暗い淵へ落ちる時

 ソフィアからの薬は毒薬で……まるで『ねむり姫』のお話のように私は眠りについていた。


 ここは夢。夢と認識していれば怖くない。


 だが、鮮明だった。最悪な時の夢。悪夢の薬は少しずつ蝕んでいく。


 暗い学園長室で告げられる。


「残念な話だが、君の祖父が亡くなったと知らせがきた。今すぐ帰ってくるようにとのことだ」


 足が震える。声は言葉を忘れたかのように出ない。


 とうとうこの日が来たのだ。


 たった一人になるときがきた。こんな日が来ることを私は覚悟していたはずだ。ギュッと拳を握る。


 祖父は危険な仕事をしていると言わなかったが気づいていた。


 私は静かに頷いた。私の物はあまりなく、荷物は少ない。トランク一つにまとめることができた。


 クラスメイトや友人に挨拶はいいのか?と聞かれたが、それになんの意味があるのだろう?とまともに思考できなかった私は誰にも会わずに去った。


 冷たい雨が降る中、馬車はどんどん学園を小さくしていった。


 祖父の葬儀では感情が消えたようにぼんやりと立っていた。口も聞けず、挨拶してくる人達の動きはゆっくり見え、自分が水の中にいるように他の人の声は遠く感じる……。


 棺が運ばれていく。すがりついて泣きたいが、それをしたところで何か変わるわけでもない。

 

 とうとう一人になった。わかっていたけど実際になってみるとけっこうシンドイものだと感じる。


 倉庫のような寒い部屋に追いやられても、使用人よりひどい扱いを受けても、どうでもよかった。魔法や知識を使えば簡単に逃げ出せたのにもう自分がどうなろうと構わなかった。

 

 逃げたところで、その先、どうしたいという気持ちもない。


 ソフィアや義母、父が私を憎み、消したいと思うならそれでいい。それで気が済むならば、好きなようにすればいい。


 そう思って目を閉じた。


 ……ナシュレ?その単語が急に懐かしく思い浮かんだ。夢かな?あちらの方が夢だったのかもしれない。たくさんの人たちに囲まれて……幸せで。毎日が楽しくて。私も笑顔でいられた。


 そんな幸せな夢を見ているうちに消えていけたら、きっと幸せだ。


「セイラ起きろよ!目を開けろよ!」


 リヴィオの声?


 必死に呼びかける声がずっと遠くから聞こえた。


 そう彼……リヴィオ=カムパネルラとの出会いは学園の中庭だった。覚えている。


 鮮やかな緑の木々が生い茂っている。ザアッと時折、春風が吹いた。


 入学式が始まろうとした時、祖父が仕事で途中で帰ってしまった。私は代表として入学の挨拶を任せられていて、緊張していた。


 それにみんなが両親と幸せそうにいる姿も見たくなくて、半ば拗ねて、中庭を歩いていたのだと思う。


「おい。こんなところでなにしてんだよ」


 幼い少年が木の上にいた。私はよくみると小さい少女になっている。


「なにって……そんな変な所にいる変なあなたに言われたくないわ」


 まさか上から声が降ってくるとは思わなかった。そう言い返すと、ムキになって彼は別にオレは変じゃねーよ!と言う。


「入学式、めんどくせーからサボろうと思ってるだけだ!」


 いや、そんなこと堂々と言われても……と可笑しくなった。胸に赤色の花を付けているから同じ新入生らしい。


「お好きなように。私は挨拶をしなくちゃいけないから、行かなきゃ」


「へ!?ちっこいおまえが!?首席入学っておまえかよ!」


 自分だって小さいじゃない!と思って言い返そうとすると「セイラ=バシュレ!」と先生達の呼ぶ声がした。


 木の上に登っている猫のような彼はニカッと笑いかけて私に言った。生意気そうなだけど眩しくて明るい笑顔。


「また会おうな!」


 私は返事をせず、さっさと去っていった。緊張は解けていた。


 彼は両親と入学式に出ないのかしら?と思っていると「リヴィオーーーっ!」と後ろの方で名を呼ばれて叱られている声がした。


「セイラ!起きろ!起きてくれ!」


 また声がした。でも嫌。目を開ければ……また一人になっている。一人は嫌なの。


 起きれば、今以上の苦痛が待っているんじゃないだろうか?そんな恐怖が私から目覚める力を奪う。


 体はどんどん下へ闇の中へ沈み込む気がした。


 手が伸びる。暗い部屋へ放り込まれ、泣き叫ぶ私。転がされた体はだんだん力がはいらなくなり起き上がれない。たすけてと言えたのも涙を流せたのも最初の頃だけだった。

 背中の傷が痛むのを暗い部屋で、じっと耐えるだけの日々。


 祖父が父の胸ぐらを掴んで殴った。


「セイラに何をした!!」


「生意気な娘を躾けて何が悪い!」


「ふざけるな!こんな小さい子に……なんてことするんだ!!殺す気か!?」


 言い争ったあと、お祖父様は私を抱えて、ナシュレの屋敷へ連れて行った。そして看病をしてくれた。


「また、こんなところで寝て……食事は?」


 トレイに手つかずのままの食事をメイドが困ったように下げていく。暗闇が怖くてベットから這い出して窓辺やランプの灯りがあるところでうずくまる私を見て、祖父が両手で顔を覆い、もう限界だと呟いた。


「アオ、頼む。記憶を……セイラの記憶を封じて楽にしてやってくれ」


 黒猫がやってきて、私の顔を覗き込む。


「だが、記憶が戻った時、苦痛はその封じた年月に比例する。そのとき……この娘を支える者がおればよいのじゃが……」


「今は体力と精神力を戻す必要がある。頼む」


 黒猫はしかたないと言って私の額に触れた。消えていく、苦痛であった記憶の欠片。


 次はどこだろう?私は冷たい暗い道を裸足で歩く。出口はない。


 ……なにか大切なものを忘れているのに出口がなくてわからない。 

 

 突然、ストンと穴に落ちた。落ちて落ちて……闇に浮かぶ青色の地球を見た。日本のある場所だ。

 

 携帯電話のバイブ音で目が覚めた。お気に入りのくまのぬいぐるみが横にいる。天井が低い。まだ眠い目をこする。


 なんか変な夢を見ていた気がする。


 同級生たちが朝から海へ行こう!と携帯電話のトークルームで、そんな話になっているようだった。


「海水浴ベタつくから、あんまり好きじゃないのよね。それに母さん、許してくれるかなぁ」 


 その日は朝から暑い日だった。居間へ行き、リモコンを手にし、ピッと電子音をさせて、クーラーをつけた。


 40℃まであがり真夏日になることをテレビの中で天気予報がそう伝えていた。風が強くなるらしいけど波は大丈夫かな?トークルームでもそう指摘する人はいた。


 父さんも母さんも仕事へ行き、もういない。夕方には私も旅館の手伝いへ行くことになっているが……勉強をしないで、遊びに行くくらいなら手伝いに来いと言われるのは目に見えている。


 セミが窓の外でうるさいくらいに鳴いている。


 トークの履歴を見ると、クラスのほぼ全員が海水浴に参加するようだ。


 ……言わずに行っちゃお。夏休みだもん。私はトークルームに返信する。


『さんせーい!いくよー!』


 オッケー、了解などというスタンプの返信がポンポンポンといくつか返ってきた。


 お気に入りのセパレーツの水着を服の下に着る。髪をポニーテールにする。日焼け止めクリームはきっちりと塗っておく。


 自転車のかごに着替えやサイフ、携帯電話などを入れたマーガレット柄のビーチバッグを放り込んで青い空の下をビーチサンダルで漕いでいく。


 風を切って下る坂道。


 白い雲はソフトクリームのようにモクモクとしている。もう海が見える。キラキラと夏の日差しに反射していた。


「夏休みサイコー!」


 毎日、毎日旅館の手伝いなんてゴメンよっ!


 自転車で下る坂道は爽快感を与えてくれる。


「おっそーい!カホ!」


「ごめん、ごめーん!」


 私は砂浜に集まって、もう泳いでいるクラスメイト達のところへ、駆けていく。砂浜の熱い熱が足の裏に伝わる。ポイッと服を脱ぎ捨てて下に着ていた水着姿になった。


 ちゃっかり浮き輪やサーフボードまで持ってきてる人がいる。


「皆、準備いいなぁ」


「海の街だもの。サーフィン好きなやつ、けっこーいるでしょ。今日の波は高いし最高だって言ってたわよ」


 へぇ……と私は言う。なにも持ってこなかったなぁ。でも物を使うと後々バレるし、海に浸かるだけで十分ってことにしよう。


 行こう!と友人と共に海へと入っていく。しばらくバタ足でゆるゆると泳ぐ。時々来る波にゆらりと体が揺らされる。


「アハハ!ボードから落ちてるじゃん!」


「調子乗りすぎー」


 クラスメイトたちの波乗りの挑戦を面白おかしく眺めていた。


 ふとした瞬間だった。波がきた。思った以上の大きい波………誰かが危ない!カホ!と叫ぶ。頭に衝撃。激痛で、ぐらりと視界が揺らぐ。立てなくなり、溺れる。波に翻弄される。


「大丈夫か!?」


 誰だろう?海に沈む瞬間に助けてくれたのは……顔を一瞬見たが、そのときにはもう意識が薄れて……あれ?この顔って見たことがあったわ。そうよ!見たことが……あるっ!


「シンヤ君!!」


 ガバッと起き上がる。


 ……日本じゃ……ない?シンヤ君はどこへ?どうなったの? 

 違う日本じゃないわ。


 思考を現実の世界へ戻していく。


 ここが今、私の生きている世界。額を抑える。


「葉末慎也……ハスエシンヤ!?シンヤ君?どういうことなの?」


 そう私は呟く。あの顔はシン=バシュレだった。


 見覚えがあるもなにも……お祖父様だ。今まで進まなかった記憶の先が夢に現れた。まさか高校のクラスメイトだったシンヤ君がこの世界にいるの?


「どういうこと?」


「それはこっちのセリフだ!」

  

 ギュッといきなり力いっぱい抱きしめられる。痛いです……これは……リヴィオ?


 リヴィオの顔を見るとやっとこちらが現実であると気づき、ホッとした。


「良かったです。意識ははっきりしてますか?」


 大神官長様が後ろにいる。人目も気にせずリヴィオは私に抱きついたままだ。すごくすごく心配かけてしまったらしい。


「な、なんとか。……ちょっと記憶が混濁してますけど……」


「大神官長様が解毒の術を施してくれた。普通の解毒の術では無理だった。おまえ……三日三晩寝ていたんだ」


 リヴィオがやっと体を離す。目が赤い。


「夢にうなされてるし、何度も叫ぶけど助けられねーし……ほんとに今回ばっかりは……もうだめかと思った」


「ごめんね。ソフィアがあんな薬を使うなんて思わなくて……大神官長様もありがとうございました」

 

 フフッと大神官長様が笑う。


「いいえ。ずっとここで楽しませてもらったお礼ですよ。何か役に立てて、良かったです。ちょっと特殊な術だったので、使ったことは内緒にしておいてもらえるとありがたいです」


「口外はしません」


「もちろんです」


 私とリヴィオはそう約束する。大神官長様は部屋から出ていった。私はいつの間にか自室にいた。


 まだどこか呆然としている私にリヴィオは大丈夫か?と心配そうに尋ねる。……そして微妙な顔をして言った。


「まさか寝起きに違う男の名を呼んで起きるとは……なんなんだ?」


 誤解している。複雑そうな表情のリヴィオに私は説明することにした。本当はソフィアにやられたあの後のことを知りたかったが……。


「お祖父様も私と同じ記憶があると思っていたら……どうもお祖父様の方は転生したわけではなくて、召喚されたのかもしれない。信じてくれるかわからないけど、私の日本で通っていた学校のクラスメイトだったようなのよ」

 

「………ちょっと頭がついていかねー。あ、いや、信じるけど、よくわからないっていう意味だぞ?」


 私は紙とペンを持ってきてもらう。図式化するとリヴィオが、なるほどと頷いた。


「つまり、こっちの世界で言うオレとセイラのような学園のクラスメイトだったってことだな?そしてじーさんはそのままの体でこっちの世界へ来て、セイラは一度死んでこっちで生まれたってわけか」  


「確証はないけどね……お祖父様である、シンヤ君が助けてくれたところで記憶が切れたのよ」 

 

 ふむ……と顎に手をやるリヴィオ。私はその様子を見て言う。


「こんな突拍子もない話を信じるリヴィオ、おかしいわよ?」 


 リヴィオがうーんと腕を組んで言う。


「まずセイラは変な妄想癖や嘘を言うタイプじゃねーのは知ってる。そしてオレはとっくに覚悟を決めている。セイラが航海中の船に助けに現れたあの日に決めた。この国の神である黒龍が何度も助けてくれるって……普通じゃねーよ。たぶん何かあるんだと予想している。それもセイラと一緒に背負うつもりだ」


 ポカンと私は口を開く。


「そこまで考えていてくれたの?」


「ああ……今だって……起きねーセイラをどうやったら救えるか、ずっと考えていた」


 バフッと私のベットに体を倒す。リヴィオは疲れている。ずっと看病してくれてたのね……一瞬夢の中で聞こえたのは夢ではなかったのだ。


「ごめんね……また助けてもらっちゃったわ」


 リヴィオの黒髪を梳くようにそっと撫でる。ちらっと金色の目が覗く。


「目覚めてくれてありがとう」


 そう言ってリヴィオは目を閉じ、寝息をたてていた。

 

 うん……帰ってこれて良かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る