転生先の異世界で温泉ブームを巻き起こせ!

カエデネコ

一章 

目覚める時

 楓の間に持って行ってー!百合の間のお客様にビールの追加!魚は焼けた!?


 夕食時間の温泉旅館の裏側は慌ただしい。旅館の娘として忙しい夜は手伝いをする。


 テニス部に入りたいんだけど?と頼むと目の前で入部届を母に破られ、好きな男の子がいたことがバレたときには携帯電話を取り上げられた。


 またある時はピアノの習い事をしたいと頼むと次の日、ピアノのかわりにお花の教室へ行かされた。


 旅館の女将としても厳しい母は娘にも同様であった。


 私は将来の旅館の次期女将として育てられていた。


 そんな夢のようなことを思い出したのは、つい最近だ。


 湖で溺れて、気づいた時には前世だろうか?夢だろうか?そんな記憶が残っていた。


 ニホンって……いったいどこなの??この世界のことでないことは明確だ。地名も名前も聞いたことがない。


「お嬢様、体調はいかがですか?」


 ハッ!と気づくと傍に老婆がいた。昔からずっと雑用をしていた者でメイドではない。


「大丈夫よ。もう起きれるわ」


「サンドラ様が薪割りと家の周りの草むしりをするようにとのことでした」


「わかったわとお伝えして」


 用件だけ伝えて下がっていく。汚れても良い古びた服にしよう。選ぶほど服は持っていないけど。


 前世の夢でも働いてきたばかりなのにと苦笑する。


 サンドラというのは義母で私の母が亡くなってすぐに再婚した父の新しい奥様である。


 魚が食べたいから釣ってきてほしいと言われて行ったが、後ろから突き落とされて溺れてしまった。


 下男が通りかかったから、かろうじて助かったらしい。


 突き落としたのは妹のソフィアとその取り巻きの令嬢たちである。ふざけ半分に笑いながら釣り竿やバケツを私から取り上げて湖の中へ放り込み、それを拾おうとしたところ、突き落とされたのだ。


 しかし怒るどころか恨みに思うどころか……

 生きることに疲れを感じていた私はこのまま深く湖の中へ沈みたいと願っていた。


 ずっと一人で空っぽな私は孤独だった。唯一可愛がってくれた祖父もいなくなって、誰にも必要とされない自分が自分でも嫌になっていた……。


 だけど、今!私は生まれ変わったかのように力強く地に足をつける。むしろ死にかけて生まれ変わったのかもしれない。


「ニホンのジョシコウセイをなめるなよーっ!!」


 この世界の人が聞いても謎の単語を言う。


 しかし私は前世のすべてを理解しているわけではないと付け足しておく。


 さて、しかしどうしたものか。冷静に考えると、実はこの私のスペックはかなり高い。高いのに有効活用されていないという残念さ。


 与えられたことはしっかりこなすが、自分から行動をおこすことはない気弱な根暗なお嬢様だった……と思う。


 生きることに無関心になってしまっていたから仕方ないのかもしれないが。


 とりあえず薪割りしながら考えるかな。四畳しかない部屋でモヤモヤしててもしかたがない。非生産的よね。


 ってか、トウキョウの貧乏アパートより狭いお嬢様の部屋ってどういうことよ。


 おかしいでしょ?物置だよね?屋敷は広いのに物置に住んでる。部屋はまだたくさんあるのに。


 朝ごはんはメイド達と一緒にとり、パンとスープのみの質素なものだ。


 薪をせっせと運んでいるとクスクスと笑い声がした。妹のソフィアである。また遊び歩いているらしい。


 金色の長いフワリとした手入れされた髪に碧眼の愛らしい彼女は私の姿を窓から眺め、わざわざ聞こえるように言う。


「下女がいますわ。まだ生きていましたのね」


 美人だけど性格は悪い。それでもその美貌で社交界ではかなりもててるらしい。


 私は無視する。私は黒髪、黒い目の地味な姿。まるで前世、夢の中と同じような色。


 でもあの世界では周囲はこんな感じの姿が多かったな。


 それに大好きだった祖父の容貌を受け継いだ。商売をすれば大富豪。魔法を使えば天才。社交界に出れば王家から貴族の称号と領土を貰う。王国でも伝説の人として知られていた。


 しかし息子である父はそんな祖父の才能を受け継ぐことなく、比べられて失望されることが多く、大嫌いだったらしい。その容貌を受け継いだらしい私のことも「気持ち悪い」と冷たく言い放っていた。


 私がまだ本当に幼い頃に母が亡くなり、あっという間に義母と結婚して連れ子の妹まで、気づけばできていたというわけだ。


 薪割りの斧をグッと木に入れて、トントンと軽く叩いてから思いっきり振り切るとパンっと音を立てて割れた。


 食事も満足に与えられていない病み上がりで弱った体にはキツく、一度割っただけで息が上がる。


 その様子を見ていたのか、窓から冷たい声がする。


「薪割りすらできないのか?役立たずだな」

 

 声の主は父で、憎しみすらこもった言い方に怖くなる。こんな状況に自分はいたのかと実感する。


 全寮制の学校から帰ってきて1年ほど経過している。ちょうど卒業まで残りわずかな時であった。


 学費を出してくれ、唯一私のことを気にかけてくれた祖父が亡くなったため、戻ることは許されなかった。


 私にかけるお金などないと言い放たれ、帰ってくるとメイドよりも悪い扱いを受けた。


 祖父から買ってもらった、そんなに多くはないドレスやアクセサリーはすべて妹が貰うと言ってなくなった。


 変わりにメイドが使っていた古い服や靴を放り投げられた。


 寒いと言ったが、部屋に暖をとるものを入れることすら許されなかった。


 パラパラとページをめくるように現状を把握していき、ニホンの記憶を持つ私とセイラの過去の記憶が混ざり合っていく。


 祖父譲りの才があるらしい私は王国の最高学府と言われるエスマブル学園で常にトップの成績で百年に一度の天才と謳われていた。


 そんなセイラは家に頼らずともあのまま卒業後はどこかへ就職するという選択肢もあった。


 だけどバカ正直に……ここへ残ってしまったらしい。私は思わず自分に苦笑した。


 祖父がいなくなった今、唯一の血縁である父が少しでも受け入れてくれるのを期待していたが、そんなことは一切なかった。


 幼い頃から愛を得れる『いつか』を待っていたが『いつか』は来なかった。


 薪割りしつつ、記憶を整理していく。

 

 しっかり労働をしている自分は真面目で、ニホン人的なのかと思ったが、私は掃除当番サボれないタイプなんだよね。


 しかし効率良くするにはどうしたらいいか?魔法の構成で風の属性なら切れないか?とか自動薪割りなんていう魔法道具を作れないかな?と計算し始めている自分の思考が以前とは違う自分だ。


 確実に前向きな自分に変化している。


 セイラは魔法を嫌がる父のために使わないでいたようだった。一度見たときなど、父は才能を見せびらかすのか?と冷笑していた。


 義母が「今日の夜のダンスパーティに余興として出してみましょうよ」と提案しているのが聞こえた。


 父はすでにいない。ソフィアが「いいですわね!おもしろくなりそう」とワクワクしている。もう嫌な予感しかしなかった。

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