第二十六話:急転


 電気が止まっているので真っ暗なショッピングセンター。ススムは小型のフラッシュライトを明かりに店内を物色する。

 非常ベルも止まっているので、一ヵ所に集まっていた発症者はフロア中に拡散している。数が多い上に死角だらけなので、前より一層危険度が上がっていた。


「うわ……こりゃ酷い」


 店内は、食品売り場を中心に悪臭が立ち込めていた。ほぼ腐りかけだった生鮮食品が、冷蔵棚の停止で完全に腐ったからだ。

 当然ながら空調も止まっているので、淀んだ空気が泥のように漂っている。


(実に健康に悪そうだな)


 清掃用具の売り場に行くと、武器にも使えそうな金属製の物干し竿などは残っていなかったが、プラスチック製のブラシやモップヘッドはそこそこ残っていた。

 洗剤も誤飲したらヤバそうな、トイレ用などの強力なタイプは手付かずの箱があった。


(ここはこんなもんか。次は倉庫と事務所を探索しよう)



 倉庫に入る扉は、内側から塞がれていた。二階の事務所には倉庫から上がれる。

 店外にも出入り口はあると思われるが、恐らくそちらの方が鍵も掛かっていて厳重だろう。イザとなれば蹴破る事も出来る。が、それは最後の手段として取っておく。


(無暗に壊す事は無いよな)


 扉は倉庫側に押して開くようになっている。押してみた感触から、扉の前に物を積み上げて封鎖しているようだ。人の気配は感じられない。

 さらに押し込んで扉を封鎖している物体を動かし、少し強引に押し開く。扉を抑えていたのは、予備の平型冷蔵棚にスチール製の棚や事務机などだった。


「よし、このくらいで……入れるかな?」


 身体を通せる程度の隙間を開けて中に入り、扉前のバリケードを取り払う。これで倉庫の出入りが自由になった。倉庫の中も、店内と同じく真っ暗だ。

 ライトでざっと周囲を照らすと、壁際に段ボール箱が山積みになっているのを見つけた。


「おお、結構色々揃ってる」


 段ボール箱の中には、水の入ったペットボトルに各種缶詰や、レトルト食品が大量に備蓄されていた。酒や煙草などの嗜好品もある。少人数なら半年は持ちそうな量の物資だった。


(って……これ、事務所で誰か寝てたりしないだろうな)


 人の気配は無かったと思うが、もし籠城している人達が居たなら、黙って侵入している身だけに顔を合わせるのは流石に気まずい。


 フラッシュライトの光度を補助灯並みに下げると、足音を立てないようにそーっと二階への階段を上る。そうして階段の途中からこっそり事務所の様子を覗き込んだ。


 明かりは無く、やはり人の気配は無かったが、人の姿、、、は見つけた。


「……何があったんだ、これ」


 ライトの光度を上げてソレ、、らを照らし出す。


 天井から吊るされた男女。店員の制服を着ていたり、警備員の服装だったりと、四人ほどが首を吊っているのだが、異常なのはその全員が後ろ手に縛られている事だ。

 見た限り、発症者になっている者は居ない。


 事務所には布団や毛布が重ねられ、簡単なベッドも並んでいる。ここでの生活の跡が見られた。事務所の奥にも部屋があるので調べてみる。


 社長室っぽい作りの個室。真ん中辺りで衝立に仕切られていて、手前にソファーと低いテーブル、テレビなども置いてある。

 奥には立派な大きいベッド。その上には、半裸の中年のおじさんの死体が鎮座していた。

 ベッドの上には錠剤の入った薬瓶が転がっており、ポカンとした表情のおじさんの口には、半分溶けた大量の錠剤が詰まっているのが見えた。


「……こっちは、自殺か」


 本当に何があったのか分からないが、ロクでも無い事があったのは確かだろう。

 とりあえず、ここの物資は後で取りに来るとして、吊るされた死体は下ろしておいてあげようと思うススムであった。



 首吊り死体を降ろして事務所を封鎖し、倉庫の出入り口前まで戻って来たススムは、扉の外側に冷蔵棚を置いてここも軽く封鎖する。徘徊する発症者が偶然入り込まないとも限らない。


 時刻は午前六時過ぎ。


「良い時間だな。そろそろ行くか」


 手に入れた清掃用具を持って病院に向かう。掃除とその他の作業が終わってから、ここの物資を回収に来る予定を立てた。


 そうして病院にやって来たススムは、バリケードをひょいと飛び越えて敷地内に入る。今日は徒歩なので、バリケードを動かす必要は無い。


 飲料水を掃除に使うのは勿体ないので洗剤しか持って来なかったが、廊下を洗い流すのに使える水が無いか、病院側に訊いてみる事にした。


「おはよーございます」

「やあ、朝早くからお疲れ様」


 少しお疲れ気味な様子の若い医師と挨拶を交わしたススムは、自分の清掃計画を話しがてら、ショッピングセンターの倉庫に大量の物資があった事と、何か凄惨な事件もあったらしい事を伝える。


「ふーむ、内輪揉めの果てに自滅したのか、絶望的な状況で狂気に駆られたか……今の世の中ではどこででも、誰にでも起こり得る事だから、気を付けないといけないね」

「怖いですよねー……」


 やはり一番恐ろしいのは、生きた人間の悪意だろうと、人の集まる場所に潜む脅威について話したりしつつ頷き合う。

 しばしの雑談に興じたススムは、ショッピングセンターにはまだ多くの発症者が徘徊しているので、物資は後で自分が回収に行く事を告げて話題を清掃計画に戻した。


「掃除に使える水はないですかね」

「ああ、それなら使えそうな分があるよ」


 病院の浴槽に残っていた水とか、機械の冷却に使った水など、飲料に適さない廃水を貯めてあるという。


「それを使おう」

「なるほど、微妙な廃水ですか」


 綺麗な水ではないが、汚れ過ぎている訳でもないので、床の洗い流しには丁度よさそうだ。なるべく節約する為に、洗い流しの時は自動床洗浄機を使う事になった。



 時刻は午前六時半を回る頃。ススムは病院内の大掃除を始めた。まず大雑把に箒で掃き掃除。次に洗剤を撒きながらモップ掛け。

 何度かモップヘッドを交換しながら、へばり付いた血糊や体液溜まりを剥がしていく。二時間ほどで主な場所は掃除出来た。


 自動床洗浄機による洗い流しは、病院の職員が行っている。しっかり防護服も着込んでいるので、あれなら感染の心配も無い。



 午前九時、他の職員達も起き出して来た。病院に身を寄せている患者や、避難民も活動を始める頃には、廊下の血痕など大きな汚れはほとんど洗い流す事が出来た。

 現在は窓を開けて空気の入れ替えをしつつ、階段途中に築いていたバリケードを撤去し、各階の部屋を掃除しながら荷物の移動が行われている。


 以前ロビーで発生した、攻撃性発症者による被害で特別病棟に押し込められてから、およそ一ヵ月ぶりに全ての階層が使えるようになった。

 限られた施設内に押し込められている現状は相変わらずだが、患者や避難民を始め、職員達も皆解放感に包まれていた。


「皆に活力が戻っている」

「気の持ち方って大事ですよね」


「君のお陰だよ」


 すっかりススムと病院側の交渉窓口になっている若い医師は、昨日まで欝々とした空気に包まれていたのが嘘のようだと、ススムの功績を称えた。

 何だか地元に帰って来てから持ち上げられてばかりだなぁと、自分のもたらせた希望に自覚の無いススムは、むず痒い気持ちになりながら、照れ隠しに帽子を被り直したりするのだった。



 清掃が一段落したところで、昨晩搬入しておいた無線機の取り付け作業に入る。無線室に設定した特別病棟の一室にて、アンテナの設置と電源も確保し、いざスイッチオン。

 貼り付けてあるメモに書かれた周波数に合わせる。

 ショッピングモールの避難所では各部署やチーム全体と連絡を取り合う時に使われる周波数で、里羽田病院ともこの周波数を中心に通信する事になっている。


『――ザッ――は、引き続き情報――てくれ』


「おお、繋がったみたいだね」

「ん? 何か話してますね」


 声の雰囲気から、緊張している様子が感じ取れた。何か大事な情報のやり取りでもしているのだろうかと思ったススムは、ちょっと話し掛けてみる事にした。


「こちら埠頭の総合病院です。聞こえますか」

『こちらは中洲地区、里羽田病院です。その声は、大木君か?』


「あ、はい、俺です」

『おお! 丁度よかった、そのままちょっと待ってくれ。院長、彼からの通信です! 地元の病院からだそうです』


 ススムは同じ部屋で無線機に向き合っている若い医師や、様子を見に来ていた他の職員達とも思わず「何事だろう?」と顔を見合わせる。

 少し間をおいてごそごそする音がした後、良く知る声が聞こえて来た。


『大木君か』

「里羽田院長、何かあったんですか?」


『うむ、都心の避難所から凄い情報が入ったぞ』


 その情報を報せてくれたショッピングモールの避難所側も、以前A.N.Tの襲撃を報せてくれた山頂の人達から得た情報らしいのだが、と前置きした里羽田院長の話は、なかなか衝撃的な内容だった。


 東北地方に住むアマチュア無線家からの情報で、自衛隊機が飛来して発症者を処理する消毒剤のようなものを散布しているらしい。

 その活動は北海道地方から始まったらしく、ペースを逆算すると、12月初旬には都心部と周辺の町にも来るのではないかと言われているのだとか。


「っ! 遂に政府が動いたか」


 無線機越しに語られる里羽田院長の説明を聞いた職員達の間に、興奮気味なざわめきが上がる。

 まだ公式な発表は無く、詳しい情報も入って来ていないが、散布が行われた町では外を徘徊している発症者は全て処理されたとの事だった。


 ――復興が近付いている。この報せは、希望を取り戻して活動の再開を始めた病院の士気を、大いに盛り上げた。


 本格的に復興して行政が機能し始めれば、武装自警団がやっているような避難所の統治管理は違法行為とみなされるだろう。

 現状は非常事態なので、直ちに処断されるような事は無くとも、指導は入るはずだ。


「やっぱり我々の方針は正しかったのだ!」

「ああっ、復興すれば向こうの連中は訴えられるだろうな」


 職員達の間では、そんな会話も囁かれている。

 若い医師が『向こうとは犬猿の仲』と言っていただけに、今後大きく立場が逆転するかもしれない状況の中、今までの鬱憤の矛先が向けられているようだ。


「良い報せなんだけど、これがまた諍いの種にならないか心配ですよ」

「確かにね……変に強気になって、トラブルを起こさなければいいが」


 ひとまず通信テストを終えたススムが、盛り上がっている病院の職員達を見ながらこっそり呟くと、若い医師も同意見らしく小声でその可能性を危惧した。


「後、君の事も心配だよ」

「俺っすか?」


 この壊れた世界にあって、異常な存在であるススムは、ある意味環境に適応した存在とも言える。世界が正常な姿を取り戻した時、ススムのような異常存在に、政府や社会はどう向き合うのか。


「まあ、その時はまたその時考えると言う事で」

「……君は前向きなのか、楽観的なのか」


 開き直りのようなポジティブスタンスなススムに、若い医師は肩を竦めて見せる。


 しかし、ススムの中では、既に一つの結論が出ていた。それを表に出す事は無いが、『自決用』の注射器を所持していた事が答えである。

 生きているのか、死んでいるのかも分からないこの身体で、自分の意思があるうちにやれるだけの事はやる。


(――その時が来るまでは、前向きに前向きに)


 そんな内心を微塵も感じさせず、帽子を被り直したススムは、ショッピングセンターの物資を回収に行って来ると言って無線室を後にするのだった。

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