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 怖い物を見ないようにするには、どうすればいいのか? 目を閉じるというのも一つの方法だろう。しかし、その方法で、恐怖が解決することは少ない。怖い物──幽霊や猛獣、蜘蛛くも──がそこに居ると感じるから怖いのだ。

 蜘蛛恐怖症アラクノフォビアである僕は、他にどんな恐怖症があるのか、調べたことがある。僕と同じように、蜘蛛が怖い人間がいると安心し、僕にとっては取るに足らない物を、酷く怖がる人間がいること知った。

「なぜ、本の背表紙を塗り潰したのか。シンプルな答えだけれど、犯人はそれが怖かったんじゃないかな。その本が持つ何かしらの要素が、犯人の恐怖に触れてしまったんだよ」

 なみが興味深そうに聞いている。僕は言葉を続けた。

書物恐怖症ビブリオフォビアというものがある。でも、書物恐怖症の人は、わざわざ書店に入らないよね。きっと、犯人は僕と同じように蜘蛛が苦手で、蜘蛛という文字すら見たくない人だった。僕は文字は平気だけど、そういう人がいてもおかしくないと思う。怖い対象は、蜘蛛じゃなくて、蜥蜴とかげかもしれないけど」

「蜘蛛恐怖症なら、芥川龍之介『蜘蛛の糸』、蜥蜴恐怖症リザードフォビアなら江戸川乱歩『黒蜥蜴』があるね。ところで、犯人は、蜘蛛や蜥蜴の文字が怖いから塗り潰したんだよね。それってかなり、衝動的な行動じゃないかな? 鞄に偶然マジックペンが入っていたとして、ペンを取り出して背表紙を塗るより、書店から逃げ出す行動の方が普通なんじゃないの──怖い物を前に動けなくなった晶君に言うのも何だけど。まさか、犯人はマジックペンを手に持ちながら書店内を彷徨うろいていた訳じゃないでしょう?」

「そのまさかだよ。犯人はマジックペンを手に持っていたんだ。今日は、波が好きな作家の新刊発売日なんだよね? その本を薦めるポップを書くために、犯人はマジックペンを持っていた。犯人は書店の店員だ。

 本が棚にそのままだったのは、いくら塗り潰したとはいえ、元々恐怖の対象だった文字に触れたくなかったからだよ。今朝、新刊のポップの準備をして、レジカウンターに戻るために文庫本コーナーを通った。その時に本の背表紙は黒く塗られたんだ。そろそろ、他の店員がそれに気付いて、怒られてるんじゃないかな?」

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