第2話 明石の家についた

明石の家には20分ほどでついた。

 家の方を見るとシャッターを下ろしている甚平姿の影が見えた。

そうだ、明石の家は『浮舟堂(うきふねどう)』という名前の古本屋だったっけ。


 「よっす! 明石っち」


 瑞穂が車の窓を開けて明石に声を掛ける。

 シャッターを下ろした影はこちらに向って歩いてきた。ざっざと草履で地面をする音が聞こえた。


 「瑞穂ちゃん。何度言えば良いんだい? 僕は先輩なんだから明石先輩と呼びなさい」


 柔和で温厚そうな顔に黒ぶちの眼鏡が光る。明石は俺を見るなり、


 「久しぶりだね須磨。少し痩せたかな」


 と声を掛けてきた。俺はすっと手を挙げて合図を送る。明石もそれに倣う。

 

 「明石っちは明石っち呼ばわりで良いんすよ。それに自分とも久しぶりなのに」


 俺と明石とのやりとりに瑞穂が口をぷうと膨らませながら加わってくる。

 ごめんごめんと謝りながら、明石は後部座席に乗り、ゆるゆると車は発進しだした。


 「こっちにはいつ戻ったんだい? 休暇かな」


 明石は飄々と俺に訪ねてきた。こういう事を聴く時の彼の感は鋭い、恐らく答えを知っていて敢えて俺の口から言わせようとしているのだ。


 「2か月前、仕事をやめて戻ってきた」


 俺は淡々と言葉を返す。


「そうなんすよ。先輩は仕事辞めちゃったらしいんす。反抗期って奴ですかね」

コロコロと笑いながら瑞穂が横やりを入れてきた。全く先輩を敬うってことを知らないのだろうかこいつは。


「案外そんなところかも知れないよ瑞穂ちゃん。遅れてきた反抗期って奴は如何にも須磨らしいじゃないか」


明石も瑞穂の冗談に乗っかてきた、俺は少し不機嫌な気持ちになった。これでも複雑な思いで仕事をやめたのだ。それをちゃかされると少し、イラつく。


仕事を辞めよう──。そう思ったのは、反抗期でもなんでもない、病気に掛ったから辞めたとか何か家庭の事情があって辞めたとかそういうのでもない。 単純に仕事に嫌気がさしたのだ。毎日仕事をしていく中で自分というものが擦り減っていく感覚──。退職願を提出したあと、自分が限界だった事に気付いた。

周りの人間は鬱だという者も居たが、鬱というのとは少し違うような気がした。説明はつかないが、病的な物ではないという確信はあったのだ。やり場所のない苛立ち。支配していたのはどちらかというと怒りに近い感情だった。


「須磨? どうした機嫌を悪くしたかい?」


明石は俺に後ろから問いかけてくる。こいつには昔から何もかもお見通しなのだ。


「いや、別になんでもねーよ。考え事をしていた」


俺は本心から何でもないと答えた。実際苛立ってはいたが、ちゃかされたのが気に食わなかっただけで、仕事を辞めたのは事実だからだ。それに折角の再会にいつまでも自分がいらついていては大人げないというものだ。


「まあまあ、先輩、明石っちも謝ってる事だしここはなにとぞ鯛飯に免じて許して下さいっす」


水軍料理には鯛飯がつく。この土地の名産だ。俺の腹は鯛飯という言葉に見事に反応し、くぅと情けない音をたてた。せめてもの抵抗として、ごほんと咳払いをした。

 夕日は海の稜線に消えかけている。遠くに来島海峡大橋が見え、絶景と言っても過言ではない光景である。

 海岸沿いを進み数分後、目的地の2階建ての建物に到着した。横の駐車場に車を止めると、三人はそれぞれ下りる。

「さあ! 食べるっすよ! 今日は自分のおごりっすからじゃんじゃん食べて下さい!」

瑞穂は、ぽんと片手で胸を打ちながらそう言うと店に向ってのしのしと歩いて行く、足取りが勇ましかった。

「瑞穂ちゃん、今日は僕も支払うよ。須磨の帰郷を僕も祝いたい」

明石はそういうと瑞穂の後に続いた。それにしても甚平にタオルを頭に巻いた彼の格好は店の雰囲気にはそぐわない気がするのは俺だけだろうか。最も俺も裸足にサンダル履きという格好だから人の事をとやかく言える立場ではない。向いに建っているフランス料理店だったら間違いなく門前払いをくらうだろうなと、思いながら俺は二人の後を追った。


 席に着くと瑞穂は腕をくるくると回しながらメニューを観ていた。

 

 「舟盛りが食べたいな」


 俺はぼそっと呟いた。すると瑞穂はぎょっとした顔でこっちを見つめ、


 「ちょ!? 舟盛りですと!? この店で一番高いメニューじゃないすか!」


 瑞穂は財布を取り出しうんうんうなっている。隣に座っている明石がくすくすと笑い、

 

 「須磨の冗談だよ。瑞穂ちゃん。さっきの仕返しだと思うよ」


 と目をまん丸にしている瑞穂をなだめていた。

 

 「明石の言うとおり冗談だよ」


 俺は煙草に火をつけそういった。明石はというと手提げ鞄から取り出したのは、キセル入れだった。キセル入れからするりとキセルを抜き出し、マッチで火をつける。しゃれた物をもってやがると、俺は心の中で毒づく。


 「水軍料理3つと、ビール3つ」


 瑞穂は注文をすると、俺に向ってにかっと笑う。


 「おい、本当に水軍料理頼むのかよ。だってこの店で1番高いコース──」


 俺が言いかけると瑞穂はまた、ぽんと胸を叩き、


 「大丈夫っすよ。自分はバイトしてお金貯めてるんでこんくらいなら」

 

 と得意気に言う。三人前なら舟盛り頼むより高いはずだが──。


 「流石にプラスして舟盛りは頼めないってだけっす。あと、帰りは代行頼むんで自分も飲むっす」


 瑞穂はそういうとちょうど届いたビールを手に取り俺に手渡した。


 「じゃあ、先輩の帰郷を祝して」


 グラスが3つ合わさりかちんと鳴る。その先は、まさに宴というのにふさわしい様相だった。前菜からはじまり、刺身、煮つけ、焼き物、揚げ物、酢の物、鯛の釜飯、吸い物、香の物、デザートと続く。

 俺たちは机いっぱいに広がったそれらの料理を端から端へ全て平らげ、ビールを何度か注文して飲みに飲んだのだった。

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