。ただ作業のように柩を運びこむ、けがれたものを触ったかのように手を払い、霊柩車を見送ることもなくタクシーに乗り込んだ。聞くところによると、この葬儀は坂下に住む老婆のもので、見送る者も遠い親戚しか居なかったらしい。
人間は、その一生の終わりを切り取っただけでも、こうも違いが現れるのだ。
それからいくつか葬式が続いた。しかし、私は次第にこの葬祭ホールに興味を失っていった。もっと葬列に近づいてみれば、その家庭の事情なり、死者の生前の様子、印象などもわかろうが、そうするわけにもいかない。そしてなにより、このような葬列観察があさましく思えて来たのだ。
結局、いつしか葬列はこの町の日常的な風景になっていた。
さて、ここまで長らく私の思い出話を語ってしまったのだが、これは決して無為なものではない。実は、これからお話しする
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