将棋倫理学概論
清水らくは
序
序
「生命倫理学」「環境倫理学」などから始まった応用倫理学は、現在に対応した倫理を考えるものである。「スポーツ倫理学」や「宇宙倫理学」というものまで誕生した。私たちが問題を感じるところには、新しい応用倫理学が生まれる可能性があると言える。
私たちの生活に密接にかかわり、倫理的問題が生じるもの。その中の一つに「ゲーム」があるのではないか。私たちの身の回りにはもともと昔からスゴロクやチェスなどのボードゲームなどがあったが、スマホの普及により誰もが少しぐらいはゲームをするという世界になった。また、他者の行うゲームを観て楽しむという文化も定着している。ゲームをプレイした動画や、そこにキャラクターの会話を付けたもの、クリアする速さを競ったり、「縛り」と呼ばれる制限を設けてプレイしたりするものなど、ゲームを楽しむ「コンテンツ」がたくさん生み出されている。
人が集まって楽しむところには、問題も生じる。プレイヤー同士の問題もあれば、プレイヤーと観客の問題もある。そこに商売が絡むと、新しい問題も生じる。
すでにeスポーツと倫理に関する研究は始められており(注1)、そのうちに「ゲーム倫理学」というジャンルは構築されていくだろう。そこでは、私の出番はそれほどないと考える。というのも、ゲーム全般に関しては詳しいわけではなく、ゲーム全般を横断して倫理的問題を考察することはできないからである。
しかし「将棋」という競技に特化すれば、おそらく倫理学者の中でもかなり詳しい方であろうと思われる。そこで私は、将棋に特化とした「将棋倫理学」を考え、それがゲーム倫理学の構築に何らかの影響を与えることができれば、と考えるに至った。
将棋をプレイしたり観戦したりするうえで、倫理的問題を感じることはしばしばある。そして将棋は、頻繁にニュースでも取り上げられ、日本人にとって触れる機会の多いゲームとなってきたと言える。将棋に興味を持ったものの、倫理的問題から離れてしまう人がいるのは、できれば避けたい事態である。だが、これまで「ルール」や「マナー」と言ったものは語られてきたが、将棋に関する倫理というものはほとんど語られてこなかった。誰かがそれをやらねばならないとすれば、たぶん私がそこそこ適任である。
もちろん、将棋倫理学を考えるにあたっては「将棋とは何か」についても避けられないテーマとなる。幸いにもその点に関してはこれまでいくつか考察してきたため、それらを参照することができる。単に将棋における悪い点を洗い出すだけでなく、「より良く」将棋を楽しめるようになるためにも、将棋倫理学の可能性を探ることは意味があると考える。
注1 「eスポーツ倫理学研究会」https://sites.google.com/view/e-sportsethics/home?authuser=0は、すでに三回のワークショップを開催している。研究趣旨には「本研究は、競技化された対戦型ビデオゲームを「eスポーツ」として捉えたうえで、この領域を倫理学の新たな主題として考察する際の可能性とその限界を明らかにするための基盤を構築するため、研究者間のネットワークを構築することを目指す」とある。このページでも触れられているが、eスポーツ倫理学研究同様、本稿においても「スポーツ倫理学」の研究成果は参照していく予定である。
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